第8話  きずあと

「友里が泳げないのは、駒井くんが溺れたせい?」


 乾萌果は復唱した。優が少し重苦しそうな、話づらそうにしていたので、岸辺後楽は持っていたチュッパチャプスを「友里とオソロの味だよ」と優に手渡した。(話の駄賃とでも言うのか)優は苦笑した。

「──昔、小学生のときに、友里ちゃんと二人で川辺で遊んでたら、目の前で幼稚園児が溺れて、その子をわたしが助けた。でも丘に上がろうとして足を滑らせて、川に落ちてしまったわたしを友里ちゃんが必死に助けてくれたんだ」

「やるじゃん」と後楽。

「そのときに、わたしは友里ちゃんに、岸に押し戻して貰えて助かったんだけど、友里ちゃんはわたしを戻したせいで下流に流されて……近くにいた大人に助けて貰えたんだけど危険な状態だった。大きな怪我をして…入院したんだ」


 二人は顔を見合わせた。深刻な事故だったようだ。小学生の友里が背負った傷はかなり大きく、2週間は目覚めなかった。体にも心にも傷を残した。そして水泳が出来なくなってしまったのだという。


「わたしがもっとちゃんと水の恐ろしさをしっていたら、友里ちゃんに怪我を負わすこともなかった。」


 ──ようやく目覚めた友里に謝りに行った小学生の優は、泣いてなきつくして逆に友里に慰められた。

「優ちゃんが無事で良かった!きれいな優ちゃんに傷をおわせなかったわたし、めちゃくちゃ偉いよね!」

 痛々しい包帯に包まれた小さな体で微笑まれて、優はまた泣いた。

「痛いのは友里ちゃんなのに、わたしが泣いてごめんね」

 泣きじゃくる優は、友里になにをしたらお詫びになるのか、ずっと考えても思い付かず、友里と離れることも嫌で、嫌われたくないから、と嗚咽混じりに「なんでもするから、許してください」と神様にお祈りするように、懇願した。


「優ちゃんはわたしのお姫様だから」

 友里はそう言って、泣いてる優の頭を撫でた。

 この頃はまだ身長差もなく、ふたりの身長も気持ちも、同じくらいの大きさだと思っていた。性別もなく、ただ好きだから一緒にいられた。

 しかし、友里の心の大きさは、優が思っているよりずっと大きかった。

「…許すとか許さないとかそういうのは、ないの。優ちゃんはわたしの大切な、たからものだから、もしもわたしが死んじゃっても絶対に助けたかったの」


「ずっとそばにいて」


「絵本の最後にある、ふたりはずっと幸せに暮らしました!ってやつしよう」

 とぎれとぎれに、友里は自分の中にある少ない言葉の中から優に届く言葉だけを選びながら、そう告げた。

 黙って聞いていた優は、(これはわたしの涙を止めるための言葉だ)と感じた。これ以上、優しい友里の前で涙を流してはいけないと思い、きゅっと手の甲で拭いた。

「…じゃあ、優の王子さまは友里ちゃんだよ…」

 友里は、泣き止んだ優にとびきりの笑顔を見せてくれた。

 まだその頃は、お姫様の対は王子だと思っていた優は、そう言ったことを後悔していた。友里のことをすごくかわいいと思っているのに、ヒーローのように崇めてしまったせいで、友里自身が優を守らねばとか、優のことでむきになって誰彼構わず喧嘩をしたりするようにならなかったのかもしれない。

 優がいわなければ、ふたりで、のんびりとお姫様をしていられたかもしれない。


「いやいや、それはないでしょ」

「だって駒井くんは外見が王子だもんね」


 二人は可愛らしいが、かなり重い二人の子供時代のエピソードをもう少し聞いていたかったが、耐えきれず、話の腰を折った。駒井優は折れずに続ける。


「だから、それからわたしは友里ちゃんをちゃんと守れる人間になろうって、誓ったんだ…」


 後楽が膝を打つ。


「だから王子に!」


「王子かどうかはわからないけど、人並み以上の努力をする度に、大きくなっている気はする…。でも友里ちゃんに、かわいいって言って貰えるから、わたしは嬉しいよ!…悩んではいるんだけど…」


 後楽と萌果は(いや、身長だけの話ではないんだけど…)ふたりの趣味ではないが、優のきれいな顔や所作をみやる。


 優は、友里に「かわいい」を言わせなくしようとしているのはこのふたり以外にないと思っていた。自分が友里に言ってほしいのだということをちゃんと告げたら、友里を変えないでいてくれると、友里の友人を信頼して話をした。

(友里ちゃんのキズのことを言ってしまって、大丈夫だろうか)多少の不安は感じた。


 チャイムが鳴った。

「やべ、HRサボらせてごめんね」と萌果がいうと、優が「ほんとだ、忘れてた」と続けた。


「二人の関係はなんとなくわかったよ、友里のことめっちゃ好きなんだね、駒井くん」


「えっ……」

 優はほんの少しだけ迷ったようだったが、萌果を探るような瞳をしてから、微笑んで、答えた。

「うん、大好きだよずっと」


「否定しないんだ草」


(草ってなんだろう)優は思ったが聞いてもきっと理解できないだろうなと思い黙って微笑んでいた。遠くから友里の声がした。教室に戻ってこないふたりを心配して迎えにきたが、そこに三人を見つけて、優秀な優までサボって話し込んでしまったことにものすごい驚いていた。


「友里ってどこに怪我の跡あンの?」

 後楽が長年、優が聞けずにいたことをサラッと聞いた。


「川に落ちたときのやつかな?優ちゃんに聞いたの?恥ずかしいけど見る?内腿と背中にあるよー。おかーさんがいうには年々小さくなってるって!」


 話したことを怒られると思ったが、そんな様子もなく、友里があまりにあっけらかんといいながら、ペラリとジャンパースカートのスカート部分をまくろうとしたので、さすがに優は、あわてて顔を背けた。

「友里ちゃん、ごめん勝手に言って」

「後楽たちにならイイよ、だいじょーぶ!」

 友里は優にピースをする。

 後楽は「かっこいい!」と感想を告げて、ちゃんと見た。萌果は傷跡をみるとなぞりたくなるのでパスをしていた。


「たいへんね、危機管理低い姫で」


 萌果に小さい声でいわれて、優はこくんと頷くことしか出来なかった。

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