第62話 接触

 ※背後注意


「そういえば、さっき萌果から連絡がきたよ」

 友里が、カササギと後楽の話や、萌果たちの話を、楽しそうに話している。優は話を聞きながら、横の椅子に座って、友里の肩を抱いていた。そっと鎖骨を親指でなぞる。友里は机の上の器を見るような態勢で、友達の恋の話をしている。

 ふたりだけの夜を大切にしたくて、「部屋に戻ろう」なんて言葉は言い出せなかった。本来なら予備校の復習をして、2時間の授業とワークを進める時間だが優は友里から離れがたかった。お膝に抱いて、勉強できないものか本当に考え出す。

 (おりこうなばか!)と茉莉花の声が聞こえてきて、恥ずかしくなった。

 


「結局、合流できなかったもんね、予備校の時間に間に合わなくて…」

「それは全然良いって!鈴鹿さんと一緒にいたんだって、すごい怒ってた」

「怒ってた?」

「別れ際に、キスされた!って」

「え!」


 優はむせた。世間の皆さんの、キスの速さに驚く。

「ごほ…!ごほ…なんっでそんなことに」

「わかんない、萌果は、「サヨナラの証」っていってたけど…」


(わたしたちはいつになるんだろうね)という顔で、じんわりと上がる体温で、見つめると、友里がにこっとほほ笑む。優は、笑顔につられて、はにかんでしまう。


 友里の首筋に指先を滑らせる。こまかいきめの整った健康的な肌が、ツルツルとしてここちよくて、時々髪の毛を撫でながら、鎖骨へ戻る。

(わたし、友里ちゃんの鎖骨、好きだなあ)

 綺麗にくぼんで肌の濃い影を落とす、ストレートに伸びた鎖骨に指を滑らせる。バレエをしていたからだろうか、友里の骨格は美しい気がする。バレエコンクールを見に行った時も、スポットライトの下で両腕を高く上げて、片足で回って踊る友里の背中に見とれた。友里のエプロンドレスの肩紐が外れていたので、戻して、そのまま、また、鎖骨へ戻る。友里命名の”タオルぐるぐる事件”で見てしまった時も、髪がかかっていて美しかった。再現しようとして、ポニーテールのシュシュを外す。別のゴムで結っていないので、柔らかな髪が、するりと降りた。

(まだ大丈夫なのかな?)

 優は試すような気持ちになってしまう。


「キスがサヨナラの証になるなんて悲しいな」

 友里は、優のしぐさに気付いているのか、いないのか、話を続ける。優はもう半歩近づいて、友里の頬を指の甲で、なぞる。人差し指で、髪を撫で、耳の後ろから撫でた。

 友里の体の傷への、優自身の耐えがたい罪悪感も、今は顔を出さなかった。友里からの好きの言葉は大きくて、思い出す度に心が暖まってくれる。

 関怜子せきれいこに沖縄の地で無責任に言った、「謝罪よりも思いを伝えればいい」と言う言葉も、自分の暗闇への眩しい光になっている。

 誰も、友里の傷のことを責めていない。優以外。


「全部思い出にして、死ぬときに”は~しあわせだったあ”って終わりたい」

「そうなるといいよね」

 優は、友里だけは遠い遠い未来にそうあってほしいと思った。ふんわりと笑って、親指で唇の下あたりを撫でるので、さすがに友里も、戸惑って優を見つめた。


「優ちゃんさっきからくすぐったいけど」

(バレた?)

 いたずらっ子のような顔で、微笑んで「くすぐったくしてるの」と言ってみた。


「な、なにそれ?」


 されている側の友里なのに、嬉しいような笑顔で迎えられて、優は困ってしまう。

(友里ちゃんって、どこまで怒らないのだろう……)

 優は今日はせっかく告白が出来て、幸せな気持ちなので、友里にひどいことをしたくないのだけど、──触っても、髪をほどいても、友里が、逃げるわけでもなく、おとなしく優の横に座っていてくれるので、まるで夢を見ているようで、欲張りになってしまった。


 いつもは、欲が出ると触れなくなるのに、告白の効果なのだろうか?友里に”ぜんぶあげる”と許しを得たからだろうか?

 大切な友里の体に触れることを、許されている気がしていた。優が、傷をつけてしまった、なんにでもなれた、友里のからだ。また、新たに汚してもいいのだろうか?

 不安は醜い風体をしていてチリリと罪悪感の蓋を掻く。


 ──遠い未来の、”誰か”のためにきれいな友里を、残さなくていいのか?


 親指で、友里の唇をなぞった。

 友里は、びくりとして、優を見つめると、じっと見つめてくる。向こうを向いていてくれれば、そのまま触れたのに、肩を抱く腕と反対側になってしまったので、空いてる左手で、友里の顎を撫でた。

「ん…」

 友里が甘い声を出してしまったことに、動揺したように目を泳がせた。優は親指を、唇の中に差入れて、友里が自分を呼ぶ声を聞きながら、舌をそっと触った。友里の歯をなぞる。

「や…!」

 声が聞こえて、否定された気がして、冷静になる。優は指を友里の口中からそっと外した。音が鳴って、息が止まっていたらしい友里が、息を荒げた。濡れた親指の指先を友里の唇に押し当てると、湿って、友里の唇が赤く光った。

「優ちゃん?」

 ことがよくわかっていない友里が、赤い頬で声を震わせて優を見ている。優は、鼓動で体が震えているようだった。

 (”誰かのため”に、汚したくないと思っていたのか?)と自分に問いかけた。


──”誰か”になんて、渡したくない。


「友里ちゃん…」

 声をかけてから、顔を近づけた。──キスをしていいか、聞くと断られる気がして、優は声が出せなかった。

(夢と違うな…)

 温度も、肌の質感も、呼吸も鼓動も、柔らかさも思っていた数倍の熱量だった。

 友里が、ぎゅうううっと目をつぶるので、愛おしすぎて、まずは頬に口づけをした。目元に、耳に、首筋に。髪ごと抱きしめて、指先に柔らかな髪が絡むのが楽しかった。友里の肩に顔をうずめて、鎖骨を舌先で舐め、もっときちんと友里を支えたくて、わき腹に手を差し入れた。肩が上がるとそのまま友里は優の首に手を回した。

「あ…っ」

 甘い声が聞こえて、優が瞳を開くと、ぎゅっとつぶっている友里の瞼が震えていた。かわいい。両腕がさまよって、優を押しのけようとしたのか、背中辺りにポスンとコブシが当たったが、やわやわの力しか出ないようだった。友里を抱きしめる優の背中にまた、そっと戻ってきた。

「かわいい」

 思わず言うと、(わたしのせりふですが)といういつもの顔で友里が眉間をしかめた。


「ふふ」

 優はまだ余裕そうな友里の下唇を、親指でなぞった。あごのラインに、他の指を滑らせて優しく撫で、柔らかな肌を楽しんだ。

 すこしだけ唇を開いて、友里の頬端を食べるようについばむ。

「優ちゃん…もう…」

 包むように抱きしめられてる優の腕の中で、じれったいような声で、友里が言った。(キスして、なのか、もうやめてなのか)優はこの期に及んで、友里の瞳を探る。瞳が涙でくるりと潤んで、そっと瞼を閉じられたので、肯定の合図だと思った。


「……──」


 優が、ふと視線を感じて、周囲をみるように、瞳をあげると、そこに、二番目の兄の彗がいた。


「た、ただいまあ……」


 ほとんど友里に乗りかかるように、友里の椅子に片足をのせていた優は、友里の背もたれ越しに2メートルほど離れて立っていた彗を見て、そのまま固まった。


 兄は、ぽやんとした笑顔で、真っ赤になりながら、ゆっくりと手を振った。



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