第24話 暑さのせい
第三日曜日。小学生の優と友里は、一緒に床に転がってお絵かきをしていた。友里が通う毎週日曜日のバレエスクールが、この日はお休みなので、一緒に遊ぶことが多かった。
4才からはじめているバレエは、友里の生活の一部だ。優はバレエの話を聞くのが好きだった。どんどん上達して、ポージングを見せてくれる日なんて、一日友里の雄姿が忘れられなくなるし、発表会にお呼ばれした日などは拍手喝采だった。友里が薔薇色の頬で、「優ちゃんもやろうよ」とほほ笑む。優は、友里を見ていたかったので、同じステージに上がるのは違うなと思いフルフルと否定のポーズをした。
「わたしは、水泳がいそがしいもん」
そっかあ、と友里はがっかりする。
「楽しいお友達もいっぱいいてね、高岡ちゃんって言うんだよ。すごーくバレエが上手なんだけど優ちゃんみたいに、お化けとか、毛虫とかで、すごーいびっくりするの!」
「わかるよ、おばけは怖いもん」
9歳の優はそういう。
「高岡ちゃんはね、「怖いんじゃなくてびっくりするだけなの!」って言いながらもしゃもしゃの髪をもしゃもしゃ!ってするの。優ちゃんも怖がってたよって言ったら、「友里が完璧みたいに言うあの幼馴染、お化けが怖いの?ダサいわ!」って言ってたの、ださくないよね、かわいいよね」
よく聞く”高岡ちゃん””葛城先生””羽田先生”このあたりの登場人物の名前だけは、まるで自分の友達のように優に記憶されていた。その登場人物の話は、特別な連続モノの絵本を読んでいて、再登場した時みたいににこにこしてしまう。友里の言葉は、大好きな絵本みたいに何度同じ話をされても飽きない優だった。
「意地悪な子がいてね、毛虫のおもちゃをわたしたちに投げつけていたの!そしたら、朱織ちゃんはすっごいビックリして、きゃー--!って逃げ回ってたんだけど、おもちゃって気付いたら、その毛虫をバリバリ割り始めてね、冷静なの」
「え、こわい…」
「優ちゃんは触れないもんね…、おもちゃでも。中からお花が出てくるとかそういうおもちゃならびっくりしても、嬉しくってみんながハッピー!ってなるのにね」
友里はそう言って、ニコニコした。
優もニコニコする。驚いたことも、悲しかったことも、全部全部、かわいくてきれいなものになってしまうなら、それが一番いい。そしてそう思う友里に、心がポカポカするのだ。
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「友里ちゃん!」
優は、石畳の上でジャンパースカートの制服に身を包む友里の腕をようやくつかんだ。
競歩の特訓のせいで、友里の足が速くなっていた。優も少しだけ汗ばんで、スカートのすそを直す。走ったせいだけではなく、心臓がドキドキしていた。
「優ちゃん……」
友里は、なぜか泣きそうな顔で優に振り返って、その胸にとすんと頭を預けて、甘えた。こどものころからすっかり離れてしまった15センチの身長差。優は思わずそのまま友里の体を抱きしめて、頭を撫でる。が、人通りが多いので、ハッとして脇によけようと優が思いあたりをみまわす。そこは小さな神社の境内への入り口だった。友里の肩を抱きながら支え、そちらへ移動した。
夕方19時、夏空はまだ明るく、一歩境内に入ると、人もおらず涼やかな空気が流れていた。
境内の低い石垣に腰かけると、ひんやりとして夏を忘れさせてくれた。
「なんで高岡ちゃんといたの…?」
友里の問いかけに、優は少し困ったようにした。本当は先に、バレエスクールの前にいたことを聞きたかったけれど、友里にそう問われて、思索した。朱織の態度が思ったよりも軟化していたので、もう言ってもいいかな、と思った。
優は、高岡朱織に友里との友人関係を再開してほしかった。小学生の時のように、優以外のたくさんの「大好き」を持っていた友里に戻ってほしかった。
それは、優が大好きだった友里でもある。
優が高岡の事を調べていたのも、友里に執着している高岡がどんな人間か知りたかった。小さい頃から話は聞いていたが、どんな成長を遂げているかはわからない。友里がライバルと認めお互いに切磋琢磨していた子ならきっといい子だろうけど。
思った通り、少しプライドは高すぎるが、なにをしても素直に反応してくれる。
優のことを嫌っているのも良かった。友里と朱織が仲良くなれば、優を含まない友里の世界が広がると信じていた。バレエから優に逃げ込んだ友里が可愛すぎて、逃がせなかったけれど、解放しなければいけないと思っていた。
友里の物語を、優はニコニコと聞いていたかった。
そしてそのうえで、もしも、小さい頃のように「絵本の最後にある、ふたりはずっと幸せに暮らしました!ってやつしよう」といってくれるなら…。
自分がいま欲しているように、友里も自分を欲してくれるのなら…素直に友里を愛しても許される気がした。あの日、川に落ちていく友里の手を手放した自分が、友里への罪悪感を抱えながら、愛されてもいいと思えるような気がした。
本当なら、優のせいで人生がめちゃくちゃになった!と嫌われても良い関係なのに。
けれど、友里との、甘い接触をどうしても避けることができなかった。わがままを言って、そばにいてもらったり、気持ちと行動が伴わない。
どうしようもないくらい、好きなのだ。けれど友里から、愛されるのは違うと思ってしまう。
友里しかこの世界にいらない、と思う優だが、友里には広い世界で、大好きなものに囲まれていてほしい。
「高岡ちゃんを送ってきたの?」
優がどういおうか思い悩んでいるうちに、友里がそういった。
意地悪な口調になっている自分にきづいて、友里ははあ、と息を大きく吸って、吐いた。
「優ちゃん…大好き…」
友里は、言いたいのは全部集約するとそういうことです、とでも言うように、優の肩にもたれかかりながら、小さく言うとその肩にその腕にだきついて、すりすりすりすりずっとしていた。
「……友里ちゃん…」
優は言う機会を失った。今ではない気がした。
「最近、あんまり逢えなかったから…優ちゃんを補給してるの」
「え?毎日逢ってるでしょう?」
「ううん、ちがうの」
友里の言葉に、優は(高岡朱織と葛城先生が話してたやつかな、自分が思っている相手と違うと、逢ったことにならないやつか…)疑問の顔をしたが、友里の柔らかな体に右腕を奪われていて、思考は霧散した。(はあ)と体の熱を吐き出すように一つ大きなため息をついた。友里は優のその仕草に、見たこともない色気と一抹の不安を覚えた。優も、同じようにため息を抱えているなんて。
「なにか、隠してる?」
すりすりしながら、思わず聞いてしまう。
「なにを?」
優はいつもの声で、いつもの音程で、友里にはなにも変わらないように友里には見える。綺麗で可憐で、世界一かわいい、駒井優。
「……別にいいんだけど」
まるで浮気を疑ってるみたいな発言になってしまって、友里は恥ずかしくて言葉を出す前に、戻りたかった。優が何をしようと、どこで幸せになろうと、優の人生なのだから、口を出す必要はない、と思っていようと思った。けれど。本当はもっと朱織との関係を問いただしたい。けれど決定的な言葉よりも、一緒に歩いていた姿に何も言えなくなってしまう。
どう見ても、考えても、優は家とは反対方向なのに、部活の帰りに朱織をバレエスクールまで送ってあげていた構図だ。特別な気持ちがあるように思えてしまう。
「できれば、わたしが、優ちゃんを幸せにしたいのになあ……」
優がそれを望まないのなら、その願いを叶えないで生きていかなければならないのが、耐えられない、と思った。
優は、友里がたくさんの人の中のから優以外を選んでもサポートするというようなことを言っていたけれど、
(そんなの、どうやらわたしにはできないっぽい、ごめんね優ちゃん)
心の中で謝った。
「友里ちゃんには、多大な幸せを貰ってるよ」
優が、友里の言葉にそういう。夕暮れが迫ってきていた。夏の夕暮れは、どの季節のどの時間よりもなんだか切なくなってしまう。きっと昼間が暑くてまぶしすぎて、闇との境目に迷い込んでいる気がするせいだ、と友里は思う。
迷子はさみしい。
今まで優といて、不安に感じたことなどないのに、最近は迷子みたいな気持ちになってしまうことが多かった。
「わたしはね、お裁縫道具を…色々買い物に来ただけだよ」
「じゃあ、スクールのそばにいたのは」
優がいいかけて友里に「ほんとに偶然」と、さえぎられてしまう。
「あの、今度ね、お守りを渡してもいい?」
友里は話を変えるように、優にそう聞いてみた。トランペットのクマのキットは、かわいくて、優にぴったりだと思った。
「もちろん、楽しみにしてる!」
優は友里の言葉を、ずっと聞いてくれる。優から、はじめてくれる会話を聞きたいのに、友里は自分のことばかり話している気がした。
「優ちゃんは綺麗で、かわいくて…所作も心も美しくて…わたしのお姫様…」
「友里ちゃん、どうしたの…」
「それだけで、幸せ」
「うん?……ありがとう」
「わたし…最近おかしいの、たぶん暑さのせいなんだけど」
「ん?」
「どんな優ちゃんでもいいから、わたしをみててくれないと、いやっておもっちゃう」
「うん…」
「優ちゃんが……誰かと一緒にいると、胸がもやもやして……」
「……──友里ちゃん」
友里は、言いながら、優の胸に大人しくおさまった。ぐいぐい優を抱きしめる、いつもの抱擁ではなく、そっと優の胸に収まっている。
優の胸が、ドクンと熱くなった。
友里は優の心臓の音が聞こえると、とても安心してしまう。友里より少し早いその心臓音は、優が生きていることに感謝している想いを思い出させてくれる。
優は友里の背中に手を回し、そっと触れるか触れないかの抱擁をしてくれている。友里が体重をかけてもいいように支えてくれているのが分かった。
(いつもこうやって、気を回してくれている…可愛くて、思いやりのある優ちゃん…)
(高岡ちゃんにもやってるのかな)
考えて、友里は浅ましさで泣きそうになった。どんなふうに他の友達と過ごしているかなんて、今まで考えたことなどなかった。これが嫉妬というやつだろうか?友人へ嫉妬するなんて、幼馴染たるものとしてなんとも情けない、でも、と、友里は思った。
「優ちゃん大好き……優しくて……時々──寂しい…」
友里はとうとう、寂しさを口に出した途端、泣いてしまって、涙を見られたくなくて顔を伏せた。
「どんなことがあっても、友里ちゃんのことを好きなのは、変わらないよ」
優のやさしい声が聞こえたけれど、顔を上げることができなかった。あんまり下を向いていると、優に顔を表に上げられて、ばれてしまう気がして、こたえのかわりに、優の胸に縋りついた。そして、「やさしいなあ」とつぶやいて、涙がおさまっていることを確認してから、パッと顔を上げた。
「帰ろっか」
にこ、っと笑顔を見せると、優はホッとしたように友里に微笑んでくれた。
(かわいい。これだけで、本当に、充分なんだよ…)
友里は優と手を繋いで帰りたかったけれど、それは言いだせず、お互い大切なことは何も伝わらないまま、行き場を失った手のひらは、手芸用品店で購入した愛する重い袋をぎゅっと握ることで解消した。
夏空は宵闇にかわり、暑さは和らぐことなくつづく。
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