第15話 はじまりのゴール
大きく転倒した友里は、しかし、そんなに痛くなくて驚く。
「いてて」
優を下敷きにしていた。「ごめん!!大丈夫!!?」がばっと横にスライドするように起き上がって、優の体を心配した。
「大丈夫」
「動かないほうがいいんじゃない?こんな細い体を、下敷きにしてごめんね、頭とか打ってたら大変!!」
「はは、そんなの……打ってないよ、友里ちゃん」
優はキラキラした笑顔で上半身を起こすと、汚れた手を払ってから、友里のほっぺを少しだけ撫でて、友里の体に怪我がなかったかどうかだけ確認した。
「──ありがとう、助けてくれて」
「ううん、自転車で転んだ友里ちゃんを見てから絶対、友里ちゃんを転ばせたくないなって思ってたから」
「……わたし本当に、よく転ぶよね…」
うふふ、へへ、と笑い合って、2人はお互いの体に着いた砂などを手で払う。
そんなことをしている間に、隣を高岡以外の吹奏楽部の生徒たちが通り過ぎる。
「あ」
そこからは猛ダッシュ。
吹奏楽部の生徒たちも、負けじと走るものだから、ペース配分などお構いなしに、力の限りを尽くした。汗だくの友里は、ジャージの長袖を、その辺に投げ捨てた。坂を下り、山を駆け抜け、沿道の5歳児が「がんばれー」と旗を振ってくれるのが目の端で見えたが、友里はもう、息もできないのではないかと思うぐらい、全力で駆け抜けた。「おおおお」という低い雄たけびを5歳児は聞いた。
{{本当につらい時が来るかもしれないけど、それはだいたい気のせいだから。本当につらい時は頭が真っ白になっている時。でも、そこが、一番の頑張り時なんだよ}}
何度も練習で走った道で、彗さんが言ってた言葉を思い出した。その時は何言ってるんだろ?と思ったが、今、わかる。頭が真っ白、視界も真っ白。(これちゃんと走れているのかな?)友里は自分の心臓の音と、呼吸音しか聞こえてなかった。
右足出して、左出して、走れてる!大丈夫!!!
ぜったいに、優ちゃんとの時間を守るんだ。
優ちゃんの、笑顔の為なんだから!!
「友里ちゃん!」
パン!!!パパン!!
火薬の香りがした。ドン、と背中側から、優が抱きしめてくれたことだけ、友里には理解できた。
ゴール。
わあ!っと歓声が上がる。
「おめでとう、女子1位だよ」
なにか、景品を渡された。タオルと鉛筆、それからノート、端からPTAの人たちが鞄にしまってくれて、くるくると回りながら、けんちん汁を配っている大型のワンタッチタープテントの所まで運ばれ、パイプ椅子に座って、お汁の出来上がりを待つことになった。出来上がってない時にたどり着いたのは初めてだった。
走ってる途中で投げ出した、長そでのジャージを優にひざにかけてもらいながら、
優を眺めた。
「やったね、ありがとう友里ちゃん。おめでとう」
優が満面の笑顔で、友里をそっと、ふわりと抱きしめた。自分の頭からしたたる汗が、優の体操服に染みる気がして、友里はぼうっとした頭で「優ちゃん、汗が」と言ったが「大丈夫、このままでいさせて」と言われて、体を預けた。
吹奏楽部の生徒たちが、一様にハアハアと呼吸が定まらない様子で、2人の元へ続々と戻ってきた。運動系の部活の人たちもどんどんと大型のワンタッチタープテントの所まで集まってきて、一時人混みは大変なことになった。
先生に出欠席を告げれば、そのまま帰ることができるので、部活の顧問ごとにブースができる形になる。PTAの皆さんが腕を振るった軽食を食べてもいいし、最後の走者まで見守ってもいい。
「駒井」
たどり着いた藤崎部長が、優に声をかけた。友里を抱きしめたまま、優がそちらを振り向く。友里はさすがにここは離されると思っていたので、優から起き上がろうとしたが、優はそのまま話し始めた。
「これで、口出さないって約束、守られますよね」
冷ややかな声が、優から出されて、友里はドクンと緊張した。優の抱きしめる腕も、強くなる。藤崎部長は、全員を見やって、うん、と頷くと
「ああ、俺は全面的に駒井の味方だ。皆もそうだと思う」
そういった。そしてその言葉を皮切りに、吹奏楽部員がわあ、と優と友里を囲んだ。
「荒井先輩早くてびっくりしました!」
「すごい、おめでとうございます!!」
手のひら返しのように、女の子たちが褒めたたえてくれる。男子たちも「すげー早いじゃん」など言ってくれる。実力以上のものだが、力を誇示すれば認めてくれる人たちで、友里はホッとした。
約束は、守られそうだ。優との””放課後15分””は守れた。友里は心の底から、安堵した。
猛獣から守るような態勢だった優もその警戒を解き、汗だくの友里を開放してくれた。
「良かったら、タオル使ってください」
と、優に一年生の一人がいう。
「わたしより、友里ちゃんに貸してあげていいかな、洗って返すから」
「も、もちろんです!!」
ここ最近ずっと塩対応だった駒井優に、近年最大級の笑顔を貰った一年は、飛び上がるようにそう言った。顔が真っ赤だ。いちごちゃんみたいで可愛いな、と友里は思いながら、タオルを受け取った。
「あ、返すのは新品にしたほうがいいんじゃない!?」
心の底からそう思って、聞き返すとドっと笑われて、戸惑う。
藤崎部長が、笑いすぎて出た涙をぬぐいながら、声を上げた。
「あ~~~……そういうルールみたいなものも、やめよう。ちょっと皆は、駒井に期待をしすぎていると思う」
こほん、と咳払いをして躍り出た。部長らしい態度だな、と友里は拭いても拭っても押し付けても噴き出てくる汗をぬぐいながら思っていた。
「駒井はカッコイイ、しかも奏者としても最高だと、俺も思う。部活は近年まれにみる素晴らしい出来で、全国も夢じゃない、なんて絶対に言えなかった言葉すら、本物になってきた」
うんうん、とみんなが頷いた。
「でもさ、駒井がいるから、ってのはちょっと奴の背中にいろいろのせすぎじゃないかな?みんなの夢だろ?」
しゅん、とした空気になる。なんかすごく部の全員が同調していて、友里は部外なのですごく疎外感を感じていたが、内容は優を守る演説のようだったので、【応援するしかないでしょう】と、うんうんこくこく頷く。藤崎部長の弁論大会のような呼吸の使い方に一人、感動していた。光のカリスマっぽい。
「みんなの夢だけど、ひとりひとりが、しっかりと目標として持とうぜ。絶対、そのほうが叶った時、感動する!!駒井優がいたから出来た!じゃなくて、自分で叶えたんだ!って。そんで、絶対それは夢じゃないし、みんなと一緒なら、いける気がする!」
わあ!っと歓声が上がった。(すごいすごい。これならみんな、”王子な駒井優”ではなく、”吹奏楽”に夢中になってくれる気がする。)50人以上の吹奏楽部員は、それだけで他を圧倒するので、周りの生徒も同調して、それは大きな拍手を呼んだ。
がんばれよーという声と、出来上がった暖かいお汁が次々に回されて、もう気候も穏やかになっていたが、競歩の汗で冷えた、疲れた体に塩分が染みわたり、皆口々に「うまー」だの「しみるー」だのしか言えなくなった。
藤崎部長は駒井優の元へ、二つのお椀をもって、やってきて、
「駒井も一人の部員として、これからもよろしく頼むな。」
友里と優ふたりにお椀をふるまってくれた。受け取りながら、優は「そうだね」とつぶやく。
「もしも友里ちゃんが、この出来事で傷つくようなことがあったら、部活をやめようと思ってたんだ。だって…──わたしと友里ちゃんの関係に、皆が口出すのは違うって、今でも思うから」
また火に油を注ぐようなことを言い出して、友里はヒヤっとした。
「でも、おかげで、友里ちゃんとずっと一緒にいられて、すごく感謝してる。ずっと楽しかった。コンクール頑張ろうね、ありがとう!」
キラキラだ…、きらっきらの太陽のように優が微笑んで、全員が息をのんだ。
太陽を、直接見てはいけませんと言われる意味が分かる。目がつぶれそう。太陽信仰があることが、すごく納得できる。言葉の意味は「競歩で、友里ちゃんといて楽しかったです」という小並絵日記発言なのに、「ありがとう」の一言と笑顔で全員が今救われた。救済だ。神の御意志だ。
友里はしかし。優のことは世界で一番かわいいと思っているし、今、まさにそれが実証されていて、全員が魅了されているのだけど、なんだか、こういうやり方は少し冷たくて、怖くてうむむと唸ってしまう。
淑女なんだけど、小悪魔的で、冷たくて、冷笑を含んだ魔性のカリスマ?なんだろう、この、他人に対する駒井優という存在は。
「友里ちゃん、今度ちゃんとお礼するからね」
お汁の入ったお椀をまとめて片付けていると、腰に巻いた体操服のほどけを直してくれながら、小さな声で照れながら優に耳打ちされて、友里は、へにゃ、と笑った。2人で話している時は、そんな怖さも、冷たさもなくて、春先に一番に咲いたタンポポを見つけた時の気持ちになってしまうような、可愛い優なのに。
ずっと遅くなって到着した高岡朱織は、その様子を見て、ぎゅっとタオルを握った。
6月の空は移ろい、全校生徒が帰宅し、テントを撤去しているころには雲を重く暗く垂れこみ雨が降り出した。季節は梅雨。この晴れ間が珍しかっただけだ。
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