第34話 口実

 

 友里が川に落ちた頃、優の母親は心が壊れてしまったようになった優をつれて、友里が目覚めるまで、茉莉花まりかのいるアメリカに逗留していた時期があった。

 (無口な子だな)と思っていたが、3日も経つと優が流暢な英語を話しだしたので、茉莉花は驚いたものだった。2週間後、友里が目覚めた頃、優たちはすぐに帰国したが、それから夏休みになると家族旅行から脱出して、毎年1週間ほど茉莉花の元へ来て、過ごしたりしていた時期もあった。

 おりこうさんで美しい優が、昔から饒舌になる話題と言えば、「荒井友里ちゃん」の件だったので、茉莉花は荒井友里についてかなり詳しいつもりでいた。


「…かわいいわね」

 実際会ってみると優の補正もかなり入ってるということに気付く。優は友里のことを『いつでも助けてくれる、かっこいい人』と茉莉花に告げていた。優から聞く友里のイメージと動物で例えると、『頼りになる相棒犬』だとしたら、実際の友里は『ケージの中で一生懸命に走るハムスター』のように思えた。それでもかわいいことには変わりはないが。

 

 子どものようにグリグリわしゃわしゃと体中をまさぐられて、友里は戸惑う。大人の香水の香りに酔いそうで、無意識だが真っ赤になってしまう。

「あらほんと、体のわりに、おおきめなのね」

「あっくすぐったい…です!」


 お茶をいれに行かされていた優は、ドアを開けた瞬間、友里が襲われているような光景が飛び込んできて、怒りに震えた。お茶を落としそうになる。

 友里の半袖の黒いTシャツはまくられ、下着も外されているのか袖から下に肩紐が出ている。ハーフパンツも半分落ちて、片方の腰骨が見えていた。

 友里の胸をまさぐっていた茉莉花は、ハンズアップして降参する。友里はもう何度かわからないが、呼吸を整えながら床にうずくまった。

「──どうしてそう、デリカシーがないの?」

 お茶を机に置いてから、静かな青い炎がみえるような優が、低い声で茉莉花に迫る。茉莉花の人柄を知っている優は、本当に襲っているわけではないと頭でわかっているのだが、どうしても我慢できなかった。

「…ごめんなさい」

「友里ちゃん大丈夫?怪我してない?殺しておくから部屋から出てて」

「優ちゃん!?大丈夫だよ???」

 物騒な事を言いだす優に、慌てて起き上がった友里が制止に入るが、優は止まらない。

「大丈夫じゃないよ!茉莉花なら、デリケートゾーンをさわる関係にある人はどういう人間かくらいわかるでしょ」

 怒りで優はそう言ってしまう。

「あの、違うの」

 友里が外れたブラと服を大急ぎで直しながら、優を抱きしめて抑える。

「…茉莉花さんの、パートナーがどういう方なのかお聞きしてたら、お相手が骨格とかのパーソナルトレーナーなんだって!ちょうどSkypeがかかってきて、なにかお悩みあるの?ってきかれたから、──アンダーの大きさがあまり変わらないから、どうしたら痩せられるのか聞いてたら、お相手のアヴァさんが茉莉花さんに大体でイイから大きさをって、計ってくれたのに、わたしがくすぐったくて動いちゃったから」

 友里が茉莉花のスマホを指差した。スマホのほうから女性の声が優に必死に話しかけているのがわかる。「Hi I'm Ava, I was looking forward to seeing you, I'm sorry for this encounter.」謝ってることだけは友里にも聞き取れた。

 優がなにか答えて、相手が納得している。茉莉花もお礼となにか一言添えて、ちゅッと投げキッスをして切った。

「到着したら連絡するわねっていってあったのすっかりわすれてたら、仕事終わりの向こうから来たのよ。あとでデータ聞いておくわ、スマホの番号を教えて友里ちゃん」

 アメリカは夜の8時半。茉莉花が時差ぼけするとも思えないが、まだ夜のテンションなのかもしれない。優はまだ釈然としない気持ちをかかえたまま、お茶を配膳した。せっかく日本に帰国したので緑茶が飲みたいというから、温度を気を付けてゆっくりいれてきたのが仇となった気がした。

「優がいれてくれると美味しいわね!」

「水が違うだけでしょう」


「ほんとに、全然違いますよね」

「友里ちゃんが喜んでくれて良かった」

 茉莉花には冷たく答える優だったが、友里の笑顔には弱い優だった。

「やあね、人で態度を変える女は嫌われるわよ」

 茉莉花にいわれて優はぐうと唸った。誰にでも冷たいけれど、友里にのみ優しいだけなのに。

「友里ちゃんだっていつも笑顔の優が好きよね」

「それはもう…!でも時々冷たい表情してる優ちゃんも最高にかわいくて、涼しげあでやか!ってなるんです!優しい目のほんわかした春の日射し感も好きなんですけど、寒いけど雪冬の山際の空が紫色になるのを見ることが好きみたいなあの感じです!瞳の色彩がすこーしだけ揺れてて、それはそれは趣があるんですよ!伏せた睫もこの世のものとは思えないほど素晴らしいですしね!優ちゃんで感じる春夏秋冬。しっとりつややか可愛い!!それで……」

 早口で続ける友里に、茉莉花は指を指して優をじっと見た。友里は最高にキラキラしている。

「通常運転だよ、”おはよう””お休み””イイ天気”ですね、くらいの感覚で……」

 優は茉莉花にきかれて、久しぶりに照れたようにそう言ったが、冷たい部分も愛されてたことに、心底驚いていた。──それはそうか、友里だって優の他人への態度を見ている。今後は気を付けようと思った。愛が覚めた時の態度だと思われて、嫌われたら困る。


「あら、友里ちゃんて優の外見だけなの?」

「外見はそりゃ~~~!大好きですけど、中身が伴わないとやっぱりだめですね、すべての感情は中身ありき、長年の行動ありきですね…咄嗟の判断力はもちろん、計画性も高し…優しくてりりしくて、淑女で、所作の美しさだって努力や気遣いの塊でしょう!ほんと頑張り屋さんなんです。で時々あまえんぼになってくれたり、わがまましちゃってるとこもイイ!芯が通ってるいろんな優ちゃんをしってるからかわいく見えるというか!」


 友里がそう言うので、優は思わず茉莉花の存在を忘れて見とれてしまう。


「口説き文句がすごいわね」

 茉莉花にいわれて、「クドッ」と友里が鳴いた。口説いてるつもりは全くないらしい。それはそれで罪深いわね、と茉莉花は優に同情した。(付き合ってないのなら生殺しね)と耳打ちすると、優に睨まれて、可笑しくて笑った。


「でも優は王子さま扱いされることが多いでしょ」

「そうなんですよ、解せない」

 茉莉花はカラーコンタクトを入れた金色の瞳で、自分のアゴに手をおいて意地悪そうに友里をみやる。

「友里ちゃんが何を言おうと世間の評価がそれなのだから、優はみんなの憧れ王子さまとして生きるしかないんじゃない?」

 茉莉花が言う。友里はいつも、──いつもその結論に怒っていた。「優・淑女計画!」と銘打って優を着飾らせたりはしたが、優本人を見ていればおのずとわかることを、なぜ世間が気付かないのか…!


「わたしにとって、優ちゃんは世界で一番かわいいし、淑女だし、それをみんなに認めてほしくて、暴走したりするんですけど、──…優ちゃん本人を見てほしい、優ちゃんがどう生きようと生き方を決めるのは優ちゃん本人だと思ってます」


「友里ちゃん…」

 優が、ほんの少しだけ茉莉花の存在に感謝した。こうして、聞いてくれる人がいるから、友里の”優ちゃん、かわいい”以外の主張を聞くことができる。

 大好きな友里に、大切にされている実感で胸が熱くなった。


「降参するわ」

「?」


「意地悪な質問してごめんね!」

 茉莉花は友里に、というより、優にウインクした。優は途中から友里を試しているのかなと思っていたので、存在は感謝するが、冷ややかに茉莉花をみやる。

 茉莉花は、優が精良ゆえに"普通"を誰にも理解されず、その目覚ましい活躍ぶりに、気持ちを勝手に判断されたり、持ち上げられたりするほどに人と違うと思い知らされて、日常生活で孤独を覚えて、人を愛せなくなってしまうのではないかと、とても心配していた。

 だから、優が話す”友里”が、優の他者と比べた非凡さだけを愛しているのではなく、孤独を埋めるあたたかい子だといいな、と常々思っていた。

 本人に逢ってみたら、かわいいかわいいと繰り返しいうだけなので、心配してしまったのだ。

 友里は優を頑張りやさんと評価して、気持ちに寄り添おうとしている。人並外れた異端ぶりも”かわいい”と言ってしまうのは何も考えてないのか、──心が広いのか。

 認めて、はしから決めてかからず、優のことを第一に考えてる。


 ──ハムスターみたいにかわいく懐いてるだけかと思ったら、簡単に噛まれちゃったわ。ちゃんと優、本人をみてるのね。


 偶像の王子さまを重ねるのではなく、優を。


「優が大好きなのね…」

 茉莉花に言われて、友里は「はい!」とよいお返事をした。優の怒りに満ちた感情がフワフワと花弁が舞うお花畑みたいになっていくのを見て、茉莉花は思わず「かわいい」と呟いてしまう。


「やっぱかわいいですよね!」

 呟きを聞き逃さなかった友里がグワっと茉莉花に向き直る。

「友里ちゃん……」

「やったーー、ついに、かわいいと言い合える人が!」


 友里は茉莉花に向かって行く。茉莉花も大きく手を広げて迎え入れて、ふたりは熱いバグをした。

「同士に逢えて嬉しいです!」

「優かわいい同盟ね」

 ニコニコ笑顔で笑い合うふたりに、優はあきれて声がでなかった。


「よし、友里ちゃんお出掛けしよー!」

「えっ」


 優は部屋に取り残されるところ、すんでのところで合流することができた。「あら、きたの」なんていわれたので、ムッとして友里と手を繋いだ。

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