第12話 きずあとをなぞる

 校内競歩大会まで、あと一週間に迫っていた。

 優や優の二番目の兄である彗の長距離ランナーとしての知識などで、友里はそこまで疲れることもなく日々をマラソンの練習に明け暮れることが出来た。毎日泥のように眠っているが、これは疲労が蓄積しない為のもので「いいんですよ」と彗がハイテンションで言う。

(こんな人だったっけ…わりとボヤンとしてるイケメンだった気がするのに…)マラソンに関しては、はきはきする人だったと、友里が気付いた出来事だった。


 優は日曜日に現れるといつでもご機嫌で、友里の後ろを走ってサポートしてくれた。


「友里ちゃん、当日はもう無理しないで、今年こそ一緒に走ろう」


 優がニコニコして言う。友里が、優の雄姿を見たくて、全力を出して走って!とお願いするので、毎年毎年、優は孤独なランナーを続けていた。友里は友達と、ほとんど歩いている様子で、中学も高校一年生の時も、20㎞を3時間くらいかけて走って、PTAの皆さんに「もう炊き出しのけんちん汁、最後だからね~」などと言われながらお昼ご飯にして、表彰式で一位を飾った優を褒めたたえて終わる、そんな一日だった。


 ちなみに、競歩大会を知らない都会の方に説明をすると、一部の学校で行われている長距離歩行のことである。全校生徒で約20kmの距離を、朝の早い時間から走り(歩き)だし、先生方が守るチェックポイントで判子を押してもらって、当該の場所に帰って来るいたってシンプルなリクリエーション。チェックポイントでは、お菓子を配ったりするので、のんびりと歩いてもだいぶ楽しい(?)イベントになっている。


 学校指導要領に該当するわけでもなく、学校行事と同じ、課外活動であり、参加の有無は個人の意思にある。正式な陸上競技の種目と認められているわけでもなく、最後まで走破できれば、タイムなどを競うものでもない。


 しかし、ここは田舎である。

 運動部の生徒たちはこの日を目立つチャンスとばかりにこぞって1位を狙ったり、奇抜なコスプレで走ったり、町を一周するので街路に出て、手を振ったり、品出しも自由だったり、町を挙げてのお祭り騒ぎになる。


 20kmの世界選手権の出場資格は、1時間20分、高校生のタイムは平均1時間30分ほど。優はそのぐらいでたどり着くので、8時半にスタートして、10時には終わってしまう。友里はそこから、2時間ほど後にゴールするというのが常だった。


「今年はワンツーフィニッシュだ…」


 友里は、最初よりはだいぶ良くなった呼吸法で呟く。

 がんばろーな、と脇について走っている彗が言った。


「走ってる時、本当につらい時が来るかもしれないけど、それはだいたい気のせいだから。本当につらい時は頭が真っ白になっている時。でも、そこが、一番の頑張り時なんだよ」

 友里はわけわかんないな~とおもいながら、「うっす」と言った。気合十分だ。


「やっぱりもともとクラシック・バレエをやっていただけあって、体幹がいいね」


 4歳から11歳まで、毎週第3日曜日以外は、バレエに通っていた友里は、「へへ」と笑って返事とした。

 バレエの世界では9歳から12歳をゴールデンエイジと呼び、神経型が大人の100%に達するその期間を集中的に鍛えることが、バレエダンサーとして生きていくことへの重要なカギと言われている。友里は確かに、5年生でバレエの細い道にうつくしい白い花が開いていた。

 しかし川に落ちて、背中と内ももを大怪我した友里は、ゴールデンエイジを壊し、プロダンサーとしての道を歩むことができなかった。ただバレエを続ける事ならできるのに、すっぱりとやめてしまったのは友里の性格ゆえだった。未練がましく、プロへの道をあきらめきれない気がしたからだった。背中に大きな縫いあとがある。背中の大きく開くレオタードが、着れるわけがないのに。


 それから、第3日曜日以外に予定を入れることが癖になった。バレエとすっぱり縁を切るために。


「どこか痛かったらすぐに言うんだよ」


 この特訓の最中、優はずっと、友里の体調を気遣い、友里に絶対無理をさせようとしなかった。ただただご機嫌なだけで、どちらかというともう、順位なんてどうでもよい人の発言だった。


「絶対、勝つからね」

 友里はそういうと、優を見上げてガッツポーズをした。


 今日は20kmの距離を試してみている。本番前の特訓だ。1時間25分かけて、ほとんど走り終えた。あと5㎞。「フルマラソンの速さだぞ!すごいぞ」と彗がいう。1・2位でなくても、吹奏楽部の生徒より早ければいいのだから、実はこれでもいいのかもしれない。友里は汗だくだが、駒井家は余裕の顔をしている。体力が違うのだ。優の姿を見て、勇気をもらう。可愛いかわいい可愛いかわいい………───



「友里ちゃん」


 優に抱きしめられて、友里はハッと目を覚ました。


「走りながら寝てた!?!?」

「違うよ、気を失ったんだよ」


 優が青い顔で、友里の頬や首筋をぬれタオルで拭く。彗が用意していてくれた薄手のマットを友里の下にひいてくれて、友里をそっとマットの上に移動させる優。


「倒れる前に、優に抱き留められてよかったね、ほんと優は友里ちゃんのことだけは、よく見てる。頭とか打たなくてほんと…ほんとごめんね、頑張ってくれてありがとう」

 彗がそう言って、友里が受け止めてくれた優にお礼を言うと「当たり前のことしただけだ」と優は彗に(よけいなことまでいうなよ)という目線を向けた。優はそして、友里に向き直って、


「やっぱりやめよう、競歩大会は危険だ。友里ちゃんが頑張ることない。わたしが誠意をみせていくから、友里ちゃんはそのままでいて」


 予定調和のように、優が流れるように話した。友里が納得するまでやらせて、ダメになったら止めようと思っていたようだった。さすが幼馴染、すっかり性格を把握されている。


「ダメだよ、絶対、やらないと」


 あの、一年生にずっと馬鹿にされたままだ。釣り合わない、身の程を知れ。ずっとずっとそう言われてしまう。友里は、逃げ出したい気持ちと、優に甘えてしまう気持ちと戦っている。


「わたしスゴイ逃げ癖があるから…優ちゃんは諦めさせるんじゃなくて、ちゃんと応援して。優ちゃんが応援してくれたら、わたしは、わたしの何倍もの力が出せる気がするんだから」


「友里ちゃん……」


 優は、走ってもそう変わらない心臓が高鳴ってしまった。友里の一言で、いつもドキドキしてしまう。しかし今日は兄もいるので、そんな様を見られたくなくて友里から視線をそらしてしまった。

(友里ちゃんがかっこよくて、困るよ)


「あれー?駒井君じゃんひさしぶり」


 近くを通った痩身の女性が、駒井彗に手を振る。だいぶ楽になっていた友里は、起き上がろうとして、優が腰を支えてくれた。ありがとうとお礼を言って、優に抱き着く形になる。駒井彗の同級生だった女性のようだ。


「もしかして、荒井さん?」

 女性は、そして友里にも声をかけた。友里はその女性に見覚えがあった。

葛城かつらぎ先生」


 正しくは、先生ではない。バレエの時、小学生クラスを先生と一緒に受け持っていてくれた、当時高校生の先輩だ。たしか、有名なバレエ団に入部したはずだった。


「友里ちゃんまだ運動続けられたんだね、良かった!心配してたんだよ」

 葛城先輩は気さくな感じで友里に言う。小学生の頃に戻ったようだ。


「そういえば、高岡朱織たかおかしおりちゃんも同じ学校…私立大ケだいがはら短期大学付属高等学校に入ったと思うけど、あえた?一個下だけど」


 誰だっけ?と友里はぽかんとして、優を見たが優は友里しか見ておらず、よほどのことがないと、彼女の人脈を全く知らない…──ということになっている。

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