第36話 宿泊


 鳥のさえずりが高く響いて、3人は車内で、ハッと目覚めた。見知らぬ箱根の山で、一泊してしまった。 

 明日には予備校の模試がある優は、もう帰りたかったが、茉莉花が急にエンプティを訴えてきたので、仕方なく一泊を許した。

 夏休みで、有名なお宿はみんな満室。早朝にも関わらず、茉莉花が懇意にしている箱根湯本のお宿へ直接訪ねてみたところ、2名様用の1部屋を3人で使ってもいいならご用意できるというので、3人はホッと胸をなで下ろした。無理をきいていただいたお礼に茉莉花が中居や若女将に心づけを渡しているのを友里は見た。若女将は「私とあなたの仲でしょう!」と言って茉莉花の背中を叩いてふたりがニコニコしていたので、友里は大人の世界を垣間見ているようでドキドキした。


 小ぶりだが個室風呂もついているとてもいいお部屋で、友里は息をのむ。


「すごいお部屋だねえ」

「茉莉花に払わせればいいから、気にしなくていいよ」

 優は昨日からずっとからかわれているような気持だったので、すっかり茉莉花に対してなげやりになっていた。(そんな優ちゃんも新鮮でかわいい・・・・・!)友里は通常運転だった。


「優ちゃん、どっちで寝る?わたしは、はじっこがいいなあ」

「茉莉花もはじっこがいいなあ♡」

茉莉花のしなをみて、優は冷ややかな目線を送る。いや、こういうところがダメなんだっけ?もう頭が働かなくて、優は頭痛を覚えた。

「……わたしはすみっこがいい」

「あ、優ちゃん、そしたらわたしがまんなかでいいからね」

 二間続きの奥座敷に優し気な中居さんが、疲れ果てている3人のために、早速お布団を用意してくれた。友里に気を遣わせることはないので、優は真ん中をチョイスした。これから川の字で眠る。



「こんなに気の休まらない旅行ははじめてだ」

 どろどろに疲れた優はそのまま眠るわけにもいかず、まずはお風呂に入らせてもらった。茉莉花と早朝の大浴場を独り占めさせてもらっている。お風呂で、独り言のようにつぶやいた。

「ごめんって。でもわりと楽しいでしょう? ──いいお湯ねえ、こんなのめったにないんだから!」

 隣でお湯を楽しむ茉莉花に、軽く謝られて、優は「明日のあさイチで帰してよね」とお願いした。茉莉花はもちろんという顔をして「だから今日は、お宿を楽しんで!」とウインクした。

 茉莉花は、友里も大浴場に誘ったが、友里は知らない場所で肌を見せることをおそれた。見知らぬ人に、裸で逃げることのできない状況で、唐突に傷の説明を求められる事があるからだ。温泉のバイトでの入浴は、気心のしれた数人しか一緒に入らないし、むしろ温泉にたのしくはいることができて、続けているそうだ。

「こんなに人がいないのなら、友里ちゃんもきっと入れたね」

 優が言うと、茉莉花は、ぽちゃんとお湯で遊びながら、

「あら、一緒に入れるの?優って大胆ね」と笑った。


 いつかの入浴を思い出して、優は噴いた。

「わたしと一緒に、ではなくて!友里ちゃんが…!!ひとりで!!」

 優は本当に友里のことを思って言った一言だったので、心外だった。むせながら、同性のパートナーがいる茉莉花に、失礼にならないように、どう聞けばいいか考えあぐねて、咳払いをして落ち着いてから素直な言葉で聞いてみる。


「…片思いの人と、お風呂にはいるような時はどうすればいいの…?」


 優は長年の疑問であったことを、茉莉花にきいてみた。他人に聞いたら失礼だろうし、子どもの頃から頼れる叔母であることは確かなので、答えを持っているだろうと考えた。


「私の場合?理性がサヨナラしてキスしちゃったわ!」

 あはは!と大きな口を広げて笑い、あけすけに言われて、優は顔を真っ赤にした。

「──もう出る……先に寝てるかも」

 すっかり疲れ切って、優はあくびを一つ。茉莉花はまだまだお湯を堪能してから行くわね、とその背中に言った。


「ねえ、優、なにを恐れてるの?」


 優はその言葉に似合う言葉を持っていなかったので、振り向きもせずお風呂場を後にした。


 :::::::::::::::::::::::::::::::::::


 部屋に戻ると、友里が、お布団もかけずに真ん中の布団で眠っていた。時間は朝の9時。車内で少し眠ったとはいえ、徹夜のようなもので、友里の気持ちもわかる優は、浴衣姿の友里をそっと持ち上げて、お布団の中に戻してあげる。

 さすがに正体のない友里の下着が見えても、動揺しないようになってきた。旅館で購入した、お揃いのスポーツ用下着で、浴衣が脱げても運動ができるくらいの格好。ビキニスタイルに若干の羞恥心が生まれるくらい。起きていれば別だろうけど。

 優も横になって、友里の眠る姿を眺めた。髪を乾かしている最中で寝落ちしてしまったようだ。ドライヤーがそのままになっていることに気付いた。友里の髪の先が少し濡れてて、長いと大変だなと、続きをしてあげようとおもったがドライヤーの音で起きても可哀想なので、頭の下に乾いたタオルをひいた。

 またお布団に、こじんまりと優は戻った。

 上に向いて、さすがに寝ようとすると「うふふ」と笑って友里が寝言を言った。

「…優ちゃん、かわいいねえ」


(寝言…まで)

 優は、友里の寝言を初めて聞いた。しかもその夢に、自分が出ているようだった。せっかくなら、素敵であれと願いをかけて、友里の寝姿を見守る。


(はじっこ、譲ってくれたのかな、友里ちゃん)


 気遣いを感じて、心が温まる。まったく茉莉花の自由ぶりにはあきれるが、(この旅自体には感謝していることは伝えてあげようかな)うっすらと考えながら、意識を手放した。

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