第55話 この恋に祝福をもらえなくても


 駒井家に入ると、優の母親があわててタオルを持ってきてくれた。友里の家の3倍は柔らかく厚手の真っ白なタオルで、包まれて、友里は驚く。

「お母さんお風呂って沸いてる?」

 優が冷えた友里の体を抱きしめながら、母にそう聞くと「もちろん」と言われたので、お礼を告げて、お風呂場に案内する。

「じゃあ、友里ちゃん」

 脱衣所で友里を一人残して帰ろうとした優に、母が声をかける。

「優も一緒に入ったら?もう勉強する時間でしょ」

 母の言い分に、優はなにもない自宅の廊下で躓いた。珍しいことなので、母が目を見開いて心配した。

「……わたしはあとでいいです」

 唸るような優の顔や声に、(あら、お父さんそっくり)と母は感心した。

「え、優ちゃん悪いよ」

「友里ちゃん……いいから、風邪ひいちゃう」

 せっかく恋人同士になったのに、危機感のない友里に、優は愛しいと思いながらも残酷だなと、思った。恋人同士になって初めての、お風呂に一緒に入るなんて特別なイベントを、家族が全員いる自宅でなんて、優としては絶対に避けたい。

「忘れたの?うちのお風呂って友里ちゃんちの大きいお風呂と違って、浴槽は浅いし、全部見えちゃうよ」

 仕方ないので、友里に気付かせるために、優がそういうと、友里はようやく意味を理解して、「お先に頂きます」と真っ赤な顔であいさつをして、お風呂へ向かった。

「どれがシャンプーかくらいは、説明してあげたら?」

 兄達に言われて、優がもう一度脱衣所へ戻る。ドアの外からなにか叫んで、さらに着替えもと結局、バタバタ何度も往復している。鳥の親子みたいに従順だ。



「……優は友里ちゃんがいると動揺するなぁ」

 シルバーウィークに大幅に出遅れて休みを頂いた長兄のはるは、眼鏡のブリッジを長い中指でおさえて眼鏡の位置を直しながら、iPadで電子版の新聞を読みつつ言った。

「でもかわいいよ、ふたりは」

 初期研修医の次男・すいは帰宅したばかりの自分の洋服を壁に備えてある洗濯用ハンガーにかけて、衣料用除菌スチームをかけている。ジャケットの皺がみるみる取れて嬉しそうだ。

「友里ちゃんにはわるいが、すまん、俺はもう寝る…」

 三男のせいは大学生。大学で文化祭が行われている時期なので、休講が多く、眠るためだけに自宅へ戻ってきていた。

 全員、高身長で優の母親である芙美子に似た、優しい整った顔をしている。

 女子の優だけが、父親にそっくりで、母は優のことを子どもとしてきちんと愛しているが、ふとした瞬間に夫にそっくりで驚くことがある。


「茶色い四角いボトルがシャンプーで、白の四角がリンス、丸くて白い細いボトルがボディソープで、一番細い茶色の透明なボトルが湯上りに塗るローションだよ、せっけんも置いておくね、上の青いシリーズは父たちのモノだから目がスースーするよ」


 優に言われたことを思い出しながら、友里は友里の自室程ある、美しいお風呂に緊張しながら入った。よくお泊りをするが、何度入っても緊張してしまう。脱衣所から洗面所へ続く長い鏡や、外からは見えないだろうけれど天井までの大きな窓も、裸の自分が心もとなくなって、ドキドキしてしまう。優に言われた通り、広い真っ白な浴槽は、浅く、寝転んで入れるものだった。浴槽につかると、脇や背中から泡が出てきて、声を上げてしまう。


 友里はピカピカになって、お風呂から出てきた。駒井家の母からカギを貰う暇もなかったし、優が勝手に友里の部屋を物色することもできなかったので、着替えを持って来ることが出来ず、優が新品のスポーツブラや下着を貸した。ロンTとハーフパンツを合わせたが、袖は長すぎたし、パンツもくるぶしに届きそうになっている。

「うん……」

 優はその言葉に色々な感情を乗せた。友里は大きく余った服のせいで逆に体の線をだしながら、優の家の香りになっていて、優はクラリと脳が揺れた。思わず袖は折りたたませてもらう。


「髪、まだ濡れてるよ」

「ドライヤーがどこかわからなかった」

 友里に言われて、優はハッと思い出す。

「え、そうかごめん、来て」

 洗面所にある、背もたれのないタイプの少し背の高い籐スツールに友里を座らせ、優は前回友里が泊った時と変更した、鏡になっている扉からドライヤーを取り出すと、友里の髪を乾かし始めた。大きいものに替えたので、ここにしか入らなくなったのだ。優のショートカットなら1分かからない。

 友里の背中までの長いふわふわの髪が、いつもよりもふわふわとして、優の家の香りになっている。

(こんなの…耐えられない、誰だ、”しばらく駒井家うちに住むことになっても大丈夫”とか言っていたの…!)

 優は自分自身を恨みながら、友里のお世話をかいがいしくしてしまう。居間や自室で自分のことに没頭して待てばいいのに、それもそわそわしてしまって、じっとしていられなかった。

「優ちゃん、髪の毛を乾かすの上手だねえ、ねむくなっちゃう」

 鏡越しの友里を見ていたが、瞼を閉じて言う友里の声に下を見やると、優のサイズのスポブラから、胸の肉がはみ出て、服の上からでも輪郭がわかるほどになっていて、申し訳なく思う。優はフルフラットなので、サイズなどはあまり確認していない。筋肉があるので、M~Lを買っているくらい。

「下着、きつくない?すぐお家にとりに行こうね」

「大丈夫、すごいフィットしてる感じ。貸してくれてありがとう、こればっかりは新品で返すね。茉莉花さんの恋人さんにも相談してるんだけど、アンダーがおかしいっていうか、胸って…サイズ…ちゃんと測ったほうがいいのかなあ」

 友里は自分の胸をわき腹から持ち上げるように両手で持って、華奢な体の割に大きめな胸を、ゆさゆさと揺らした。わりと緩く広がるスポブラの中に肉を収めると、服の首の部分から指を入れて肩の紐を直した。鎖骨があらわになる。


「んん──!!」

「あ、ごめん、はしたないね」


(──敗北 と書かれたプラカードが背中に立ちそう)

 優は、しかし、友里の誘惑に打ち勝った。ドライヤーのスイッチを切る。

 友里の髪が乾き、指の隙間からスルスルと零れ落ちてくのを見てから、友里を居間に案内すると、母親に頼み、優は自分もお風呂に入ることにした。



「友里ちゃんにわたしにたいする危機感はないのか…」

 浴槽で一人、状況を呪って唸って、両手で顔を覆う。


 駒井家の家族に、友里と恋人になったことは、まだ話していない。

 当然だ。

 恋人ができたと、家族に話してしまう人も多いのはわかっているが、同性の幼馴染で、小学校の時に傷をつけてしまった女の子を、自分の恋人にしました、なんて、なかなか言い出せない。

 家族にだいぶ心配をかけてしまった時期もある。


 二番目の兄はぽやんとしているので、優と友里の関係が少し変化したくらいでは気付かなそうだが、しかし、長兄と母はカンが鋭いので、宣言する前にバレてしまいそうだ。黙っているか、父にだけ相談をしそうではある。三番目の兄はリア充を全て爆破するタイプだが鈍感なので、何度も恋のチャンスを棒に振っているのをみてきたから、こちらからアクションをしない限り攻撃はしてこない。父は本当に掴めないところがあるが、あまり反対しなそうだなとたかをくくっている。


 家族に、友里を恋人にしたと、いつか、当たり前に紹介してみたいと思った。

(お正月くらいかな…すごい反対されそう……)

 優はぼんやりとした予定を立てた。

 自分の親よりも、友里のご両親に、なんて言えばいいのかもわからないのに。



 たとえ、この恋に祝福をもらえなくても、嬉しくて、浮かれてはいることを、優は自覚した。

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