第13話 競歩大会当日
早朝8時半、集合と同時にラジオ体操、3つの火薬花火が梅雨の晴れ間を青くみせている6月の空にポン、ポポンとうちあがった。
荒井友里は、友人二人に「今年は、やるぜ」とサムズアップをした。友人たちは、ジャージを適当に着て、「新しくピアス開けて応援のしるし!」など口々に友里に手を振る。
優に手を引かれて、前の方へ前の方へと歩きだす。それを見ていた女生徒が、(なにあれ、どういうこと?)(だれ??)など言っているが、友里には自分の心臓の音のほうが大きく聞こえていた。
「友里ちゃん、もうダメって思う前にちゃんと歩こうね」
あんなに特訓したのに、優はまだそんな事を言っている。もしかして、友里が傷を負ったままの小学生に見えているのかもしれないとすら、思ってしまう。
「大丈夫だよ、優ちゃん。頑張るから!一緒に走ろうね」
微笑むと優もつられて、嬉しそうに笑った。本当は一緒に、走りたかったんだろうなと思ったから、これは吹奏楽の皆さんに良い機会を与えてもらったんだろうなと、友里は思うことにした。
「「「「「駒井先輩、頑張ってください!!」」」」」」
吹奏楽部の一年生らしき子たちが、(せーの)のかけごえで一斉に言った。
優はそちらをちらりとみて、少しだけ手を振った。明らかに、以前よりずっと塩対応になっているのが、友里にも分かった。それでも「冷たい王子もいい…!!クール!」と人気が落ちないのだから、おかしなものだ。
「なんだろう、優ちゃんから何か出てるのかな…???」
「嗅がないで、恥ずかしいから……!」
友里は優のジャージを掴んで、少し嗅いでみる。いい香りがして、くらくらしてしまう。柔軟剤の香りなんだろうけれど、本人からも薔薇のような桃のような香りがして、課外授業で行った薔薇園に行った時、「ここにきたことがある!!」と思ったものだった。
「ずっと嗅いでいたい」
「もう、友里ちゃんっ……」
淑女である優は、友里を引きはがすことはせず、あえて言葉だけで制止している。その様子を見ている他の生徒が、どうも優をクールであまり人と絡まない人間だと思っていたような口ぶりで、二人の様子をほのぼの見ていることに気付いた。
「駒井も幼馴染の前だと、普通のやつなんだな」なんて同級生の男子が言う。
こんなふうに学校行事でも友里は優と過ごしたことがなかったので、(もしかして、わたしがこうして絡んでるほうが、優ちゃんが淑女ってことがわかるのでは…??失敗してたんだなあ)としみじみ思った。
「約束、わかってますよね!」
高圧的な声がして、友里はそちらを振り向いた。吹奏楽部の一年生の声がした。
「……あの、お名前を聞いても……?」
友里は、あえてそう聞いてみた。葛城先生に出会った先週の日曜日に、言われたことを確認したくて。
「…
朱織は、ツンと鼻をあげて、大きなため息をついた。
やはり、同じクラシックバレエ教室に通っていた、1年下の高岡ちゃんだった。
友里は、高岡朱織と、9-12歳クラスの演目、”眠れる森の美女””でオーロラを競っていた。友里が先に折れ、朱織がオーロラになったに違いないと思っていたが、その年は他の子がオーロラになり、朱織が主役になったのはそこから何年も後、中学生になってからだったそうだ。
「またどうせ逃げると思いますけど、せいぜい頑張ってくださいね」
朱織はそういうと、もいちどツンとして一年生の位置まで戻った。
「なんかさ」
友里は、その背中を見送ってから、優に話しかけた。優は優しく、「ん?」と聞いてくれる。
「わたし、意地悪なこと言う人って周りからどう思われようと、どうでもいいのかな?とか、傷つけてやろうとしてるのかな、って思ってたんだけど」
「どうしようもなくて、いやな言葉が出ちゃう人って、やっぱいるのかなあ」
はあ、とため息で感情を逃がすように、友里は言った。
多分朱織は、友里のことを小学生のバレエダンサーとして覚えていて、最高のライバルと思ってくれていて、朱織のキャリアをふいにするほど、友里の怪我と挫折に傷ついた過去があって……──高校生の友里に再会して、幻滅しているのだ。憧れの駒井優先輩のお荷物に成り下がっている、友里に。
「かっこいいとこ、見せないとッて思うよ…!!」
「そう思える友里ちゃんが、わたしは……」
「なに?すき??」
友里は空気の重たさを、冗談でふざけるように言った。しかし存外、その攻撃は優に効いてしまって、優の胸は人知れず、早鐘を打つ。(言ってしまえ)と意を決して
「…うん、ああ……うん ──好き…」
「へへ、嬉しい!」
そして、すごーく軽く返されてしまって、ここに駒井家の皆さんがいたら、優の好きなおやつの一つであるアルフォートを譲ってくれたかもしれない。
開幕のピストルが撃ちあがる。パンパン!全校生一斉にスタートだ。
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