第3話 かわいいの暴力

 第3日曜日は、日々バイトに学校に明け暮れる荒井友里にとってバイトも用事も何もない日だ。第4に休みたい者あれば交換ぐらいはするが───しかし完全なオフではない。

 14歳のあの日、いやもっとずっと前、駒井優が幼児を川から救い、王子化してしまったあの日から、駒井優が可愛いということを世間に知らしめる計画を立てる日なのだ。

 元々はクラシックバレエを習っていて、たまたま第3日曜日がオフなことが多く、その癖でその日になっているだけなのだけど。


 ピンポンとのんきな荒井家のベル音が鳴る。

 母親が出迎えている様子で来客が誰かすぐにわかってしまう。「かっこいい、かっこいい、素敵!王子様みたい!!」聞き飽きた、抹殺したい文句が並ぶ。

 慌てて2階にある自室から飛び出していく友里。



「優ちゃんは、かわいいの!!」


 階段を下りながらそういうと、母親が「あらまぁ」といった。友里はまったくおきぬけのまま、服だけ外行きに着替えたようだった。髪をとくために居間にブラシをとりに行く母親。友里は下から上まで、出掛けるにはほど遠い様子だ。

 比べてみれば、母親がいうように今日の優は決まっていた。4月中頃の今、ボアコートは少し暑かったのか腕に抱えている。そして少し薄手の爽やかな青い長袖シャツに白いTシャツをセットアップにして、ジーンズはスラリと少し色味の濃いプルシアンブルーが白いスニーカーに緩く被るフレアパンツ。真夏の空みたいに爽やかで強く輝く光だと友里はおもった。なんてかわいい…かわいいの暴力で目はつぶれた。


「わたし、くしを持ってるから取りに行かなくても大丈夫ですよ」

 友里の母の背中に美しい声で駒井優が語り掛けた。実母と優がにこにこと友里の手間のかかる様子を(わかります~)というあきれ顔で微笑み合う。

 ふたりの母に愛されているような馬鹿にされているような気持ちで、友里は震えた。


 荒井家の三和土はかなり低いので、三和土に立ったままの優と玄関ポーチに立つ友里とで、いつもは確実にある15センチの身長差が5センチほどになって、目線が合う。

 友里はいつもの制服姿よりも1500倍は美しく身支度が終わっている優を前に、かわいい!という感情と自分の準備不足への叱咤で感情が追い付かなくなり、少しだけ意地悪に「優ちゃんは身だしなみの道具、誰のために持ってるわけ?」つんとして言った。

「もちろん、自分のためだけど、友里ちゃんが使ってもいい、ってだけよ」

 悪い笑顔で返された。

 それは友里にとって爆弾級に可愛くて、心臓が耳から飛び出そうな出来事だった。友里は意地悪さをじぶんから言いだしたコト、それに瞬時に合わせてくれた優の”幼馴染みとしての勘のよさ”とで、感情が手がつけにくいほど秩序を失ったが、自尊心のために2秒ほど息を止めて我慢した。


「小悪魔笑顔!!かわいい!!」


 そしてすぐにノックアウトされた。優は爆笑した。


「電車に遅れちゃうけど、部屋で直してきてもいい?」

 友里が問いかけると、優はコクンと縦に頷いた。

 今日は以前約束した「友里に似合うけどちょっとだけかっこいいジャージ」を優に選んでもらう日にしていた。

 もちろん、友里は自分のジャージなどはすっかり忘れていて、本人をお迎えした友里は、優”かわいい!”を世間に知らしめる、「優・淑女計画」を視野に入れていた。

 "大きなショッピングモールに連れ出して、かわいい服を気の向くままに購入する予定!"

 優に相談もせずに決めていた友里は、その軍資金の入った鞄を相棒への激励の気持ちでポンポンとたたいた。


「迎えに来てもらったのに悪いわねえ」という母親に優は「いえ、全然想定内ですよ」とキラキラの笑顔で答えていた。


「友里ちゃん、わたしが髪をなおそうか?」

 おずおずと優が言ってくれた。友里は優の髪を結い上げる手腕を知っていたため、もろ手を挙げてお願いした。さあさあどうぞ!!と2階の自室に招く。いつでも人が来ても困らないことが、(というか物が出てないので部屋の片付けも楽ちんなだけな)友里の一つの長所だった。


「あー…わ……友里ちゃんの部屋だ~、緊張する~~」

「なんで緊張してるの?優ちゃん」

「え!?あ??すごい久しぶりに友里ちゃんの部屋に入ったから……!」

「そうだっけ??」

 ベッドに座るよう促した友里だったが、優はキチンと断って、座布団もない友里の部屋の床の上にちょこんとその痩身を置いた。

 小さな鏡付きチェストとベッドしかない部屋なので体が大きい優がどこに身を置くか、いつもすぐ決めるには迷うようだ。

 優のために備え付けのクローゼットから小さな折り畳み机を出すべきか…いやいまクローゼットを優の前であけたら、支度不足の上に優にも内緒にしている趣味の手芸がバレてしまう。

 優は体は大きいが細いので小さくまとまるなあと友里は感心した。

「優ちゃんはなんか、スマートな収納グッズみたいだよね……超かっこいいコンパクトにたためるやつ…」

「なにそれ??褒めてる?」

「嘘でしょ?スマートな収納グッズってみんなの憧れじゃないの……?!」


 優がくすくすと笑い、緊張がほどけたようで、髪を直すよう、友里は自分のチェストに座った。


 鏡付きのチェストは勉強机であり、鏡台。観音開きの鏡の扉を閉めて、前に下ろすと机になる。今は鏡のでてる状態で、申し訳程度のパウダーや、リップや基礎化粧品などが並んで置いてある机の前に座ると、その後ろに立って、優が友里の髪を丁寧にほどいていく。

 優と友里は鏡越しに目を合わせた。微笑んでから、優は友里の髪に視線を合わせるので、友里はその伏し目がちな表情に、ドキドキしてしまう。


「サイドアップの高さが違うだけだから、片方を直すね」

 優は背が高いので、椅子が低くないか友里が問いかけるが、「やりやすいよ」というので友里はそのまま両腕を太ももの中にはさんで待機した。

「ツインテールは痛々しいかな」

「どんな髪型も可愛いよ」

 極上の微笑みで、そう言う優が、鏡にうつって、涙袋と頬の高い位置にふんわりと光がまとう。



 ──友里のふわふわの茶色っぽい髪は地毛で、光に透けると少しだけオレンジ色に見えるので、濃い黒い髪をしている優にはとてもあこがれが強かった。

 いつも同じヘアフレグランススプレーの甘い香りがして、お気に入りなんだなあと思った。同じスプレーを買ったら、(いつでも友里ちゃんと一緒にいられる感じがしてイイかな)とも思ったが、(友里ちゃんがつけているからいい香りに感じるのかもしれないから、自分が付けるのは違うだろうか)と一人で結論づけていた。

 でも、仲良しなら、ありかもしれない?

 ──優は思わず、友里の髪に顔を寄せて言った。

「ねえ、友里ちゃんが使ってるヘアスプレーって一緒の使ってもいいかな…」

 顔をあげると鏡に、真っ赤な顔をした友里を見つけた。

「友里ちゃん?」


「わたしの可愛いなんて、些末なものなんですよ…」


 いつもははきはきと喋る友里がもぐもぐと口の中で何かを言っているので、優は何だろうと首をかしげたが、鏡にまるで友里の髪にキスをしているかのような自分の姿を見つけて、あわてて後ろに飛び退いた。


「あ!!いや!これは!!!髪がいい香りがして!!!」


 言い訳をしようとして、優は墓穴を掘ったことに気付いた。うそはついていないのだけど、(気持ち悪がられたらどうしよう。せっかくかわいいと思ってもらえてるのに)優は思った。

 そっとそばに戻る。(本当に小さく収納されてしまえばいいのに)と思った。


「優ちゃんのかわいさに比べたら、私の髪形なんて、なんでもいいやっ、同じ鏡の中にいて、まじで、実感してしまったわ……!」

 そういうと、友里は髪を後ろに一つにすると、ベージュ色のレースのシュシュで束ねた。優が思ったようなことなど、1ミリも感じていないような、いつもの輝かんばかりの笑顔で、優に近寄ってパン!と拝むように顔の前で柏手を打った。

「時間とらせてごめん!!」


 友里が走り出すと、その勢いですこーん!と後ろに倒れた。友里のヘアスプレーはヘアフレグランスタイプで、つやグロス効果の高いそれはオイルが多分に入っており、それをそのまま髪に吹いていた友里の、なにもないように見える部屋の床は、定着剤とまじりあったオイルで、靴下で歩くと大変すべりやすい床になっていた……。


「友里ちゃん!」

 近くにいた優は床に頭を打ち付ける寸前で、友里を支えることができた。──頭を右手で、腰を左手で、抱きかかえるようにして、そっと上体を起こした。


「あぶな…よく転ぶね、最近」

 優は手のひらも大きいので、友里の頭がすっぽりと収まることに感動していた。優は友里の小ささをいつも感じていたし、可愛いのは友里の方だよという言葉は口に出せないけど、どんな友里も可愛いという言葉に一切のウソ偽りがない。

 そんなかわいい友里に可愛いと言ってもらえるのが好きだった。友里が自分のことを好いてくれているからこそ出てくる言葉だと思っているからだ。


「どうしよう……」


 友里が、両手で顔を覆って言った。ひくりと、肩が震えて、そのまま低い振動が優の手に伝わってきた。優はその声にびくっとした。

「友里ちゃん?どこかぶつけたの??」

 友里が泣いている。

 友里が泣くことはそこまで珍しくはないが、このシチュエーションはまさか……、──おそれいたことが、起ったのかと、優は震えた。


(もしかして、わたしをかっこいい、と思ったんじゃないかな…)


 自分で、そう思うのは自信過剰のようにみえて恥ずかしいのだけど、友里が忌み嫌っている「かっこいい」という言葉を、とっさに支えた構図によって、優自身が自分で感じてしまっていた。いわゆる、お姫様抱っこという態勢だ。お姫様を抱きかかえるのは王子の役目だろう。

 もしも、友里が、「かっこいい駒井優」に耐えられなくて自分から離れてしまったらどうしようと考えたことがある。かっこいい自分は友里にとって必要のないものだと思っているからだ。かっこいい、と思ってしまったら、友里が優から離れるのではという不安、──そんな恥ずかしいことを、誰に相談できるでもないから、優は夜のお風呂場で、鏡に映る自分がどんどん大きくなるたびに、大きなため息で追い出したりしていた。


「どうしよう…」

「友里ちゃん……良いよ、わたしに構わず、言っていい……」

 優は観念した。


「かわいくて…」


「え?」


「可愛すぎて、つらい……!!!」


「は……?」


 友里が唸るようにそう言って、優にがっしりとしがみついた。

「国の宝…!!!!優ちゃんは!!!かわいいの宝石ビックジュエル…!!!!!!!」


 そして優の胸でヒックヒックと泣いた。うれし泣きのようだった。

「なんだ…」


(よかった、かわいいって思ってもらえて……)


 優は泣きじゃくる友里を抱きしめて、胸に抱いてから、頭をなでた。小さくてかわいい。ふわふわの髪のかわいい女の子は、一回り小さくて、優が持っていないものをみんな持っているように感じた。心臓がどくどくと鳴っている気がして、優は少しだけ友里の位置をずらそうと試みるが、胸に友里がどんどん埋まっていくので諦めた。


「は~、もうほんとお母さんよりほっとする、そのなでなで。優ちゃんは完璧淑女だってこと、みんなに知らしめてやるかんな…」


 友里の暴言に、(みんなにしらしめなくてもいいのになあ)と思いながら瞬きをして、気持ちを静める。友里は泣いているから、きっとこの心臓の音は聞こえていないと思うとすこしだけ寂しさで気持ちがスウと沈んだ。


 ──聞かせたいのか、聞かせたくないのか自分でもよくわかっていない。


 そして、友里の頭の上にそっと顔を近づけて言った。


「だれが信じなくても、友里ちゃんが信じてくれてればそれでいいよ」


「かわいいのに…」

「ありがとう」


 優はまだ鼻を垂らしてる友里の顔を、自分で持っていたハンカチで拭いて、にこっと、ほほ笑んだ。友里はそんな優にまた可愛いのシャワーを浴びせてしまうのだった。


 その日は結局、友里が泣きはらしてしまったので、ネット通販で買い物をしよう!と、一日友里の部屋で過ごした。友里のお母さんがお昼ごはんを用意してくれて、思いがけず家族団欒を経験してしまい、優は終始照れていた。

 優は、友里に「長身さんもすてき!かわいいスカート」という採寸が細かく書いてあるページで狙っていたスカートのうち1枚と部活で使うかわいいタオルを3つと、友里と同じヘアフレグランススプレーをプレゼントされるのだが、「王子に妖艶な香りがプラス…!プリンスの香り!!!」としばらく話題になってしまったので、「プリンセスの香りじゃ!」とキレ散らかした友里が様々な香りを試すようになってしまい大騒ぎになったため、──学校では過度なフレグランスが禁止になった。


「悲しい事件だったね…」


 優は、友里と過ごす第3日曜日にだけ、スカートとヘアスプレーを身にまとうことにした。

 マーメイドラインでシックなのだが、くるりと回ると裾が広がる素敵なスカートだ。念願の大型ショッピングモールに向かい、友里は何度も優を回らせて「こんなに可愛いものが存在していいのか、ありがとう地球、ありがとう宇宙!!」と叫んで優は困ったように笑っていた。

 ちなみに「友里に似合うけどちょっとだけかっこいいジャージ」は、まだ買えずにいる。

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