第71話 キャンプファイヤー


 校舎の中へ入った。


 優を追いかけて何人かの足音がしたので、友里は、曲がり角に曲がったふりをして、同じ場所で立ち止まって、優に「シー」と唇を押さえて見せた。それ以上近づく足音は聞こえず、逆に、外へ出ていってしまう音がした。


 優は嬉しそうな顔で微笑んだ。


 ──友里の考えた作戦は、こうだ。

 校庭にいるとただでさえ目立つ優が、みんなに見つかってしまうので、あえて校舎へ入る。校舎と言っても、併設されてる短大の講堂だ。

 解放されてることは、なかなか知られていない。友里だって、大学生が先程話しているのを聞いただけだった。

 クローデットがもしも来ていても、さすがに講堂は気付かないだろう。


 追いかけて来た数人を巻いて、講堂の1階の踊り場にある大きな鏡を抜けて、階段を上っていく。2階へ上るとその踊り場に、一番大きな窓があって、そこからのキャンプファイヤーは校庭を一望できる。数人の大学生がいたので、ここはダメだ。

 3階は屋上で、きっと人であふれていると思ったので、2階のさらに奥へ進むと、がらんとした教室の入り口が数個並んだ、窓のない長い廊下の隅に、小さな窓があった。そこからみると、もうはじまっていたキャンプファイアーの火がすごく近くにみえた。校庭の人々の姿はみえないが、炎が闇に揺らめく姿は目視できる。


「友里ちゃん、すごい。穴場だ」

 優の可愛い笑顔が、キャンプファイアーの赤い炎に照らされて輝く。友里は、顔の半分しか窓に届いてないが、背の高い優にはバッチリだろう。小声で言って、友里もニコリとする。


「ここなら、邪魔が入らなそう」

 友里は、念願の優との”ふたりきり”をゲットした。クエスト完了の、ファンファーレが鳴り響く気分だった。


(そして、手をつなげたり、できたらいいな…)


 友里は、本来はキスとか、それ以上だって優とならなんでもいいのに、優のことを淑女だと思っているので、高校生の領分では、手をつなぐことに決めていた。

(それなら、どこでだってできるし、いつでも最高にきもちいいし)

 友里はほのかに赤くなる頬を(まだ期待するな)と命令して穏やかにさせる。


「…ごめんね、わたしが迷惑をかけて」

 優がしょんぼりして言うので、サッと手をつないだ。友里のミッションは、コンプリートだ。

「優ちゃんのせいじゃないよ、優ちゃんの魅力に逆らえない人達が悪いんだよ」

 キラリと友里がピースで微笑むと、優は面食らって、思わず噴いてしまう。

「友里ちゃんて時々、荒ぶるよね」

 友里のことが可愛くて仕方なくて、微笑むが、友里がそんな優のことを”かわいい!”という目で見るので、友里にかわいいと思われている実感に照れてしまう優。


「それで、高岡ちゃんに、なにをいわれたの?」

 高岡からある程度聞いてたが、友里の口からも聞きたくて、優は話を戻した。友里は困ったように眉を下げた。

「あ~。背中に傷がある話をしても、バレエに戻らないかって……」

「友里ちゃんはどうしたいの?」

「わかんない!」

 素直に微笑む。

「今、バレエに戻っても、きっと、やりたくなっちゃうよ、でもできなくて悔しくて──

 すごい練習しちゃう気がする。できるまで、どんなことをしても!それこそ、足に生肉の世界!!」

 優が「?」と言う顔をするので、練習しすぎでバレエ専用の靴であるポワントシューズのプラットフォーム(硬い部分)が壊れはじめ、専用のトゥパッドでも間に合わず、足先が痛く血種だらけになるので、冷たい生肉を足先に巻いて、ピルエット(回転)をするという噂が、まことしやかに実在することを説明する。


「はあ、恐ろしいね」優はため息をついた。

「わたし、トゥシューズすらまだ履いてないのよ、やんなっちゃう」

 友里は、手に持っていたコッペパンとコーヒー牛乳をそっと床に置いて、屈伸をした。そして、意を決したように立ち上がって「見ててね」と言った。ジャケットと靴下を脱いで、ジャンパースカートにシャツだけになると、裸足の左足に優に選んでもらったトゥリングが光った。


 窓のない、広い廊下の前で柔軟をしてから、シャツの手首と首ボタンを外して、立ち上がる友里。

 1,2,3,4,5,6ポジション、骨盤を垂直にして、上半身をまっすぐに立つと、足で地面を押した。両腕を、そっと上に掲げる。糸でつられているようにまっすぐに立ち上がる友里。吐息をして。

 友里は、スカートを蹴り上げるように片足を高く上げると、半分戻してひざを曲げ、くるりと回った。もう1度。もう1度…、ばさりと布の音をさせながら、優を基軸に回っている。小さな窓の、キャンプファイアーの明かりだけが、友里を照らしている。

 ぐらりと前に倒れて、床に体がつく前に、優が抱き留めた。

「ね?」

 笑顔を優に上げると、優は割れんばかりの拍手をしているような表情をして、答えた。

「ね、って?すごい!!綺麗だ!」

「ええええ!?すごい下手でしょう!?全然ダメなの!高岡ちゃんには恥ずかしくて見せられなかった!!これでもう汗だくだし!!」


 はあはあと呼吸をしながら、友里はほとんど叫ぶように優に抱きついて言った。家では少しだけ練習をしていたが、人に見てもらうのは7年ぶりだ。勢いがついて、友里は思っていることを一気に言ってしまおうと思った。


「あのね、わたし、嫉妬に気付いたの」

「えっ」

「なにも背負わずバレエができるの羨ましいなとか、優ちゃんを独り占めしたいなとか!全部、勝手に諦めて、爆発させて逃げるくせに、ダメダメな嫉妬してた」

「だめじゃないよ」

 優が慌てて友里が反省する言葉を否定する。友里はすぐに、優を世界に認めさせようとするが、優は友里だけのものになりたいといつも思っていることを伝えたくて、友里を見つめた。


 あたりを見回す。

 教室の電気もついていない。施錠されている講堂の廊下で、友里を抱きしめた。

 暗闇の中で、友里の体は汗でしっとりと濡れ、心臓がドキンドキンと聞こえて、優はごくりと喉が鳴った。高岡が、友里の体は鍛えられているというが、優にはやわらかく、あたたかく、大好きな友里の体としか思えなかった。好きだという気持ちで意識して抱きしめる体は、友里だけで、他と比べようもなかった。


 ──こんなふうに夢中になるのは、友里だけだと、友里に知ってもらいたくなっていた。


「友里ちゃんにひとり占めされたい」

 キャンプファイヤーの炎の揺らぎが、人々に歓声を上げさせる。音が遠くで聞こえる。優は、友里の首筋にキスを落とした。


「え、ええ…、そんな…おこがましい…」

 とぼけた友里の声がするが、優はどくどくと心臓が鳴って、緊張していたので、友里に微笑む余裕がなかった。高岡に言われた「友里の自尊心」とはどう養えばいいのか、優にはこれ以上どうすればいいのかわからなかった。

 見つめ合ったまま、友里の呼吸が整うまで待っていたが、優は友里の頬を撫でて、そのまま唇にキスをしてしまった。


 チュ、と音がして、優しく添えられただけの唇が離れて、友里は目を開いたままそのキスを受けてしまった。


「優ちゃん?」

 

「友里ちゃんが好き」


 遠くで、歓声の声が聞こえた。炎が高く、舞い踊ったようだった。廊下にうつる光も、揺らいで、優と友里の瞳もくるりと光った。瞬きをすると、一瞬で頬が熱くなって、友里は、多少の躊躇の後、優に自分から、顔を寄せた。


「好き」


 自分からもそっと口づけをすると、優が応えてまた好きと言った。もういちど、今度は深く口中を攫われた。目の辺りがチカチカッとして、友里はほとんど膝立ちになっている優に唇を寄せるように、自分も顔を天井を向くように顎を上げた。強く背中を掻き抱かれて、バランスを崩したので、優の腕を掴んだ。


「はぁ」


 吐息を吐くと、もういちど唇で蓋をされたので思わず「多い」と友里は照れ隠しで言って肩をポスリと叩いてしまった。

「多くないよ」

 純粋な顔で優が言うので、あまりの可愛さにもう一度こたえてしまう。しばらくの間、暗闇にふたりの口づけの音が響いた。


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