第8話 四天王 その4

 隙なく構えたイチノー兄さんの前に音もなく降り立ったのは、小麦色の肌に尖った耳、ささやかな胸を持つ、綺麗な顔立ちのダークエルフの女性だった。


「ああ、ちょうどいいところに来たな。魔王はどこだ?」


 襲撃などなかったかのように、イチノー兄さんはのんびりと言う。


「魔王様はどこか、だと? はっ! 知ったところでどうする? お前たちがこの先へ行くことは叶わん。なぜならお前たちはここで、四天王第一位の私、カルーアの前に屈服するのだからなっ!」


 四天王カルーアは、そう宣言すると同時に土魔術で壁を作り出し、私たちを押し潰さんと魔力を込めていく。


「短気は損気、ってね」


 ぽつりとイチノー兄さんはそう呟くと、目にも留まらぬ速さで大剣を振る。

 頑丈そうな土壁は、あっけなく霧散した。


「……なっ!」


 イチノー兄さんは、四天王カルーアがそれを見て驚きに目を見開くのに構わず、カルーアに対して高速の連撃を繰り出す。


 カルーアも応戦するが、徐々に傷が増えていく。


 そうして、しばらく切り結んでいた二人だが、カルーアが一瞬の隙をついてイチノー兄さんの大剣を押し戻し、イチノー兄さんを蹴り飛ばした。

 しかし、イチノー兄さんは難なく体を捻って危なげなく着地し、私たちに声を掛けた。


「お前たちは下がってろよ」


 イチノー兄さんは私たちにそう言うと、体勢を整えて剣をゆるく構え直し、ゆったりとした足運びでカルーアと睨み合った。


 そんな睨み合いの中、四天王カルーアは『物質召喚:石人形』を使い、魔石の中で最も強度の高い黒魔石でできたゴーレムを五体同時に召喚した。

 ……すごい。

 私は、カルーアの魔術の練度の高さに舌を巻いた。


 そんな私たちに向かって、ゴーレムたちは無数の黒魔石の石礫いしつぶてを高速でこちらへ放つ。


「ニイラン、しっかり結界張っとけ」


「りょ~かい」


 イチノー兄さんとニイラン兄さんがゆるゆると会話する。


「『光魔術:物理結界』」


 ニイラン兄さんはなんてことないような調子で私たちの周囲に大きな結界を張り、その結界はゴーレム達からの攻撃を全て弾いた。


 騎士団員たちや縛り上げて連れてきた四天王三人を含めた全員を覆う巨大な結界のその強度に、私たち兄弟以外の全員が唖然としている。


 通常、結界は強度を犠牲にすることでしか大きくすることはできない。

 それなのに、ゴーレムたちのなりふり構わぬ攻撃を全て受け流す巨大な結界は、異様の一言。


 どうしてそんな強度の結界を作れるのかというと、簡単だ。

 ニイラン兄さんの結界の元々の強度が、とてつもなく高いから。

 トリックもなにもない、純粋な力技なのだ。


 一方、結界の外のイチノー兄さんはというと、剣舞を舞うように剣を振り、石礫いしつぶてを打ち落とし、目の前のゴーレムたちを全て斬り伏せていた。


「なんだとっ!?」


 四天王カルーアは、流石にすべてのゴーレムが粉々にされるとは思っていなかったのだろう。

 少しの焦りを見せ始める。


 そんなカルーアに構わず、イチノー兄さんはカルーアに急速接近し、その大剣で喉元を狙って一撃必殺の鋭い突きを放つ。


 カルーアはそれを間一髪で避けるが、イチノー兄さんの突きは罠。

 カルーアの足元から突如、金剛石の足枷が出現してカルーアの自由を奪った。


 四天王カルーアは足枷をすぐに破壊し、イチノー兄さんに向き直る。

 ……しかし、そこにイチノー兄さんはいない。


「ッ!」


 四天王カルーアの後ろを取ったイチノー兄さんはカルーアの急所数か所に向けてクナイのような鋭利な短剣を高速で投擲。


 カルーアはそれらを素早く切り伏せたが、意識がクナイに向いている間に、イチノー兄さんはカルーアの手首に魔封じの縄を巻きつけ、体術でカルーアを床へ押し倒した。


「ったく面倒かけやがって。んじゃ、魔王の間まで案内しろよ?」


「……」


 黙り込んだカルーアを怪訝そうに見ていたイチノー兄さんが突如右へ跳んだ。


「あっぶね!」


 そこにはカルーアの背中から出てきた無数の『触手』がうごめいていた。


「魔封じはしてあるし……異能使いか」


 伸縮性のある茶色い触手たちが、一斉にイチノー兄さんに襲いかかる。


 イチノー兄さんが避けても、その着地地点には別の触手が待ち構えており、イチノー兄さんには不利な状況だ。

 

 触手は前後左右全方位に柔軟に自由に動くことができる。

 人間や魔族なら、体の構造上無理な姿勢などが存在するが、触手にはそれがない。

 避けても、ありえない方向から追撃され、イチノー兄さんは一気に窮地に立たされた。


 しかも、カルーアの手首に巻かれていた魔封じの縄は触手たちによって解かれており、カルーアはその瞳に怒りを宿しながら立て続けに詠唱を開始した。


「『土魔術:土鎖』」

「『火魔術:炎矢』」


 触手を避けることに集中していたイチノー兄さんの腕がカルーアの土の鎖で絡めとられ、そこに無数の火矢が降り注いだ。

 イチノー兄さんは素早く剣を口にくわえて鎖を砕き、火矢を避けて着地。

 しかし、次の瞬間。


「『土魔術:泥球』」


 砕かれた土の鎖が、泥となってイチノー兄さんへとなだれ込み、イチノー兄さんの全身を覆い隠した。


「窒息しろ。『土魔術:凝固』」


 四天王カルーアの冷淡な声が洞窟に響くと、さらに土砂が集まりイチノー兄さんのいる泥の塊が凝縮されていく。


「ニイラン兄さん、結界から出して! あのままじゃイチノー兄さんが!」


 結界を出ようとする私の肩を、サンル兄さんが押さえる。


「駄目だ。お前まで巻き込まれる」


「でもっ!」


 私が叫んでもニイラン兄さんは結界から出してくれない。


「じゃあ僕が行ってくるからっ!」


「ヨンスも駄目だ。邪魔になる」


 サンル兄さんは、淡々と却下する。


「だって、それじゃあ……!」


 ヨンスが焦りに額に汗を滲ませて追いすがるが、ニイラン兄さんもサンル兄さんも首を縦に振らない。


「ニイラン」


「うん、分かってるよ、サンル。……よし、結界は強化できた。じゃあ、オレが行くからお前たちは結界から出るなよ?」


「「えっ?」」


 私とヨンスが戸惑いの声を上げるのも気に留めず、ニイラン兄さんはスッと立ち上がり、その懐から杖を出したかと思うと、結界の外へと歩き出した。


「待って! ニイラン兄さんは戦闘が苦手で……!」


「そうだよ! 僕たちの方が適任だよ!」


 ニイラン兄さんは、そう言い募る私とヨンスに困ったように笑いかけると、おもむろに杖を一振りした。


 その瞬間、風が吹き荒れ、かまいたちとなって土塊が崩れ落ち、土塊から出た全ての土砂が暴風の渦に飲まれ、土塊から救い出されたイチノー兄さんが、ドサッと倒れた。


「「……へっ?」」


 易々とカルーアの魔術を破ったニイラン兄さんに、私もヨンスも思わず声を上げ、目を見開く。


「『古代魔術:生体探知』『武技:震打』」


 そう淡々と詠唱しつつ、杖をイチノー兄さんの鳩尾みぞおちに叩きつけると、息をしていなかったイチノー兄さんがゴフッと咳をして口から土砂を吐き出した。


 それを確認すると、いつものヘラヘラした顔など全く影を潜めたニイラン兄さんが、その瞳に剣呑な光を宿して四天王カルーアへ杖を向け、詠唱を始める。


「『古代魔術:広域展開』『光魔術:白熱隕石』」


 空中に無数の高熱の石礫が出現し、四天王カルーアの全方位を取り囲むと、それらがカルーアに向かって超速で放たれた。


「無駄だ! 『土魔術:嚥下』!」


 カルーアは土砂を展開し、自分の身を保護すると同時にイチノー兄さんとニイラン兄さんを再び飲み込まんと土を操る。

 かき集められた土砂が今度こそ二人を拘束し、覆い隠し、急速に固められていく。


「イチノー兄さん! ニイラン兄さん!」


 叫ぶ声は虚しく響き、私は結界を叩き割ろうと躍起になった。

 それでもニイラン兄さんの張った結界は壊れず、絶望に目の前が真っ暗になる。


 ヨンスも結界から出ようと魔術を発動させているけれど、結界はびくともしない。


 そしてーー突如土塊が弾け飛び、同時に四天王カルーアが透明の水の膜の中に捕らえられた。


 土煙の中から、ニイラン兄さんがゆらりと歩み出し、一歩一歩、カルーアへと向かっていく。

 しかし、四天王カルーアは余裕の表情を崩さないばかりか、嘲笑を浮かべている。


「ハッ! 魔術師ごときが私の異能を抑えられるとでも思ったか? 私の異能には魔術が効かないのだよ。お前たちは全員ここで死ね!!!」


 そう高らかに告げた四天王カルーアは余裕の表情で全方位に触手を伸ばした。

 ……けれど。カルーアを覆ったニイラン兄さんの結界は破れなかった。


「こ、これは何だっ! お前、何をしたっ!」


 ニイラン兄さんは穏やかな様子で服についた土ぼこりを払いながら目を細めた。


「……オレが魔術師だなんて誰が言った?」


「お前、まさか……!?」


「異能持ちって、意外と身近にいるものだよ。『窒息しろ』」


 その言葉が聞こえたと同時に、四天王カルーアは喉をかきむしって苦しみ始めた。


「兄さんを殺そうとしたこと、後悔してもらおう」


 ニイラン兄さんは多分キレてる。

 完全に加減を間違っている。

 このままだと、ニイラン兄さんが人殺しになってしまう。

 ニイラン兄さんがカルーアを殺してしまったとしても、私は兄さんのことを嫌いになったりはしないけれど、優しいニイラン兄さんは、きっと後で激しく後悔する。

 だから、絶対に止めないと。


 先程とは違う意味で結界から出なければと思うのに、結界は解けてくれない。


「ニイラン兄さん! もうやめて! 本当に死んじゃうよ!」


 しかし、その言葉を聞いても、ニイラン兄さんはその手を緩めない。

 そうして私が叫んで懇願していると、イチノー兄さんが目を覚ました。

 そして、ボリボリと頭を掻きながら、おもむろにニイラン兄さんに近寄ると…………ニイラン兄さんの頭をガツンと殴った。


「痛ったい! 兄さん何するの!?」


「何かしてるのはお前の方だろ。人殺しはお前には向かねえよ。早いとこ解除しとけ」


「でもっ! あいつが兄さんをっ!」


「お前が助けてくれたんだろ? 俺もピンピンしてるし、もうやめとけ」


「……」


「ニイラン?」


「…………あああもうっ! わかったよ」 


 拗ねたようなニイラン兄さんが、渋々といった様子で『命令』を解除し、四天王カルーアはペシャリと地に落ちた。


「ゲホッゴホッ」


 荒々しく息を吸う四天王カルーアは、ニイラン兄さんを睨み、息の整わないまま、声を絞り出して問う。


「お前たちの目的は、なんだ!? 魔王様を、害する、つもりか!?」


「魔王にメシ奢ってもらう」


 イチノー兄さんがニイラン兄さんの横からサクッと答える。


「いやいや、話し合うってさっき決まったばっかりでしょ!」


 私はイチノー兄さんにツッコみつつ、コホンと咳払いしてカルーアに向き直る。


「最初は魔王を再封印するつもりだったんですが、町に下りてきて悪さするつもりがないなら何もせず帰ろうかなと思っています。だから、こちらから無闇矢鱈に攻撃したり殺したりはしませんよ。近隣に住まう者として、まずは話し合いがしたいです」


「信じられるものか! お前たちは我ら四天王へ襲い掛かった!」


 カルーアは悲痛な面持ちで叫ぶ。


「いや、お前らが先に襲い掛かって来たんだろ? 俺らのはただの正当防衛だ」


 イチノー兄さんが、やれやれと肩をすくめてそう返す。


「そんなはず! …………あ、あれ? え、でも、あれ?」


「思い出したか? 先攻したのはお前だろ?」


「あ、ああ」


「他の四天王も同様、勝手に襲い掛かってきたんだよ。殺されそうになったら、普通、応戦するだろ?」


「そう、だな。しかし……! 無断で侵入してきたのはそちらだ!」


「あーそういえば、都会では、近所の家の玄関勝手に開けちゃダメなんだっけか? うっかりしてたわ。それについては、すまん」


「……どういうことだ? ここは首都だろう? 都会ではないのか? それとも今の時代は、近所の家に勝手に入るのが常識なのか? それともこいつらがおかしいのか?」


 混乱する四天王カルーアに向かってイチノー兄さんが更に付け足す。


「三百年前の魔王と勇者の戦いの後、首都が移されたんだよ。今じゃ、ここはド田舎だ」


 そこまで説明し、ふうとため息をついたイチノー兄さんは、ニイラン兄さんの背を押した。


「で、ニイラン。やり過ぎたときは、何て言うんだ? こいつ、死にかかったんだぞ?」


「…………めん」


「もっと大きい声出せ」


「ごめん!」


 悔しそうに目を逸らしながらも、ニイラン兄さんはカルーアに謝った。


「い、いや、私も、貴殿の兄君に酷いことをした。……その、すまなかった」


 未だ困惑した様子の意外と素直な四天王カルーアも、それにならって謝罪する。


「んじゃ、誤解も解けたことだし、魔王の部屋へ行くぞ。これからどうするつもりなのか、聞かねーとな」


 イチノー兄さんの言うとおり、封印の解けた魔王がこの先どう行動するのかが重要だ。

 三百年前のように、魔王がここで殺戮を繰り返すつもりならば、封印するか討伐しなければいけないだろう。

 そのためにも、魔王と話してみなければならない。


 そうして、イチノー兄さんは未だ動けないカルーアを担ぎ、戦闘前と変わらない様子で前に進み始めた。


 結界を解いてもらった私たちもそれに続き、ヨンスと私は肩を落としているニイラン兄さんの左右を陣取り手を繋いで歩く。

 ちなみに振り返って確認したところ、サンル兄さんはキッチンの方をチラチラと残念そうに見ながら、肩を落としてついて来ていた。

 本当にブレない。

 でも、サンル兄さんなりに私たちを心配してこちらへ来ることを選んでくれたのだろう。

 私はほっこりした気持ちで前を向いた。

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