第2話 淑女計画始動


 荒井友里は、月水金、17時から21時までファミレスでバイトをしていた。火木土日はコンビニで、木曜日は温泉施設の清掃に入っている。温泉施設の清掃だけ、温泉施設が閉まる21時から0時の間に清掃して、0時にきれいなお風呂に入って帰宅することができるので気に入っているが、いかんせん時間が遅い。田舎の0時は人もおらず、信号機だけが光り輝いている、他の部分は完全なる闇。

 しかも、全部の街灯がLEDになってしまったのでそこだけは明るいけど音もなく虫の気配もなく、そこを通り過ぎた瞬間の自分の影がかさなる闇が本当に怖い。──少しでも外にいる時間を減らすために自転車からバイクにしたいけれど、怪我で時間をとられることが怖くて、踏み出せずにいる。先に車の免許のほうがいいなとも思っている。


 いつもの街灯を通り過ぎた瞬間だった。

 そこに、なにかがいた。


 なにか…何…???今の…


 …人…???


「…ちゃん… ゆ… り   …ゆ」


 ドップラー効果で声が通り過ぎた。ぎゃあああ!!と声にならない声をだしながら自転車のサドルから尻を浮かせて立ちこぎで逃げようとして、ペダルを踏み外した。

「わたしとしたことが!!!」と思ったがさいご、体を大きくゆがめて自転車から転げ落ちた。背中から落ちたため、おおきめのバッグが体を守ってくれた。しかし痛い、そしてさっき見たものが、人であったら、──おばけより人だったら、襲われてしまうかもしれない。田舎は人気ひとけが無いから襲う人も襲われる人も暗闇待機がめっちゃ怖いのに、襲う人は良く待機していられるなと思う。

「友里ちゃん!」

 しかしそこにいたのは、見慣れた美しい顔だった。

「優ちゃん!!!」

 友里の大好きでかわいい駒井優だった。黒いキャップに白い上下のジャージを着て、その上に光る腕輪をして夜にジョギングする最高のスタイルだった。(白のジャージを着こなすなんて、宝塚の人みたい)と薄く脳裏に駆け巡る。

「優ちゃんじゃん!!!め~~~~っちゃホッとした!!綺麗!!優ちゃんの綺麗でかわいい顔だ~~~!!やだも~~~ホッとした!!」


「大丈夫?びっくりさせちゃったね、怪我してない??連絡はしたんだけど…」

 駆け寄ってきた優は、友里の大げさな誉め言葉に慣れていたので、こんにちはさようなら程度のテンションであいさつをして、どちらかと言えば友里の怪我の方を心配して、膝や背中から砂をはたいて落としながら確認している。大きなケガが見つからなかったのでほっとした顔をした。

 優のハンカチで頬の汚れを取ってもらいながら、カバンの脇に入れておいたスマホを取り出して、友里は「あー、ほんとだ、話があるから道で待ってるって書いてあるね~ごめん、見逃してた!!」と謝った。

「ハンカチ洗って…いや、低学年を見習って新品で返すか?」と本気で言った。

「ううん、返さなくていい」とぴしゃりとされる。

 ちゃんと自分で洗いますよと、優はハンカチをしまった。お気に入りのハンカチをこれ以上もっていかれたくない。

「それは良いけど、0時だし怒られると思ったら連絡が返ってこなかったから、やめておけばよかったね…」


「そうだよ!こんな時間にお家出てきて!!大丈夫なの!?」


 友里は思い出したように大声で優に向き合った。両腕をおさえられて、優は少し困惑したようなびっくりした顔をしたけれど、すぐに困ったように、涙袋をふわりと膨らませて笑った。

「大丈夫、わたし、家では信頼されているよ。というか、友里ちゃんが信頼されてる。友里ちゃんをお迎えに行くって言ったら、反射バンドを、もたされちゃった」

 そういうと友里の手首に反射バンドを装着した。

「それもそうだけど…!こんな遅くに!怖くなかった?ありがとうね」

 友里がそういうと、優はへにゃりと笑って「大丈夫…!」と顔を赤くした。友里が怖がりを心配しているとわかって照れた。


「そもそもこんな背も大きいし、水泳してたから肩幅もあるし、かっこいい白おでかけジャージ着てるでしょう?だから…わたしより、友里ちゃんのほうが女の子、って見た目をしていると思うけど」

「へ…?」

 制服のまま、スカートで自転車を乗り回していたことに気付いて、友里は道路に座り込んで転げ出ている足を即座にしまった。確かに女子の制服のままの自分と比べて、深夜に徘徊する格好としては優の言い分が勝っている。

「確かに…!今度から私もかっこいいけどまあまあ自分に似合うジャージに…!優ちゃん一緒に買い物に行こう…!第3日曜日ならバイトしてないから!」

 そういうと、優はくすくすと笑って「そうだね」と同意しながら、友里が立つのを支えてくれた。


 派手に転んだ割にけがもなく、自転車も元気はつらつだった。しかし、転んだことは事実なので自転車は明日、修理に出そうと友里が言う。「自分は??」という優の声は擦り傷だらけでもぴんしゃんしている友里には届かなかった。


 0時という時間なので、家に帰宅しながら話そうと深夜の暗闇を歩き出した。ふたりは近所に住んでおり、ここからだいたい15分ぐらい。話すには丁度慣れている時間だ。


「今日のウィッグ作戦の結果発表でしょう!?やっぱ優ちゃんも、皆の反応すごかったって思ったでしょう!?」


 友里が興奮さながらにそういうと、優はまあそうだね~部活のみんなはおどろいてたよ~~とのんびりした口調で告げた。しかしどこか言い淀んでいるように思った。


「なにそれ~、もう…すいぶのみんなはダメだな、美しさにマヒしてやがる…」

 友里の吹奏楽部員への当たりは少しキツイ。吹奏楽部員が、優を王子に祭り上げていると思っている節があるせいだ。

「ああ、でも、部長が可愛いって言ってくれたよ」

 優にほほ笑まれて、友里は少しだけ驚いた。部長とは、現生徒会文化局長のことだ。藤崎優斗、《ふじさきゆうと》凛々しく優秀な、優より10cmは身長が高い、まあまあのイケメンだ。

「じゃあそいつに告白されるまでを目標にしよう!!」

 友里がそういうと、優は「はああ???」といつもより少しだけ大きな声で驚いた。

「だって、イケメンに告られたらさすがに女子だと思うでしょ、女子は!王子じゃなくてさ!!」

 良い提案だとばかりに言うと、優は真剣な顔で友里に「コラ」、と怒った。

「あのね、友里ちゃん告白ってとってもパーソナルな問題ですごく勇気がいって…告白を目標にしてしまうとそのあとの色々が待ってるでしょう?それはどうするの…」

 真摯な態度だ。人として、すごいと感心する友里。それはそれで、そういう態度がみんなにきちんと王子だからしているのではなく、優という人間が素晴らしいから、と認めてほしいという気持ちになる。


「それは、まあ優ちゃんが好きなら付き合えばいいけど…好きじゃないでしょう?でも王子だったら告白しないけど!淑女なら告白してくるじゃん?一つのバロメーターになるかも!」

「はあ…友里ちゃん、わたし以外の相手の人生もちゃんと考えてあげて…」


 ワーッと話をして、「それはまあ、そうだね、悪い提案したかも」と友里は謝罪した。そしてそれを区切りに、優がポツリと話した。


「実は、そう、告白されたんだよね帰りに」


 友里は、その言葉に思考停止してしまった。自分で言っておいて、実際””された””と聞いて、言葉を告げることができなかった。先程の発言が、本当に無責任だったなあ、とさえ思った。

「けどさ、髪が長くなったくらいで女として意識しました、ってちょっと面白いなと思って」

 優がくすくすと笑いながらその時の様子を身振り手振りに言う。はあ、と友里が聞いていると

「その場でウィッグを、こう!はずしてさ」

 付けていたキャップをウィッグに見立ててはずして見せた。さらさらの髪が切れ長の黒い瞳にかかって、きらきらと光ってみえる。一度瞳を閉じて、開くまばたきすらスローモーションでみえた。その所作がまた、丁寧で美しい。友里は見とれる。

「「こっちでも言えますか?」って聞いたら向こうも「悪い、気の迷いだった!明日からもいつも通り友人でいてくれ」っていわれちゃった」

 友里なら絶対それでもお願いします!と、すがり付くところだなあと思っていたが、優の話のつづきを聞いた。

 優は立ち止まって、「それで、今日待ってたのは」と続けて少し言い淀んでから、持っていたトートバッグを、友里にそっと提出した。

「ウィッグ、壊しちゃったかも…その謝罪に待ってました!!!ごめんなさい!!!」

 頭を深々と下げた。


 友里は、ぽかんとしながらもウィッグを受け取って、頭のワイヤー部分が曲がっただけだったことを確認すると、スッと直した。それを見た優は、「なんだーあせったー!」と一安心した。良かったよかったと、鼻歌交じりに落ち着いている。

 ──つまり、優は友里の””優・淑女計画””の進行状況である、告白や吹奏楽部の反応を伝えたかったのではなく、友里が用意してくれた備品の破損を一刻でも早く謝りたくて、こんな遅くまで待っていてくれた…というのである。


「え、まあそれは本当に気にしなくていいんだけど、優しいね、優ちゃんは……。……だって怒涛の展開すぎて……──告白されたけど、断った?というか相手が、キャンセルしてきたってこと…?」

「あー、そうだね??うける」

 優が、その優良な白い歯を見せてにこっとほほ笑んだ。部長とはこれからもいい友人であるという。



「うける   じゃないよ!!」



 押して歩いていた自転車の車輪止めをバン!とかけて、自転車をそっとその場に立て置くと、友里は両手を握って優を見上げた。──友里より15センチ向こうに高い優の美しい顔が、戸惑いで揺らぐのさえ儚げに光っていて、お月様よりきれい、と思った。

「はえ?!」優が変な声で立ち止まる。


「うちの可愛い優に!!!!!!!髪が長いだけで告ってきて!!!あまつさえキャンセル!?!??!」


 荒井友里は、怒っていた。──地団太を踏んだ。


「絶対に、世間に優がとてもかわいい淑女であると知らしめてやる…!!!」

 0時を過ぎた田舎道で唸るように誓った。あまりにもひどい、ヒドイとうめくが、その悲しみは友里にしかわからないことにまた悲しくなった。

 人も街灯もないので、その大声を注意するものはない。全くの闇。体についている反射板は反射するライトがないとそもそも輝かないのだ。

 友里の怒りの原因……──とも言い切れないが、担っている駒井優が「私のことで怒らなくていいよ」など声をかけなければいけないのかもしれないけれど、優に怒る理由はみつからなかった。


「わたしは、友里ちゃんがわたしを可愛いって言ってくれるだけで幸せなんだけど」

 その声は、怒りに震える友里には届かなかった。


「優ちゃんが!!世界で一番!!可愛いんだから!!!」

 唸る友里を、優は怒られるかなあと思いながら、そっと抱きしめたが、友里はそれに反抗することもなく胸の中で誓っていた。


「優しくて可愛い優ちゃんを、世間に知らしめるのだ!!」



「暗闇で良かった……」

 ──お風呂上がりの友里を抱きしめていることに気付いた優は、真っ赤な顔をして、空中につぶやいた。

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