第14話 走る、走る

 運命の競歩大会。友里は吹奏楽部の皆さんの信頼をかちとるため、

『だれより早く走る。』

 ルールはこれだけ。

「ある意味、友里ちゃんが遅いとわかってるルールだよね、短距離なら身体能力のポテンシャルは大きくかかわってくる。しかし、長距離は前準備と計略の世界だ。彼らは君を甘く見てる。だから全力で走って、泣かせようぜ──!」優の兄、彗が黒い羽根が舞い散るような悪い顔で笑ったことを思い出す。

 ほんとに、いつもはぽやんとしてるイケメンなのだけど、長距離走のことになると人が変わる。とても忙しい医者の卵なのに、友里の特訓に付き合ってくれたおかげで、友里は万全な態勢で当日を迎えることが出来た。

 友里は優と同時に走っている。ペースを守って、最大限のポテンシャルで、あわてず、ゆっくりと、いいスタートを切った。優がペースメーカーになってくれている。こくりと頷き合う。

 山際に雲が細くたなびく。午後から雨の予報だが、競歩の時間の間は大丈夫そうだ。


 予定通りに走れば、一時間半、午前中の10時過ぎには同じ場所に戻ってくる。足をつりそうな気配もしない。お腹も痛くない、呼吸も楽だ。気分だけが高揚している。準備をしているので、たくさんの失敗をしてもリカバリーできる。イレギュラーな怪我だけには注意する。体調が万全ってこういう事を言うんだ、と思った。

 心臓はバクバクしている。友里は競歩大会で、最初からきちんと走るのは初めてだった。優の雄姿を見たいからと、応援するだけの立場の、なんと楽だったことかと思った。

 隣を走る優は、完全に友里にペースを合わせてくれている。ペースメーカーと呼ばれる、いわゆる””その人と走っていれば余計なことは考えなくていい””相手に優はなってくれている。普通の中距離以上のマラソンでは先頭に走って、大勢をまとめてくれる。友里はとても贅沢に優を独り占めしているので、””呼吸を整えて””、とか””いま水のタイミング””とか、””カーブが来るのでひざに気を付けて””とか、走り方まで教えてくれてまさに手取り足取り、至れり尽くせりで、大変こそばゆい状態だ。

 最近の優は、いつだってご機嫌に見える。かわいい。15センチの身長差を見上げると、いつでも気づいて、にこっとしてくれる。すごくかわいい。

(かわいい優、わたしはぜったいに2人の”放課後15分”を守るから、がんばるからね)思っている端から、男子数名の塊にぬかされて、気持ちが焦るが、優がトントンと人差し指で叩いて腕につけた時計を意識させた。


(大丈夫、これは、大丈夫なペース。)

 いつでも、優の存在が頼もしい。友里は、自分も優にそう思われる存在になりたいな、とふと思った。


「やあやあ、頑張ってるね」


 後ろから陽気な男性の声がして、優と友里は「だれ?」と思う。優が先に「藤崎先輩」と言った。吹奏楽部部長で、友里は瞬間、””優への告白キャンセル相手””だと気づいて、(のろう…呪怨…怨嗟…)呪詛の念を送った。当然届くわけもないが、藤崎先輩が「お?」と気付いたような顔をした。

「あ、俺はカウントしなくていい」

「それは…?」

「いいんだ。俺より遅くても大丈夫。ここずっと、駒井はきちんと部活に参加してたし、むしろ全員の遅刻、減ったしな。良いことづくめだ。ほんと部のみんなを止められなくて、すまないな」

 手を振って、2人を抜かしていく藤崎先輩に、友里はいいやつじゃん、と絆されそうになった。


「──たぶん、あと20分後あたりで抜くから大丈夫。先輩、体力はあるけど、配分を間違えるところがあるから、坂道でへばってるんじゃないかな」


 優の冷静な判断通り、18分後あたりに通る急斜面で、「ぜえはあ」と肩で息をする藤崎先輩を抜き返した。(なんかすみません)という気持ちだったが、(いや、でも呪うのとそれは別だかんな)と友里は思った。

「大丈夫だよ、ほとんどの生徒が授業で校庭をランニングさせられただけで基礎がわかってない。きちんとした練習をしている陸部なんかは、こういうものはお祭りみたいなもので、抜かされても大丈夫だしね、他の生徒に花を持たせてくれるさ」


 競歩大会は、課外授業で、学校指導要領には関係がない……──つまり内申書には、出欠席のみが記される。”出ればいいもの”なのだが、一応学校の指定服以外を着たばあい、ランキングと言われる順位からは外される。なので陸上部などは全員、国際試合のようなランニング服に身を包み、本番さながら、本気の走りで駆けていく。全員が学校内生徒よりも早いのに、ランキングには入らないというストイックな行事となる。



 涼し気にもう一度、時計をみやる優に、友里はうっかりときめいた。黒目勝ちな瞳が、長いまつげに彩られて、きらきらしている。6月の太陽で頬に睫の影を作っている。肌の色って、なんて美しいんだろう。晴れた日のバラ園のアフタヌーン・カフェでみた、光に透けた真っ白な陶器の奥の奥の色まで見えるような感覚。肌の色は、魂から光っているみたい。可愛くて、素敵すぎる。


「優ちゃん、ありがとうね」

 思わずいうが、

「お礼はまだ早いよ、それに友里ちゃんはわたしのために、無茶をやらされてるんだよ。お礼はわたしが言うことだよ」

 と、微笑むので(あ、競歩大会の話と思ってるかも)と気付いて、「ううん、生きて存在していることに感謝したの」と友里が言うと、優はドッと笑った。「あはは!どういたしまして?」

「わたしも友里ちゃんが生きてて嬉しいよ」と言い返した。2人で少し照れた。


 競歩大会は、普段わけ入らないような山奥で森林浴を楽しみながら、チェックポイントで、曲がり角で、至るところに待つ先生達が誘導してくれて、最初に手渡されたA6の紙に判子を押し、全ての項目にチェックを貰うリクリエーションの要素もある。

 二人で山道を走るのは、初めてだけれど、危険なとこには先生方がいて、安心できる。それでも先生達の目が届かない場所で「ここ俺の家の山だから、近道しよーぜ」などと安易にわけいって、遭難したりした子がいたりするので、指導するものも、走るものも、みんなの危機管理能力が試される。

「おー、荒井、早いじゃないか!」

 担任の松原先生が、スタンプポイントで待っていてくれて、景品の小さい羊羮を配っていた。こしあんだ。「優ちゃん、こしあん好きだよね」「友里ちゃんもだよね、良かったね」とニコニコしあうと、松原先生が「仲良しだな!」と微笑んでくれた。少し照れる。


 次のスタンプポイントには、優の担任の林先生がいた。ミカンをくれた。「仲良しだね!」とまた言われた。

「なんか、先生達の目がおかしくない?」と友里が言うが、優は「気のせいじゃない?」と友里の疑問を通りすぎ、増えた手荷物を小さいウエストバッグにきれいに収納していく。小さいお菓子が多くて次々食べていると、走っている最中にお腹がいたくなりそうで、友里も背中に背負ったカバンのポケットにしまった。友里は友人とまったりあるいて参加した去年などは「お菓子って先生のチョイスなのかな~」なんて次々に食べ歩きしてたというのに。


「優ちゃん、この走り方で、大丈夫かな」

「吹奏楽部の子達を見かけてないから、平気だと思うよ」

 走りながら確認する。そうだ、あれから誰にも抜かれていない。しかし抜き返してもいない。最初に抜かれた男子の団体に、吹奏楽部の生徒がいたら嫌だな、と友里はだくだくの汗の中に一筋の冷や汗をかいた。見ると優は、汗一つ流していない。本当に余裕なのかもしれない。

 もう少しで””山のなかエリア””が終わる。””町””へ戻れる。


 ざっと木が大きく揺れて、自分と同じくらいの輪郭のモノが目の前に出て来て、友里は息を飲んだ。優が、友里の体をかばうように肩を抱く。優の胸にぐいと強めに抱き締められて、友里はそのものを見ることが出来なかった。

「優ちゃん、熊?熊出た?」優の胸のなかで問い掛ける友里は本当に熊だったら大変なことになるのに思わず言ってしまうくらい驚いていた。

「いや…」



 吹奏楽部の一年の高岡朱織が、そこに立っていた。

「こんな、先にいたんですね!」


(たぶんショートカットしてきた)、と思って優は身構えた。友里は優と朱織を見比べて、固唾を飲んだ。

「ちゃんとした道を歩いてきましたよ!スタンプもほら、ちゃんと押してあるでしょう?……ただ、慣れ親しんだ山なので、先生が把握してない道を間違えて通ってしまって……びっくりです、こんな先に出るなんて!」


 友里達とおなじだけのスタンプを押した紙をみせながら、朱織はそういう。それはズルなのでは?と思ったが、後ろから走る人たちがやってきている気配に気付いた優が「友里ちゃん、いこう」と手をつないで走り出した。友里もそれに従う。

「わたしも一緒に走ります」と朱織は、優のとなりにならんだ。

「だめだよ、高岡さん」と、優。

「どうしてですか?」


「わたしのペースが乱れるから、離れて」


 優はすごくつめたい声で、朱織に言った。友里はこんな優も見たことがなくて、戸惑いながら、その場に立ちすくんでしまった朱織に後ろ髪引かれながら、優と一緒に先へ進んだ。


「優ちゃん、あれは」

(ひどいんじゃないかな)と言いかけて、(でも高岡ちゃんがズルをしたから)勝つためになんでもする、という意味は、フェアじゃないことをすることじゃない──。


「わたしは!絶対、荒井先輩を認めませんから!!」


 後ろから獣の鳴き声のような大きな声で叫ばれて、友里は振り向き、足元にあった小さな石をふみつけた。──友里が自転車で転んでも無傷なのは、背中できちんと地面に降りるからだった。小さいころ、バレエで転ぶときも受け身が上手と誉められたものだ。手をつないでいた優と一緒に転びそうになってあわてて手を離した。その一瞬の判断で、受け身をとることが疎かになった。

「友里ちゃん」


 友里は大きく転倒した。

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