第56話 眠れない夜
優がお風呂から上がり、いつものように自室のドアを開けると、髪をポニーテールに結い上げた友里が振り向いた。
「おかえり!」
笑顔で優を迎えるが、優の動きが一瞬で止まってしまったので、友里は優のそばまで歩いて行った。
「おばさんが、しばらく優ちゃんのお部屋にいて、って…ダメだった?」
友里は優を見上げて、先程、長兄と家に諸々の持ち物を取りに行ったことや、母が優の母に食費を預けた件や、優の母が「うちの子になりなさいね」とにっこり笑ってくれた件などを、早口で教えた。
「わたしはひとりで大丈夫って言ったんだけど」
優が、ようやく起動して答えた。
「いや、一軒家にひとりって、心配だし、それはわかるんだけど。さすがに、客室じゃないの…?」
「用意が明日になるって…」
友里は優が拒絶しているように感じて、理由を必死に考えて、”忙しい優の勉強の邪魔になってしまう”と気づいた。
「そうだよね、聞いてくる」
友里が一人で結論付けて、廊下へ駆けだそうとしたので、優は友里の腕を掴んだ。
「ごめん──、いかないで」
「…いいの?」
「うん……」
友里は、優を見上げるが、いつものように見つめ返してくれないので、目を泳がせた。所在なさげに、うつむいていると、肩を抱かれて、優の部屋にいつもより強い力で強引に引き戻された。ぱたりと扉が閉められ、そのまま、扉の前で抱きしめられて、友里は戸惑ってしまう。
──相手の事を知りたいと思うのが、恋の証拠らしい。しかし知ってしまうと、飽きも早いと……──ならば、お互いのことを持て余すほど知っているのに、恋に落ちてしまった幼馴染が、体を重ねたら、どうなるのか。
──知りたいと、思うのは罪だろうか。
「優ちゃん…?」
優の体からお風呂上がりの香りと、あたたかな上気を感じて、友里はうっとりした。(ユウチャンカワイイ!)と鳴いた。友里は、優の背中に手を回して、優の濃紺のパジャマの胸に頬をうずめると、自分から優を抱きしめた。
「……友里ちゃんは、ほんと…ずるい」
かすれたような声になってしまい、優は喉を一度鳴らした。優は友里の手のひらを背中に感じながら言った。
「なにもわかってない…!」
すっかり”負けました”と書いてるプラカードが背中についている気持ちの優は、友里の肌を、もっと感じたくて、知りたくて、きつく抱きしめてしまう。ドアを支えに、ずるずると床に落ちていく。
床にごろんと友里を押し倒した。友里のふわふわした長いポニーテールが、優の部屋のダークブラウンの床に広がる。友里はまっすぐ優を見つめた。
家に戻ったはずなのに、友里はまだ優の貸した服を着たままだった。見知った服が、別のものに見えて剝ぎ取りたかった。
「優ちゃんは、どの角度でもかわいいな」
「かわいい…のかなあ?」
床の上で、友里の小さな体を抱きすくめた。(わたしが重くないのかな)と思いながら、優は友里の体を浅く持ち上げ、スポーツブラの線をなぞる。背中の、背骨で浮きになっている部分で中指を止めた。
「くっすぐったい!」
友里はくすくすと笑って腰を支えに片足を曲げた。そのまま優の体に足を絡めるので、優はドキンと心臓が鳴った。
服の上からではわからないが、友里の背中の傷を直接なぞりたくて、喉がごくりとなった。服をそっとまくり上げて…。
やめた。
家に家族が、全員そろっていて、そろそろ寝静まる時間だ。
──冷静になっていくのがわかり、優は息を吐きだした。耳のほうまで心臓の音がして、呼吸が荒かった。目の周りがアツイ。
「もう…友里ちゃんは…──本当にわたしをなんだと思ってるの?」
「好きだよ、だいすき」
ニコニコ笑いながら胸に抱き着いて言うので、優は呆れてしまう。いくらなんでも、優を信頼しすぎていて、危機感がない。ただのスキンシップとおもっているのだろうか?
どこまで行けば意識してもらえるのか、試してみたくなってしまうが、そこまでしてしまったらもう、止めることは出来なそうだった。
「そういえば」
優は、むりやり頭を冷やすように、がばりと、友里から離れた。エスコートするように手をつないで上半身を起き上がらせる。歩くと、部屋のラグの上にふかふかの座布団を置き、座ってもらう。
その横に、自分は座布団なしで座り、ベッドにもたれ掛かった。
「今日、彗兄に送ってもらったじゃない?友里ちゃんのバイト先にも、回って貰おうかって話してたんだ」
「えっいいの?」
「これからどんどん寒くなるでしょ?どうせ通り道なのに、友里ちゃんをのせないなんておかしいよ」
まったく会話を違うものにして、優は友里を覗き込む。「でも自転車が」と友里が戸惑うが、彗の車には自転車を積むことができると伝えると、笑顔になった。
「じゃあ、たまにならお言葉に甘えようかな!」
「うん、彗兄にも言っておくね!連絡するから、バイト先で待ってて」
「来週は、傘かしてくれた子に帰り道で逢わなきゃだから、わすれないようにしなきゃ!」
友里は、傘を貸してくれたギャルの経緯を、優に説明した。
「ヘエ、優しい子がいるもんだね」
「ねー、すごい!しかもラブラブなの、恋人をお迎えにいくんだって!」
「相合傘かあ…」
「優ちゃんも憧れちゃう?」
ニヨニヨした顔で、友里に言われて、優は先程から負けっぱなしなので、意地悪な気持ちで笑顔を作った。
「…傘なんてなくても、恋人とはこうして近付けるし…」
友里の肩を抱きしめて、指をつないだ。さすがの友里も、話の脈略から赤くなってくれる。こうやって少しずつ、恋人ムーブをすれば理解してくれることは、わかっているのだが、優が友里をかわいいと思うタイミングが、友里にとっては当たり前すぎるのか、なかなか”そういうムード”に気付いてくれなくて、優は苦労する。
「それに身長差がありすぎて、友里ちゃんを雨で濡らしてしまいそうだな」
友里は「くしゅん」とくしゃみをして恥ずかしがったのか、「くしゃみ大きいかな!?」と叫んでいるので笑ってしまう。友里が夜の闇のなかで、雨に打たれていたことを優は思い出した。
「ごめん、今日は早く寝ようか?」
「優ちゃん、大好きだよ!」
「えっ!?」
「あ、優ちゃんはお勉強するの?」
「……いまの、なんで挟んだの?」
「え?言いたかったから──?」
沈黙が流れる。指先は絡めたままなので、どういう方向へ行けばいいか、優が考える。肩を抱いていた手のひらで、友里の髪を撫でた。もしかして、さっきの続きをしたいと思っているのだろうか?
「そう……えーと今日は、もうお勉強は、しないよ、できないよ。一緒に寝る…」
「一緒に!?」
「え、ち、ちがう!一緒に消灯?!ベッドと、お布団にわかれて!!!」
「そうだよねえ~~も~~~」
お互いにちぐはぐな会話をしている事に気付くと、真っ赤になって、早口で言うと、おやすみと言い合って、それはもう、すぐに電気を消した。優と友里はお布団とベッドに分かれ、眠れない夜を過ごすことになる。
(なんだ……。友里ちゃんも、わたしにどきどきしているのか…?)
優は当たり前のことを思って、夜目に慣れてきたので、眠る友里をちらりとみた。まだ眠っていないのか、百面相をしている。
(かわいい……)
(わたし…、頼むから変な夢を見ないでくれよ……)
ベッドの中で、優は唸り、友里に背を向けた。羽毛布団がガサリと鳴る音が妙に大きく感じた。
優の1日1枚進めば良いワークは、合計で8枚ほど進んでいたので、貯金が1枚、減った。
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