第5話 七草の節句
お正月も過ぎた、一年で最初の節句。年末年始はゆっくりと過ごしたけれど、どうしても御馳走ばかり食べてしまって、体重が少し気になるくらいだ。
それもあって、七草の節句で七草粥を食べるのは気持ち的にもちょうどいい節句だと感じられる。という訳で、本日の夕食は七草粥だ。見栄えよく容器によそってテーブルに運ぶ。
「桃子ちゃん、はい、どーぞ」
「ありがとう。すっかり花子ちゃんに台所とられちゃったね」
花子は社会人になるタイミングで、桃子の家に転がり込んだ。少々強引だったのは否めないけれど、すでに一線をこえていたこともあってなし崩し的に受け入れてもらうことができた。
そうして強引に一緒に過ごしてきた。あと二か月ほどで春になれば一年になるのだ。桃子も満更ではなく、ちゃんと全部、受け入れてくれたと思っていいだろう。
最初こそ桃子を中心に台所に立っていたけれど、秋ごろから任せてもらえるようになった。元々料理の練習もしていたつもりだったけど、やはり実際に生活をして毎日つくるとなると手際の悪さが目立ってしまっていた。
だけど今では、任せてと言えばテーブルで待ってくれるようになった。そんな変化も花子にとっては桃子に頼られているようでとても嬉しい。
「ふふ。任せてよ。私でよかったら、ずーっと食事をつくってあげる」
「はいはい、ありがとう。じゃあいただきます」
「いただきます」
花子は物心ついた時から桃子が大好きだった。いつも優しかった。いつだって傍にいてくれた。そしていつも綺麗で、可愛らしくて、世界で一番素敵な女性だった。
彼女みたいになりたいと憧れたこともあったけど、そうじゃなく、彼女を自分だけのものにしたいのだと言う自分の欲求に気が付くのにそう時間はかからなかった。
女同士だからとか、そう言ったことは思わなかった。花子にとって桃子を愛するのは当たり前のことで、そうじゃない自分なんて想像すらできなかった。
だから、母親と桃子の関係に嫉妬した。泣きそうなほど嫌がりながら、拒絶しない桃子に怒りすら覚えていた。だけど気が付いたのは遅かったのだろう、それから少しずつ桃子は距離をとりだした。
それは嬉しいことだけど、同時に花子とも距離をとると言うことでもあった。しょうがなかった。小学生で、一人で電車にのるのもちょっと怖いくらいの子供だったから、どうしようもなかった。
だからそれから、花子は桃子に胸をはって会えるように、母親なんて関係なくたって大丈夫なように、自分ができるだけの努力はした。
そして桃子に会いに行った。少し時間はかかったけど、記憶の中の彼女と何一つ変わらず、優しく迎えてくれた。
「ふぅ……お粥はお腹にやさしくたまるよね」
「そうだね。……ねぇ、桃子ちゃん」
「何?」
「愛してるよ」
「……なに、急に」
食後、片付けも済ませてゆっくりとした腹ごなしの時間。穏やかな流れでの突然の言葉に桃子は驚いたように苦笑する。そんな表情も好ましい。だけど、今はそう言う気分ではない。そっとその膝に触れながら顔を寄せる。
「いいじゃん。節句の節目なんだから」
「年末年始の時もそう言っていたでしょ。いいけど……私も、愛してるよ」
縋ると桃子はあっさりと、呆れたようにしながらも愛しさを込めた微笑でそう当たり前のように思いを返してくれた。
この瞬間は、もう何度も味わっていても、その度に喜びで胸がはちきれそうなほどだ。
「寒いね。これから大寒だって言うのに、雪もやまないし、まだまだ当分こんな感じなんだろうね」
桃子はふふ、と照れたようにして誤魔化すようにそう窓を見た。だけど花子はもっと聞きたい。寒いからこそ、もっと温かい気持ちになりたいと思ってしまうのだ。
「そうだねぇ。ねぇ、桃子ちゃん、私のこと、どのくらい愛してる?」
「えぇ、何急に」
「今日はそう言う気分なんですー」
ぐぐっと身を寄せて半分抱き着くようになりながらおねだりする浅ましい花子に、桃子はよしよしと軽く頭をなでて気持ちを落ち着かせてくれながら、仕方ないなぁと微笑んだ。
「うーん。そうね。じゃあ、君がため、惜しからざりし命さへ 、長くもがなと、思ひけるかな……なんてね。ちょっと重かったかな」
ゆっくりとしたいつもよりさらに優しい声音で、朗々ととなえられた文章は耳に心地よかった。なんとなく聞いた覚えはある。
「百人一首だよね。昔プレゼントしてくれた」
「そう。ちょっと臭かったかな。定番だし。でも、大昔の人で今と何もかも文化が違うのに、それでも今共感できるってすごいよね」
昔、子供のころお正月にプレゼントしてくれたことがある。ちょうど授業で習ったこともあり花子は調べて小テスト対策にいくつか暗記した記憶もある。その時は結構覚えたのだけど、さすがにもうほとんど覚えていない。
「はい、先生。意味も解説してください」
「ん? うん」
なんとなく分からなくもないけれど、どういう意図で使ったのか、ちゃんと桃子の口から聞きたかったので、ふざけ半分で軽く手をあげて素直にそうお願いした。
「と言ってもまあ、割とそのままというか、元々は逢瀬から帰ってきた時に詠んでるから、そのまま言うと、あなたと会う為なら命も惜しくないと思っていたけど、あなたと会ったらまた会いたくて、長く生きたいと思ってしまう。みたいな意味だよ」
「はー。なんだか昔の香りを感じるね」
花子も何となくその時代は想像できる。通い婚とかの時代だろう。
もし花子がその時代に生きていたらどうだろうか。子供のころはどうしようもなくて、できるだけ桃子の元に通うしかなかった。
だけど大人になって、心も体も通じ合っても家に帰らなきゃいけない。それが当たり前で、そして帰るたびに次を思うのだ。考えるだけで、耐えられない。
一緒に暮らす前だって、初めて繋がった日は帰らずに翌日も一緒にいた。だけど昔はそれすらできなかったのだ。考えただけで寂しくて切ない。
想像して寂しくて、そっと桃子の腕に抱き着きながら相槌をうつ花子に、桃子は微笑んで頬をなでてくれた。その少し冷たい指先から愛情が伝わってきて、心地よさすら感じられる。
「ふふっ。そうだね。私の気持ちに意訳すると、花子ちゃんの為ならいくらでも命をあげてもいいって、花子ちゃんが幸せなら死んでもいいって思ってた。でも……今は、花子ちゃんの為にも、私の幸せの為にも、もっともっと、長生きしたいなって。そう思ってる。これで、質問の答えにはなったかな?」
「うん!」
どのくらい愛してる? なんていうめんどくさい質問代表みたいなものに、真正面から答えてくれる。そう言うところが、ますます好きだ。
そしてその答え方が、当たり前みたいに教養にあふれている。押しつけがましくなくて優しくてわかりやすく、あくまで気持ちを伝えるためのツールとして自然に魅せてくれる。
そう言う、きっととってもいい環境で、大事にされて、愛されて育ってきたんだろうなって、美しさを感じる。四季を大事にして、些細なことも丁寧に、ちょっとした態度の一つ一つに粗雑さがない。
桃子の人柄そのものが、美しい生き方そのものみたいで、花子にとってはこの世で一番素敵な宝物なのだ。
「桃子ちゃん、私も愛してるよ。世界で一番、愛してる。宇宙の誰より、ううん。全宇宙よりもっともーっと、愛してる!」
「そっか。嬉しい。ありがとう」
それに対して花子の子供でも言える安直で単純な好意表現。だけどそんなつたない表現もまた、桃子は優しく受け入れてくれる。
嬉しくて、愛しい思いが止まらない。
きっと、花子の母親もそれを感じていたのだろう。そう思う。けれど母はそれに対して、愛情を感じはしなかったのだ。
結局、母はこの人をめちゃくちゃにしたかっただけなのだ。愛していたのではない。あたたかな家庭に育ったこの人に嫉妬して、そんな人に愛される自分を愛していただけなのだ。
桃子が離れて一時荒れていた時があった。花子には連絡をくれるから嫉妬して、暴力をふるったこともあった。だけど、そんな状態でも娘に見向きもしない父に、娘がどうでもいいほど愛されて、それで嬉しくて、途中から桃子のこともどうでも良くなっていた。
誰のことも愛してなんていない。ただ自分を愛していただけで、桃子のことだって自分の自尊心の為に利用していたのだ。
可哀想な人。利用されるだけされて、意図的に傷つけられて、めちゃくちゃにされて、なのにいつも一生懸命で、いつも私に尽くしてくれた。親ではないのに、親よりいつも私をみてくれた。
結局、血が争えないだけなのかもしれない。自分だけを見てくれる存在に執着しているだけなのかもしれない。それでも、花子にはもうこの人しか見えない。
「桃子ちゃん、もうお正月終わっちゃうね。あー、残念」
「そうだね。もうすぐ一年か……。花子ちゃんは社会に出て大変だったでしょ。なのに家事も頑張って、偉かったね」
「んふふ。桃子ちゃんに甘えるために一緒に住んでるんじゃないもん。桃子ちゃんと支え合うためにいるんだから当たり前でしょ。
「……うん。ありがとう」
「お礼を言われることじゃないよ。でも、お礼を言いたい気分だったなら、言葉の次は、行動で示してほしいな」
「うん。そうしようか」
桃子は期待に目を輝かせる花子に、仕方ないなと言うように微笑んでから唇を寄せた。
こんな幸せが、ずっと続きますように。花子はそう願いながら、桃子に溺れていくのだった。
桃子と五節句 川木 @kspan
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