第49話 夜に駆けだす
「生きてますよ!」
関怜子の笑顔を見ながら、友里は樹脂製のベンチに座って、シークワーサージュースを飲んだ。優はいつも通りに見えて、暖かい紅茶をのみながら、ホッとしているのが見て取れて、友里は可愛くて顔がにやけてしまう。酸っぱさも何も感じない。
通りがかったのか、探しに来たのか、関のクラスの女子に「関ちゃん、お風呂どーする?」など話し掛けられて、「あとで、はいるよっ」と断ってくれた姿は、全く生き生きと生きている人間だ。元気な体温に満ち満ちている。優と友里に、国見真知子の説明をしてくれるために走り来てくれた。
「真知子ちゃんは、”心因性視覚障害”とか”離人感”とか精神疾患の診断をされてます。視力低下とか、日常生活に支障のあるタイプではなくて、わたしだけがわからないんです」
友里は優を見つめる。そんな病気があるのも初めて聞いた。
優は関に向き直って言う。
「…つらいね」
関は、ボンと顔を真っ赤にした。普通に東奔西走、霊的な迷惑をかけている国見真知子の説明をする関は、いつも国見の件で謝っても、あまり大げさにとられないように、道化のように演じてきたつもりだったので、労われて驚いてしまう。
「や、いや、そんなの初めていわれました」
戸惑ったように、三つ編みをちょんちょんと握って、優を見る。
「もう慣れました。──わたしだけのために治療するのもバカらしいと真知子ちゃんのご両親に言われちゃって…!わたし、死んだことにされたんですよね」
いつもはそこまで説明しないのに、焦りすぎて優と友里に言ってしまった関は、小さな手で自分の薄い唇をおさえた。関はまたも明るい髪の、三つ編みの先をいじってキョロキョロしてからまだ本当はなにか隠しているような仕草で、「ごめんなさい」と言った。
「あの、それで、駒井優さん、さっき真知子ちゃんが、きたのですはね、自由行動で遊んでほしいみたいなんですよね」
友里が優をみた。優は当たり前にみたいに友里とふたりで回るつもりだったので、今知り合ったばかりの人に時間をとるわけはなかった。他の子からの誘いも全部断っている。そもそもなぜ、関がこんなに国見のためにつくしているのかもわからない。
「…なにか、ふたりだけの事情があるの?」
友里は、疑問に思ったことをすぐ口に出してしまう。(事情があるとしても、今日初めて話した同級生なだけの相手に、話すわけはないだろうけれど)、優はそう思いながら、腕組みをした。
「あー…別に、そういうわけじゃなくて…、まあいいじゃないですか!そう言うわけで、真知子ちゃんがわたしだけ見えない仕草、経理の子たちはみんな知ってますんで、ほんと、おばけみたいに感じるかもですけど!めっちゃ生きてますので、よろしくお願いします!」
やはり話すわけもなく、冷静さを取り戻したのか、道化のような喋り方になって、スッと立ち上がると、関は一礼して、ふたりに謝ったあと足音も立てずに大浴場へ向かっていった。
「えー、そんな病気あるんだね、大変だ」
友里は今呼吸を再開したように大きく息をついて、優に言う。
「もしも優ちゃんだけ見えなくなったら、耐えられないなあ…」
「死んだと思いこむのも、つらいかも」
友里の言葉に、優も続けた。
お互いを見つめる。もしも、見えなくなったら?そばにいなくなったら?
友里は告白はしないと萌果に豪語したにも関わらず、今ならきちんと気持ちが伝わるのでは?と思った。
「…優ちゃん」
「うん」
心臓がばくばくして、なかなか続きが言えなかった。優が微笑んで友里の言葉を待っている。
「あ、自由行動!」
「ああ…うん、一緒にまわろうね」
違う話題を出して、友里は話を終わらせてしまう。それも大事だが、今言いたいことは全く違うセリフだ。
「駒井くん!ねえうちらの部屋でトランプしよ!」
3人の女子が、お風呂上がりの匂いを漂わせながら、短パンにTシャツ姿で優の回りを取り囲んだ。友里は座っていたベンチから、追い出されてしまう。久しぶりにみた光景に、(みんな彼氏が出来たんじゃなかったっけ?)と友里は困惑した。
「彼氏はいいの?」
優もまず、問いかけた。
「あ〜、今は美しいものを見ていたい…っていうかあ~、あ~~毛穴レスっていいよね!」
「うん、男子は部屋に呼んじゃダメだし〜」
口々に優の腕に絡みつき、背中や頬を撫で、誘い、しなだれかかる。
「そう言う理由なら優ちゃんはお貸しできません!」
友里が優に絡み付く、妖艶な女子たちの中に割って入る。
「はあ?なに、荒井!入ってくんなよ!」
乱暴な声に、一瞬ひるむが、友里は優の腕を掴んだ。
「いこっ」
優の手を引いて、友里はホテルの廊下を走り出す。
「荒井友里!あんたなにしてんのー!」
後ろから叫ばれたが、競歩大会で鍛えられたふたりに、普通の女子が追い付けるはずもなかった。
「友里ちゃん、いいの?」
いつもは女の子の団体には逃げ出す友里なので、優は問いかける。朱織にも言われたのだ、優がいない場所で、友里が大変な目にあっていることを。あんなことをしたら、あとで大変なのでは?
「大丈夫!!!!」
はあはあと肩で息をして、友里は叫んだ。ホテルの誰もいないところまで、走り抜けたかった。優はしっかりと、手を握られながら友里に寄り添って走っている。
「王子さまだといいはるなら、仕方ない、途中までは気持ちわかる!って思ってたけど、彼氏のかわりなんて失礼すぎるもん!」
ピタリと止まって、優の両腕を掴んで、友里は優を見上げて大声で言った。
「優ちゃん一筋じゃなきゃ、譲れないよ!」
優は友里をまっすぐ見つめて、その真剣な眼差しにときめいた後、やはりちょっと噴き出してしまう。
「途中までは気持ちが一緒だから、譲ってくれてたの?」
「やはり国宝独り占めはよくないかな、と思ってて…」
優は友里を守るつもりで、女子たちを甘んじて引き受けていたところがあった。それに他の女子なら、どうせいつか飽きるだろうと本気で思っていた。笑ってしまう。
「そかあ…友里ちゃんは強いな」
ひとり、自分が可笑しくて笑ってしまう。
「あ、でもちゃんと女子怖い!とは思って逃げてたよ!逃げ癖がある!」
「怖いよね」
「うん」
ふたりで笑いあって、ホテルの裏手の庭園まで走ってきていたことに気付いた。点呼の時間まで、あと1時間はあるが、部屋のお風呂に入らないとそろそろみんなが大浴場から戻り始めてしまう。団体行動のつらいところだ。
「そういえば、優ちゃんはなんで個人でお風呂なの?」
「…なんか、絶対イヤってクラスの子にいわれちゃった」
「えー………」
「なに?その長い”えー”?」
自分は優と一緒に入ったことがあるので、友里はドキリとした。(そうだった、自覚が曖昧だったとはいえ、なんてことを…。)クラスの女子たちも、ガチ恋勢だったら無理だろうな、と思い友里は否定とも肯定ともつかない、”えー”を繰り広げてしまった。
「……部屋に戻らなきゃだね」
「うん、そうだね」
修学旅行は、時間も、気持ちもハードだ。沈黙が流れて、まだ離れたくない気持ちでお互いに手を繋いだ。
「友里ちゃんと、キチンとお話ししなきゃと思っていたんだ」
優が、そっと言った。友里は、ドキンと心臓が高まるのを感じた。
「なんの、はなし?」
それきり、沈黙と友里の呼吸を整える音が、修学旅行の夜を包んだ。
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