第63話 兄



「本当にごめんなさい」


「いえ!わたしが悪いので!!!」

 彗がしょんぼりとして謝るので、友里が彗の夕飯を食卓に並べながらまた謝る。交互に頭を下げるので、優は彗が自分で用意している配膳を手伝いながら、こういう水のみ鳥っていなかったっけ…と宇宙に飛ばされた思考で思っていた。こんな形で、兄に暴露してしまうと思っていなかった。


「……居間でうるさくして、ごめん」

 ごはんを食べる二番目の兄・彗に向って、優は、初めて口を開いた。

「本当だよ、優。人に見られるかもってちょっとは考えてしな──」

 言いかけて、彗は真っ赤になって言い淀んだ。箸を持つ手を指揮棒のように振って宙に消える言葉を濁す。

「そういうことじゃなくてさ!だからって、今、ふたりで部屋に消えられたら、俺も困るんだけどさ」

「きえませんよ!?」


 友里が間髪を入れず言うので、(消えないのか)と、優は友里を見て思った。


「えーと、ふたりは付き合ってるの?」


 ご飯を食べ終えて、優に淹れてもらった緑茶を飲みながら、ずばりと確信をつかれて、友里が優をチラリと見た。

「うん、お付き合いさせてもらってる」

 優が応えると、友里は(……ごまかさないんだ)と、はにかんだ。

 優も優しく微笑む。


 彗は、かわいい妹とかわいい妹分の素敵な表情を、初めて見た気がしなかった。いつでも、競歩の練習の時も、いや、もっと幼い時から、ふたりはこうして、微笑み合っている気がした。


 優と友里が、川に落ちてから、7年が経っていた。

 優が今のように穏やかになるまで、だいたい、3年はかかった気がした。

 2週間も目覚めなかった友里を想って、10歳の子どもが茫然自失となりアメリカへわたった。それからしばらく優は、家の中では思ったように声が出せず、掠れたような声しかだせなくなる心因性失声症になり、家族と会話ができるようになるまで、1年を要した。別言語は話せたので、叔母である茉莉花が相談役を買って出てくれた。


 友里が目覚めると帰国し、雨の日も、雪の日も友里が退院するまで、なにを置いても逢いに行っていた。自分の罪と向き合うように。友里とだけは普通に喋るので、家族はホッとしたものだ。だから友里は、優が壊れていたことを知らない。


 9歳離れている彗は、その時大学生で、できる限り家にいるようにしたのだが、家の中では一切話せない優が、友里の前では単語でも話せるし、笑顔を作っていた。その姿は痛々しく、胸を締め付けた。怪我をする前は無邪気に生意気な部分もある、かわいい妹として家族全員に愛されて、微笑んでいたのに、まるで家ごと凍ってしまったかのようだった。

 回復した友里が、持ち前の朗らかさで優を包んでくれて、少しずつ氷を溶かしてくれた。中学に上がるころには、優は家族の前でも笑顔になれるようになっていた。家族中で友里を大好きになるのは、仕方ないことだった。駒井家のお姫様を、闇の呪いから救ってくれた唯一の存在。


 薄々と、彗は気付いていたと思う。優の、献身さや崩壊ぶりが、友人のそれではなく、恋をしているからということに。きっと事故に遭う前から、淡い初恋をいだいていたのだろう。


 ──初恋が成就するなんて、すごい。単純に彗は思った。


「そかあ。おめでとう」


 彗が、うふふとお花が飛ぶ様子で笑うので、優は拍子抜けしてしまう。なにか、一言あるのかと思っていたので、素直に祝ってもらえることだけでも驚いた。


「これからもふたり、仲良くね」

「うん…?それだけ?」

「なに、優。不満なの?障害があるほうが燃えるなら、反対しよっか?」

 26歳の男性のお茶目な言葉に、優は心の底から嫌そうに首を振る。

「いいです」

 兄のおふざけに乗ることができず、優は刹那、断った。

「友里ちゃんのご両親から、お預かりしているんだから、一応、節度を持ってね」

 優の表情豊かな様子に、心の底から喜びながら、彗は笑うが、それだけはくぎを刺されてしまって、優が「はぁい」といい子の返事をした。


 ひとりっこの友里はきょうだいの愛情を、横眼で眺めた。


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(優ちゃんは節度を守るんだ…)


 夜、友里は客室で新しいシュシュを作っていた。手縫いの練習用に、布の端切れでどんどん作るので、ゴムが伸び無くなればすぐ交換できるほどだ。優へプレゼントしたスカートの布でも作ったので、文化祭で実はこっそり持っていた。しかしみると、お揃いすぎて恥ずかしくて出せなかった。


(高校生の節度ってどのくらいなのかな?)

 友達はみんな、彼氏彼女の状態になればすぐに、いけるところまでしてしまっているイメージだった。優は、ラブホテルは学生はダメというけれど、いろんなポイントカードを持っている子だって友里は知っているし、田舎はある意味、娯楽がないのだからラウンド・ワンに行く感覚だ。


 ──……。


(わたしってほんとうに、はしたないなあ)

 そういうことをしたいと思ってしまう自分を責めて、大きくため息を吐き出すと、赤くなってお裁縫道具を綺麗にしまってから、ベッドに顔を伏せた。


(優ちゃんは、本当に淑女だから、こういうことを全然考えないのかなあ……)


 優にきいてみたいが、今夜はノックをするのが憚れた。

 きっと彗は、見て見ぬふりをしてくれるだろうけれど…、やはり、優の部屋に入っただけで、そういうことを望んだと思われそうで、友里は悶絶した。



(せっかくひとつ屋根の下にいるのに、キスの一つもままならない!!!)


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(実はたくさんキスはしている事に友里ちゃんが気付いたら、どう思うのだろう)

 動揺すると目の前のことに没頭して、そちらが捗ってしまう優は、勉強を早々に済ませて、お布団の中でひとり、想っていた。


 (唇にしてないだけなんだよなあ……どうしてできないんだろう…?)


 それが一番肝心なのに、この問題を解くことがなかなか難しい。


 世間の皆さんは、本当にどう折り合いをつけているの?


 けれど自分たちのスピードとやり方で進みたいような、そんな気もして、優はこもった体から熱を追い出すように、ため息を吐いた。


 兄にバレたことはひとまず、後日悩むことにした。きっと彼なりに祝福をしてくれたのだろうと思った。なぜかそう、あの兄には、信頼をしてしまう優だった。


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