第86話 空に消える
日曜日の17時。予備校から出るところで【バレエはじめました】と友里からのメッセージを受け取った優は、ちょうど近くの駅にいると友里がいうので、待ち合わせをした。
「ごめんなさい」
優を見たとたん、がばっと頭を下げて友里が謝るので、グレーのロングコートを着た優は、息を白く弾ませながら、首をかしげた。
「どうして謝るの?待たせたのはこっちなのに」
ジャージなどの荷物が入ったリュックを、珍しく片方の肩にかけている友里を見た優は、なにも言わずそれらを引き取った。友里が不思議な顔をするが、微笑むと持たせてくれた。多分背中が痛いのだろうと優は思ったが、黙っていた。
「バレエ、入会してきたから、遊べなくなるかも!もう年末で、イベントばかりだから行くのは来年からだけど」
「大丈夫だよ。毎週この時間に終わりなの?わたしも合わせる。帰りは一緒に帰ろうよ。同じ駅だから、兄に迎えに来てもらえる日もあるよ」
「わ!!嬉しい!連絡する」
まだ体が熱いのか、寒空の下、手の先でパタパタと顔を仰ぐ友里に、優は問いかける。
「無理やりでも、行ってみて、よかったでしょ?」
優が、先に自分のせいにして、友里の罪悪感を消してみた。多分、ずっと隠していたバレエへの情熱を、バレエスクールで思い出したことを、優に言えずに、初手で謝ったのだろうと、優は思っていた。友里の頬が赤くなる。
「うん、ありがとう~~~~。ほんと背中がやばい」
「あはは、そんなに?」
あっけらかんと伝えるので、優もあっさりと受け取った。
友里が怪我のことを、自分の一部として乗り越えようとしていると、優は信じていた。そんな友里を愛しているし、ずっと一緒にいたい。
──わたしが、バレエをしてないと、好きじゃないの?
あの日の叫びは、まだ胸にこびりついているが、優は、どんな友里でも好きだと伝える努力を惜しまないようにしようと思った。
「お礼に優ちゃんが欲しいものを、全部あげられたらいいんだけどな」
突然友里が、言うのでドキリとしてしまう。優が欲しがって、自分の力で手にいれられないモノなんて、友里以外に思いつかないという傲慢さが出てしまう。意味を分かっていて言っているのか、友里に怒りたいような、恥ずかしいような気持ちになってしまう。
「お礼なんて…」
かろうじて、お礼を受け取る必要もないことを告げる。
「バイト一か所減ったし、今月はいっぱい服を作ったから、あんまりお金ないけど」
やはり友里は「モノ」をプレゼントしようとしていると気づいて、がっかりしつつもホッとした。でもそれが友里なので、優はそんな友里も好きだなと思った。どんな準備をしてなくても、一緒にいるだけでいいと伝えてみたくなった。
「お金なんて、かけなくていいよ」
優が期待に満ちた、熱を帯びた瞳で見つめる。友里の荷物を片側の肩にかけ、そっと空いた手で友里の手を取ると、優のコートのポケットの中に入れて、手をつないでみると、友里が「なにか」に気付いたような顔で、真っ赤になる。
先日、友里の胸を触ってしまった。
たぶん、友里はそれを思い出していて、優が込めた気持ちも、うっすらと気付いているのだと思う。
(多分、良い傾向なんだけれど、恥ずかしいな……)
しかしなにをしても幼馴染の気安さの延長と思われるよりは、ずっといい。
「んん~~…あ、そうだ、もうすぐクリスマスだよね?」
思い出したように、友里が言う。来週の金曜日は、もうクリスマスだ。学校も終業式を迎える。
「イブは終業式の前日だけど、どう?」
「あ~イブは、お風呂の清掃バイトだ…0時まで。月水金のファミレスのほうをうごかせるかな、クリスマスデート、土日でもいいかな?」
あっという間にイブに一緒にいる夢は、消えてなくなった。優はがっかりしたことを悟られないように、話を続ける。
「……友里ちゃん以外、もう先月からシフト表出してて、友里ちゃんだけお正月5日くらいまでシフトが全部埋まってそう」
優はすねたようにいうが、瞳は笑っているよう心掛けた。
「ま、さかあ!いやなフラグ立てないで!!」
アハハと笑い合って、家への道を無言で歩く。
「……」
「……」
「友里ちゃんって、いつの間にか繁忙期、入れられてるよね」
「………ああでも大学生が多いから、バイト入りたがるんじゃないかな?!」
てくてく歩くが、お互いにいやな予感しかして、どちらともなく、手をぎゅうと握った。
「優ちゃん予備校って」
「さすがに高校2年生だから、年末年始はないよ」
「──ごめんね」
「先に謝らないで!」
::::::::::
結果として、お風呂の清掃バイトは12月24日木曜9時~0時でお風呂場自体が12月31日~1月2日まで営業して3・4日がお休みなので、次の仕事は年明け4日だったが、ファミレスのバイトが、12月21日~1月4日に予定されていた。
「待って、わたし15連勤なんですけど、しかも17時-21時じゃなくて、春休みは13時-21時って!創立記念日は10-21時?!労働基準法は!?!?春休み潰れますが!?」
「おれは21時-17時だ」と、店長。
「…!?は?…!!」
「全員11月にはシフト希望出てたし、バックヤードにダメな日はフセンを貼っておけと言ったし、おれは、めちゃめちゃ管理頑張ったが、ダメだった…から…」
「店長の死に方は、聞いてないですが!?」
:::::::
「ごめん…」
「もう先に謝ってもらってるし」
火曜日、夕暮れの帰り道。優は仕方ないねえという顔で微笑んでいるのに、友里はよけいに申し訳ない気持ちになるのか、しきりに謝る。最近はバイトのない日は、放課後15分の逢瀬を楽しんだうえで、一緒に帰宅して、駅まで歩く。バイトの日は電車も一緒だが、バイトのない日は友里は反対方向の電車に乗るので、これからは優が予備校の間、一緒の電車・同じ駅で降りる。
「だって初めてのクリスマスを迎えるのに」
優にだけ聞こえる声で、(恋人になってから)を省いた言葉を、友里が言った。幼馴染とは違うなにかを、感じて、優はドキンと胸が熱くなる。電車が線路を行く音を聞いている。タタンタタン。まだ17時にもなってないのに、辺りは真っ暗だ。
「今年はクローデットもいるし、友里ちゃんもバイト終わったら25日、家に来なよ。多分一晩中騒いでると思うよ」
一応、頼みの綱としての、一緒に過ごせる案を友里に提出してみる。学校は休みになるし、気楽に駒井家に来れるだろうと思った。
「駒井家クリスマスパーティー、行きたい……!」
友里も素直に瞳を輝かせるので、優はその素直さが可愛くて、ほほ笑む。
「バイト上がりにそのまま来たらいいよ、彗兄に迎えに行ってもらって」
「うん、絶対行く!!あ!でもお風呂には入りたいかも」
「うちので良かったら沸かしておこうか?」
「あ~~…」
「遠慮するなら、客室でもいいよ、クローデットが使ってるし」
「んあ~…」
「なに?」
「だって結構ドロドロで帰るから~~~みられたくないっていうか~~~」
友里の羞恥が、優に伝わって驚く。今まで、どんなにドロドロだろうと、優に見られてもなんとも思っていないと思っていた。恋人になると、こういうところから変わっていくのだろうか?優は、恋人がなにをするべきなのか、よくわかっていなかったので、参考になると思った。
「どろどろの友里ちゃんも、可愛いよ」
「それはない!」
仕事で疲れている時も素敵だと、心から思っていることを言ってみたのに、思っているよりもきっぱりと否定されてしまって、苦笑してしまう。
あっという間に最寄り駅について、友里のバイト先のファミレスより先に優の予備校へたどり着いてしまう。優は友里のはたらくファミレスへ行ったことはない。
「バイト頑張ってね、終わったら連絡ください」
「予備校頑張って!!連絡する」
握りこぶしを高く掲げて駆けだす友里のポニーテールが揺れている。戦場へ赴く戦乙女のようだなと、優は背中を見送った。
以前、正月明けに家族に友里を恋人として、紹介してみたいと思っていたが、もういつでもいいと思っていた。クローデットの件で、ほとんどバレているような気もしていた。
「はあ」
息を吐きだすと、白く染まった。
12月の空気はクリスマス一色。友里の世界が、たくさんのもので埋まることは、自分のかねてからの願いだ。
「…さみしい」
こんなにそばにいるのに、なぜそんなことを思ってしまうのか、優は相反する心と向き合うために、言葉に出してみた。白い息とともに、空にとける。
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