第8話 本日洗濯日和

 今日はとてもいい天気なので、メイド部隊と事務部隊は協力してシーツを洗うことにした。


 勇者パーティ白魔法使いおよび受付事務担当アリシアはメイド長より少しだけ年上。 白くてちょっとふくよかで年相応にぷよぷよしている。聞けば孫がいるらしい。


「メイド長、若いころ黒魔術師だったじゃん」

 アリシアの暴露にメイド長はシーツを敷き直しながら、あからさまに嫌そうな顔をして聞こえないふりをした。

「自信を無くす呪文、守備力を下げる呪文、人を心の暗黒面に叩き込む呪文。気にしているのをひた隠しにしているところをえぐり出す呪文。魔力なしで使いまくれるやつね」

 メイド長が自分で茶化してくる。

「それは黒魔法じゃないけど暗黒ですね。でもそれは現役ですよね」

 外したシーツを丸めて背負子が付いた籠に押し込む。このまま王城の下を流れる川まで運んで行って洗う。ぎゅうぎゅうに押し込んだから結構重い。


「ちゃんと修行したらよかったのに、魔王城に攻め込む分だけでいいって、ひとつだけならったんだけど。魔物に効かなかったんですって」

 ふぉふぉふぉと笑う。笑い方はもはやちょっとおっさん化している。

 あたしとメイド長とアリシアは背負子を背負って、両手にもシーツが詰め込まれた籠を抱える。

「誰に師事したんですか」

「帝国から逃げてきた名前も名乗れない男さ。兄さんの死による恩恵が三年ほどしか持たなくて。討伐隊に参加しようと考えて、ひとつだけ一番効く呪文を教えてくれと頼んだ」

 帝国から追われた男は、生きて帰るつもりはないという十五歳に何の教育もせずに、武器だけを与えた。

 まともな人間でなかったことは確かだ。


「呪文が使えるようになったから、帝国から派遣された討伐隊に志願兵として従軍した。男が呪文の指向性と出力統制を教えていかなかったことをしらなかった」

 他の者に呼び止められたアリシアが話し込んでいるうちに距離が開く。

「樹海の奥で、魔物の大群に遭遇した時。アリシアにはわからないだろうが、あんたにはわかるだろう。何が起きたのか」

 魔物には効かない魔法。

 全方向に最大出力で放たれる魔法。

 友軍に甚大な被害があったことだろう。

 彼女は私の回答を待たなかった。

「生き残ったのは私だけだ。―――――私は魔物に助けられ、起こったことのすべてを隠して私はメイドに戻った」

 川の流れは清らかで穏やかだ。

 彼女の足の下でシーツがぐちゃぐちゃとしぶきをあげる。


 川下から名を呼ばれて振り返ると、白い封筒を振りながらマンティスが走ってきた。

「メグ、手紙。預かってきた」

 彼が差し出したのは姉を騙る上司からの手紙だった。

 不躾に手紙を覗き込まれたことは嫌だったが、この場で開けないのもいたくない腹を探られるようで、面倒だと考え、手紙の口に指を差し入れて開いた。

 見間違いようもない品のある丁寧な筆跡が並んでいた。



『メグへ

 体もそろそろよくなった頃でしょうから、帰国するといいと思います。

 今度そちらに魔王討伐のための援軍がだされこととなりましたので、軍がこちらに戻る時に合流なさい』



 黙ったまま、手紙を覗き込んでいた恋人と顔を見合わせた。

 彼の顔は血の気を失って、心なしか黄緑に見える。

「メグ、帝国に帰るのか」

 考えがまとまる前に問われて、思わず立ち尽くした。

 洗濯係が仕事ではないんだった。

 帝国国家魔術師。

 魔術を志す者の登竜門。帝国中の憧れの的。

 たゆまぬ努力とそれを超える才能がないと受からないと言われている。


「マンティス。プロポーズするなら今じゃないの」

 追いついてきたアリシアがのんびりと口を挟む。

 ふぉふぉふぉと笑い声を足すのはやめてほしい。

 ああ、やめてほしい。

 何もリアクションをしようとしない恋人のこの変な間をどうしたらいいのか、経験値がなくてわからない。

 帰らないでと言って欲しいなんて、かっこ悪くて言えない。

 もう帝国に戻りたくなくて、このままクビにしてもらえないかと思っていたなんてカッコ悪くて言えない。自分で辞めてしまったら、諦めたことになる。

 自分で選ばずに、人生が勝手に決まらないかと願っていたなんて。


「メグ、別にあなたがプロポーズしてもいいと思うのよ」

 お節介な致命傷を与えるアリシアの言葉が終わらないうちに、マンティスは手紙ごとあたしの手をぐっと握りこみ、手紙をぐちゃぐちゃにすると、砦の方へ走り去っていった。

 川から城壁まで概ね三階程度の高さ、城壁から砦まで更に三階程度の高さ。

 それを二歩で飛び越える。

「阿呆、あいつ跳び過ぎ」

 心境に反して空はとても青く、風は爽やかでシーツがよく乾いた。



 数日後。

 五百もの歩兵が突然、帝国の親書を携えて現れた。

 前触れもなかったため、王城はひっくり返るような大騒ぎになった。

 主に物資面で。

 もちろん五百名もの兵士の腹を満たすだけの食料がない。

 彼らは城壁の内側に勝手に天幕を立て始める。

 もちろん、食料は現地調達しようと思っていたのだろう。ほとんどからの食糧庫をみて唖然としていた。


 王子はやっぱり寝込んでしまったので、親書は宰相が受け取った。

「帝国の使者である貴方様がご自身で魔王城の状況を確認に行かれる、という解釈でよろしいんですかね」

 のんびりとした宰相の様子に、今回の使者であるところの将軍は少々苛立っていた。

 腹が減っているのであろう。

 でも残念ながらみんな腹が減っていた。

「我が国の食糧庫をご覧になったことかと思いますが、先だってより沢山の冒険者の皆さんがクエストに訪れておられまして、炊き出しを行っておりましたため、食料はほぼ現在底を尽いております」

 将軍は不機嫌そうに呻いた。

 しかも先兵隊が炊き出しを食べつくしてしまったため、先兵隊と本隊との間で小さいけれど大きなもめごとになっている。食べ物の恨みは怖い。


「食料を充分ご準備でないのでしたら、森には入られない方がよろしいですよ。統計から言って森に入ってから出てくるまで一週間はかかっている場合がほとんどです。飢えで兵を損なうことはおすすめできません」

 メイド長がきちんとした言葉をしゃべっている。

「かまわぬ。五百もの戦力で挑んだことはないはずだ。すぐに倒してすぐ戻る」

 あたしは名前を呼ばれ、強制的に討伐隊に徴兵された。

 歩兵がほとんどで魔術師が貴重だったからだろう。

 あたしはこの国に来た時の装備に着替えさせられ、そのまま進軍に参加させられることになった。




「気をつけておいき」

 いつもとまったく違う様子でメイド長は近づいてくる。

 まるで世話好きの母親のよう。

 ローブの襟を整える風をして、彼女は表情とまったく違う低い声で問うてきた。

「あんた、無効魔法は使えるね」

 呪文の効果を無効化する魔法。

 回復魔法も無効化するのであまり意味のない魔法とされているが、魔法使いなら誰でもつかえる程度のたやすいものだ。


 マンティスはその場に姿を見せなかった。



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