第137話 恋の材料
お客様にかけられた水のために、制服を着替えようとして、友里は、
「友里さん、ついに、一緒に入ります?」
「1分だから、待ってて」
村瀬の多少テレを含んだ軽口を完全に無視して、本当に1分弱で着替えて出てきた友里は、村瀬の拍手を受けた。
「私だって本気で言ってるわけじゃないんですよ、わきまえてますから」
「うん、わかってるよ」
友里が承認するように言うと、村瀬は少しだけときめいた顔をしたので、友里は顔をしかめた。
「そういう顔も素敵ですね」
「いつでも朗らかな、わたしでいたいのになあ」
友里は言うと、村瀬に着替えを促した。先にホールへ戻っていようと思うが、30秒ほどで慌てて男性用のウェイター風の制服に着替えてきたので友里はびっくりする。ベストの装着や髪をまとめるのを外の鏡ですることにして、時間短縮を図ったらしい。
「わたしおだんごはお手の物だから着替え早いのかも」
思わず友里はクラッシックバレエを習っていたおかげで、長い髪をおだんごにするのが得意と自慢した。
「バレエ!見てみたいです。友里さんのこと、知るほど好きになってしまう」
友里はすべての単語が、恋の
「ごめんね、わたし、あなたの気持ちにはこたえられないの」
友里は高岡とシミュレーションしたお断りセリフを、村瀬に言ってみた。
「え?」
眉を寄せて困ったようになった村瀬に対して、心の中で(効いた?!)ガッツポーズをした。
「いまの上目遣い、めちゃめちゃかわいいんですけど!?」
──友里より少しだけ背の高い村瀬には効かず、目をそらすことにした。
「無理なの!存在が無理!」
「同じ地球に住む仲間じゃないですか、それはひどいですよ」
「そ、それもそうだね?」
オロオロと戸惑った友里が言うので、村瀬は噴き出してしまう。
「友里さん、私を諦めさせようとしてるんですね?私が、あなたと話せるだけで嬉しいって忘れてません?チョロ……かわいいな」
おだんごをポンポンとやられてしまって、友里は思惑に気付かれて後ろめたい気持ちで二の句が継げず、最終的には「ふたりきりにならない!」を実践した。脱兎のごとく、ホールへ駆けだす。
村瀬もホールへ入ってきて、ホールスタッフの保科に挨拶をした。友里はさきほどの水の掃除をしてくれた他のスタッフにお礼を言った後、客用ベルに呼ばれて、仕事へ戻った。
「友里さんってなんであんなに、かわいいんですかね?」
保科はうっとりと水色のエプロンドレスで、4人分の食器を器用に1回で片づける友里を熱っぽい視線で眺めている村瀬に、呆れたような声で「身を引きなよ」と忠告した。
保科は「恋は、始めようとしているふたりでするものなんだから」と続けるが、村瀬が今まで、はじまってもない子に、断られたことはおろか、自分の恋が成就しなかったことが無かったことを告げると、末恐ろしい高校1年生に慄く。
「なおさら、かなわない恋なんて、しないに限ると思うんだけどな」
「かなわない恋をしないって、恋の醍醐味を知らないまでありますよ?」
村瀬は不敵に笑った。大学生の保科は、お手上げというように苦笑した。
休憩時間が一緒になった村瀬に、友里は驚く。
友里は、お昼を食べていなかったので、珍しく夕飯を戴いていた。友里が後に来たので、村瀬があわせたわけでもなく、非はない。配膳されたメニューを捨てて、休憩を取りやめにして戻るわけにもいかず、バックヤードに用意されたテーブルに座って、もそもそとご飯を食べていると、村瀬が隣の席に来た。
「友里さんって、駒井さん以外に何が好きなんですか?」
先に「駒井優」を禁止されて、友里は椅子を移動しながら、言葉に詰まる。
「プリン」
「かわいい、甘いモノ好きなんですね」
「……うん」
友里は心を無にして、村瀬の愛情表現を受け流すことにする。友里はどんなに口説かれても、自分が村瀬を好きだと思わない限り心に響くこともないと自分に言い聞かせた。時折、高岡とシミュレーションした言葉を織り交ぜつつ、優のたおやかさなどもプラスして、ごはんに集中することにした。
「友里さんへのプレゼントが、更衣室にあるんで、帰りに持って帰ってください。でっかく名前書いたんで、わかると思いますよ」
「貰えないわ」
「着てくれたら写真が見たいな、ルームウエアなんですけど」
「パジャマで写真は撮れないわ」
「大丈夫、全身なんて言わないんで、足だけでも」
「無理にきまってるでしょう?」
高岡のような口調で、ツンとして煮物を食べ、もぐもぐと嚙んでいると、村瀬にじっと見つめられて、とても居心地が悪かった。
「咀嚼だいたい、20回くらいですね。ちゃんとしてる。かわいい」
「……食べづらいから、数えるのは本当にやめてもらっていいかな?」
「すみません」
アハハと笑って、村瀬はスマートフォンに目を移した。友里はホッとして、ご飯の続きを楽しんだ。優がよく頼む和定食を見つめ、優を近くに感じて嬉しかった。
「友里さん、写真とっていいですか?」
「バイトの制服は恥ずかしいから困る」
「どこにも流出しないので」
断る間もなく、写真を撮られて、友里は胸を隠して嫌な顔をした。「それも可愛い」と言ってもう一度とられたので、「いい加減にして」と立ち上がろうとしたが、優に対して自分も同じことをたくさんしているなと思って、力なく座った。
「恋って──自分ではどうしようもないのかなあ」
「あれ、友里さんも恋になやんじゃうんですか?」
隣に座っている村瀬が、友里の顔を覗き込んだ。友里は、村瀬に対して少し明け透けになっている自分を感じながら、言葉をつづけた。嫌われてもいいので、なにを言ってもどうでもいいと思える相手は、初めてだった。
「楽しいと嬉しいだけで、生きて行きたいの。あんまり怒らせないで」
「えー、本気で怒った友里さんも見てみたいのに」
村瀬に言われて、友里は村瀬を見つめた。鼻筋がしっかりと通っていて、薄い皮と骨ばった顔の作りをしている。笑うと目元にクシャリと皺が出来る。下まつ毛の多い村瀬のまつげを、まじまじと見た。村瀬の大きな
「なにかに怒ったり、思いっきり泣いたりしてバランスとってると、色んなしがらみが思ってるよりサラッと消えたりするんですよね。次いこ!って喜楽に思える感じ。喜怒哀楽って伊達じゃないんだなって、私はおもいます」
村瀬は、サイクルを現すように、くるくると指を回した。
「素敵な考え方だけど、怒るって、疲れちゃうし、悲しいのも、いたたまれなくなっちゃう」
「友里さんって、緊張すると相手を笑かせるタイプですか?」
村瀬に言われて、友里はハッとして頷いた。
「疲れちゃいますよね、それ。2往復しかできなくて、視野が狭くなる気がします。でも、いろんな気持ちとこわごわ向き合ってる友里さんも、とってもかわいいな」
頬杖をついて村瀬がそう言うので、友里はなんとなく、身の置き所のないような気持ちになっていった。あと少しでご飯を食べきるのに、なかなか進まなかった。
「嬉しいと喜びはわりとひとりでもできるけど、怒るのも悲しむのも他人と関わってくるからですか?友里さんって、とっても優しいのかな。じゃあ私のこと、なにも知らないのに、恋を否定するのって友里さん的につらくないですか?」
友里は、高野豆腐をつまんで、口の中に入れた。なかなか嚙み切れないので、もぐもぐと、答えられない問いかけに黙ってしまう。
「私、モデルやってて。あとガールズバーでウェイターもやってます。ご存じの通り、スタンプも作ってて…あとは、友達が多くて、時間では駒井さんに敵わないかもだけど、友里さんが好きです。……何かほかに知りたいこと、ありませんか?」
優とは違う、少しだけかさかさしている甘ったるい声で、村瀬が友里にささやきかける。友里は、なにも村瀬の事を知らないことに気付いたが、それでも、踏み込みたいと思うのは優だけなので、呆れたように白米を箸で口に運んだ。
「……村瀬さんこそ、わたしの事なにも知らないのに、どうして好きなんて」
友里は、ごくりとご飯を飲み込んでから、村瀬に問いかけた。
「忘れられないから、ですかね」
村瀬は友里に少しだけ近づいて、そういった。友里は、椅子を離すのを忘れて、村瀬の言葉に耳を傾ける。
「学校では友里さんがいるかもって校庭とか廊下を見ちゃったり、嫌われちゃうからやめたいなって思うのに駅で待ち伏せしてみたり、一緒にいたいからバイトも入れる日はシフト交代して貰って……バイトの件は、不真面目な私には、ありえないことです」
(自慢することではない)と友里は思ったが、こちらから聞いた手前、黙って頷いた。
優がいるかと思って、学校の自動販売機をちらりとみてしまう友里にとって、その言葉は「わかる」で埋め尽くされていた。
「なにを見てても友里さんを考えてて、プレゼントもあげたいなって思ったら即買ってしまったり──恥ずかしいな、私のサイズじゃないんで、ほんと、もって帰ってくださいよ?」
村瀬が微笑みながら腕を振ると、肩がこつんと当たって、友里はハッとした。
「……キス距離ですが、我慢します。あの時より、もっと好きになってるんで」
言われて、友里は後ずさった。村瀬が椅子ごと転びそうになった友里の腕を掴んで、その胸に抱くので、友里は慌てて村瀬の体を向こうへ押しやった。村瀬は、壁に当たるが、髪を掻き上げて留めていたピンを直すと、心配そうな友里を安心させるために笑みを見せた。
「あ……!助けてもらったのに、ごめんなさい」
「大丈夫ですよ、気の強さも、最初から気に入ってるんで!」
書道室で、友里を抱きすくめた村瀬から逃れるために、足を踏もうと躍起になった友里の姿を語って「そこがかわいい」とステージパフォーマンスのようなジェスチャーで言い出すので、友里は無感情でいられず、思わず笑ってしまった。
「かわいい。友里さんの笑顔、好きです」
友里は、村瀬の言葉に戸惑っている自分に気付いて、食べかけの食器をもってバックヤードから逃げ出した。いますぐ、優に逢いたかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます