第69話 火種



 前髪をカチューシャで上げた、きれいなストレートロングヘアの高岡朱織たかおかしおりが手を振る。元、羽田バレエスクールの友達だ。今も、彼女はキチンとバレエの基本の指先をしている。

「えらいね高岡ちゃん」

「あ、癖なの…」

 友里の視線に気づいて、一瞬だけ恥ずかしそうに指を隠すが、それは当たり前のことなので、恥ずかしがる必要はないと友里は言った。嬉しそうに高岡がはにかんだ。


「友里、あの…夏休みはなにしてたの?」

 もう11月もおわるのに、高岡は夏の話をしてくるので、友里が笑うと、困ったような恥ずかしい顔になった。

「だって、なにも連絡が無いんだもの…!駒井優も吹奏楽を辞めちゃって、学校でもあんまり逢えないし…」

「あれ?優ちゃんって吹奏楽部辞めたの?」

「そうよ」

 そういえば、そんなことを修学旅行の時にきいていた。”放課後15分”が続いていたので、てっきり、部活に慰問にでも行っていると思っていた。友里がバイトの日はそのまま置いて行くが…バイトのない日は、一緒に帰っても良かったじゃないか。

(予備校かな)

 優はいつでも勉強をしているので、きっとそうだろうと思った。


「この後って、駒井優とみるの?火」

「火、って。キャンプファイヤーね!うん、一応約束してる…」

 高岡の表現に笑いつつ、言い淀みながら言うが、高岡は惜しいような顔をする。

「駒井優と仲良しなのは良いけど、私とも遊んでよ…7年もほっておかれてるのよ」

「え!……そうだね…!」

 ──高岡と話しているといつも、かわいい野生の小鳥が、懐いたような気分になる。かわいい。

 友里が座っている木のベンチの横に腰かけてくるので、高岡のために少し間をあけた。1学年違うだけで、全然会えないが、今日という日は全学年入り乱れていて、不思議なお祭り気分だ。連絡先も交換しているのに、なかなか友里から連絡を取れない。


「バレエスクールには、もう来ないの?」

「あ~~…あのね、その話なんだけど…」

 その話をされるから連絡が取れないんだ。と、友里は頭で返事をする。

 友里は、意を決して自分の背中と太ももに大きな傷があることを説明した。高岡には、なんとなく言いづらくて、ここまで伸ばしてしまった。傷ついた筋肉は、足も背中も日常生活には絶対に問題ないが、厳しいバレエの練習には耐えられないと思っている。


「そんな…なんとかなるわよ」

「クールに見えて熱い女なのよ!諦めきれないから離れてるの。それに、こんなにブランクがあって、続けられないよ」

「全然クールにはみえないわ。友里は。生徒に教えるでも、良いじゃない…バレエに関わって、いたいんでしょう?」

「…かいかぶりすぎだよお…」


 困ったように眉毛を下げて、友里は高岡に「へへ」と笑った。


「別に買い被ってないわ、10歳の段階でもうからだが出来てたのよ、あなたすごい柔らかいし、足首の筋肉も強いし、回れるんでしょどうせ…」

「もう、全然衰えてるよ、フツーによくころぶ粗忽物よ」

 高岡は、断りを入れてから友里の肩を触った。

「オーロラになるためにトゥシューズを初めてはいたのおぼえてる?12歳までお預けっていわれてたのに!いまはポワントシューズっていうんだけど…きっとすぐ履けるようになると思うの…ねえ、少し踊って見せて?もしだめなら、諦めるわ」

「え!?む、無理だよここで?!恥ずかしい!!」

「恥ずかしいの?どうして…?以前の友里ならそんなこと言わない…さっきの所作だって恥ずかしいことじゃないって言ってくれたでしょう?」


「あはは…だめだめ、わたしなんて…」


 高岡は、悲しいようにうつむいて、優しい声で言った。


「ねえさっきから、変に自分を卑下しないで。友里は、そんなカンタンに諦めるような子じゃなかったわ」

 手に持ったままだった児童文学書をラックに戻して、友里は高岡から目をそらして、小さく、口の中で答える。

「カンタンに、あきらめたわけじゃ、ないんだよ」


 高岡は黙った。指の爪を強く押して、言葉を失う。



「友里ちゃん」

 駒井優と、乾萌果、岸部後楽が、購買の方から歩いてくると、高岡と友里の様子を見て、声をかけてきた。高岡はそれを見て、口をつぐんだ。

 2年生たちに囲まれて、高岡は「とにかく、後で連絡するわ」と言い残して、走って逃げるようにチラリと優を見て、校舎の中へ入っていった。


「ちょっと」


 優が高岡の後を追いかけた。

 友里と後楽と萌果は、その場で待っていると優の背中に叫んだ。


 :::::::::::::



 薄暗い校舎の中で、優と高岡は向き合って、話をする。


「友里ちゃんにまた、バレエの話?」

「そうよ…悪い?ねえ、駒井優。友里の体、さわったことある?」

「え!?ああ、──うん」

 優はなにを言われても良いと思っていたが、突然のことに、動揺して素直に頷いてしまう。

「ちょっと!変な想像しないでよ!?そしてそういう意味では答えなくていいのよ?!なによどこまで…?!」

「えっちなことを考えるのは、えっちな証拠っていうだろ」

「あんた、その顔でエッチとか言うのバグるからやめてよ」


 お互いに気持ちを落ち着かせるために、コホンと咳ばらいをした。

「友里って、まだ相当体を鍛えているわ」

「……そうなの?」

「ええ、さっき肩を触らせてもらったけど、家でも練習をしてるんじゃないかしら」

「そんなの、微塵も感じないな…すきに色々食べてるし」

「そうね。所作だって、人のことに気付くってことは──自分はわざと、封印してるのよ」


「わたしは、ダメだなあ、友里ちゃんのこと、なにもわかってあげられない」



「そんなの、誰だって言わないとわからないわよ」


 高岡は、自分が素直になれなかった過去を棚に上げて、優に言ってしまう。自分の以外のことなら、すぐにわかるのになぜ自分だと制御ができないのだろうか。


「もう友里のとこに戻ってあげて」

 高岡が言うと、優は落ち込んだ気持ちをパンと吐き出すように、頬を打った。

「友里を大事にしなさいよ、ねえ、自尊心が弱すぎるわ、あの子」

「してるつもりなんだけど」

「私には!そうみえない!!」


 べー!と舌を出して、高岡は今度こそ暗い校舎の中に消えていってしまう。

 優はため息を吐き出して、友里たちの元へ走った。

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