第6話 彼の使う神聖魔法


『お姉さまへ


 勇者が魔王討伐に行くことを、疑問に思うことはありませんでした。

 この国の勇者はもう三十年も失われたままなのに、勇者しか勇者になれないことはとても残酷なことだと思います。  メグ』





 メイド長を探して城中を走り回った。

 バル王子の神聖魔法「虫除け」を見たあたしがそうすることを、彼女は予想していたらしく、あたしの姿を見たらちょっと手を挙げて応えた。

 彼女は中庭で、炊き出しと薬湯の製作の両方に取り組んでいて、あたしという労働力が来るのをあからさまに待っていた。

 炊き出し用の鍋をかき回しているのは、なんと宰相。

 宰相はぼろっぼろの王城の執務室で本来国王のやるべき仕事を一手にこなしている。小さい国なので帝国のようになにか大がかりな仕事があるわけではないけど。そのうえこうやって炊き出しにも参加する。



「聞きたいことがあります」

 一応周りを確認する。メイド長と宰相しかいないけど、二人にしか聞こえない音量に声を下げる。

「あのポンコツ王子が勇者なんですね」

 二人は一瞬目を見開き、メイド長は顔をしかめ、宰相はくっくっと声を出さないように笑った。それから、しばらく二人は黙って鍋をかき回していた。

 言葉を探しているようだった。


 回復薬を煮出している大なべをかき混ぜながら、メイド長は目線も動かさない。

 怪我人が増えて炊き出しが調理場だけでは足りなくなり、中庭にかまどを作った。もう配給のようだ。穀物の冬の備蓄が足りなくなるのではないかと心配になってくる。

「メグ、仕事の手が休憩してる」

 腹いせ代わりにジャガイモをちっちゃく切り刻む。指示通りに手は止めない。

 メイド長も大なべの中身を大きな櫂で漕ぐようにかき回す手を止めない。

 炊き出し鍋に具材を全部投入したところで、やっとメイド長が口を開いた。


「私が子供のころは勇者が三年おきぐらいに現れて、魔王を封印して死んだわ。どの人も立派な人だった。喜んで故郷と家族の数年の平和のために命を捨てた」

 回復薬は茶と臙脂の中間色をしていて、どろりとしてとろみがついてきた。

 腐ったキャベツみたいなニオイがする。

「私の兄もそのようにして死んだ。でもたった三年で魔王は蘇った」

 メイド長が体を起こし、太陽の沈んでいく方を見る。

 



「お隣さんは今日も立派だねえ」

 宰相は間の抜けた声を出した。

 宰相が「お隣さん」と称するのはまっすぐ西にそびえ立つ魔王城。

 王城は高台に建てられていて、ぐるりと城壁に囲まれている。

 そこから眼下に広々と農耕地帯が広がっていて、更にその向こうにいまや樹海とよばれている深い森林地帯が広がる。

 森林地帯の向こう側からスズメバチの巣に似た形の魔王城が日々隆起している。

 四十年前には、地底にあったらしい魔王の城は地上にはみ出し、しまいには積乱雲のように天にそびえたっている。

 魔王城の周りには羽のついたオオムカデが大群でぐるぐるぐるぐると回り続けている。宰相とメイド長はしばらく目を細めてその城を眺めていた。



「メイド長は魔王が憎くはないのですか。兄上を失うことになったのでしょう」

 開けば食料がないというボヤキと、洗練された表現力溢れる王子の悪口と、仕事の愚痴を絶えぬ音楽のように編み出す口を一瞬とじ、すぐににやりと笑った。

「そりゃあもう、魔族は根絶やしにしてやりたいと思っていたし、そのためにバル王子を魔王城まで引きずりだそうと決意して王城で働き始めたからね」

 まだ、王子が少年で、彼女も少女だったころ。

 稼ぎ頭だった兄を失った一家は、代わりに彼女を働きに出さなければならなくなった。非戦闘員も戦いに巻き込まれてたくさん死んでいたし、勇者として命を落としたからといって、国から弔慰金などが支給されることなどはなかった。仕方のないことだと思っていたとメイド長は付け加えた。

「内緒だけどねえ、王子の胸倉掴んでさっさと死にに行かんかボケって叫んだことある」

 メイド長は初恋を打ち明けるような恥じらいの表情を見せた。

 ちょっとその恥じらい方は間違っている。

「そしたらあの惰弱者、ちょっと引くぐらい見苦しく泣き叫んで、お前なら戦いに行くのかって鼻水まで垂らしながら言い返してきた」

 ―――――行くに決まっている。勇者なんだから。

 何の知識も修行もなしで、虫除けって呟いただけであたしが十数年修行して培った精神障壁をぶっ壊すぐらいの力があって、国民がこんなに疲弊して飢えているのに、自分の幸せと平安だけを選択する勇気が他の者にあるだろうか。


「十年過ぎたあたりから、もしかしたらコイツ世界を守るために戦わないんじゃないのかと思い始めたのさ」

「それは違うと思う」

 あたしのツッコミは宰相のとかぶった。




「それでも白い星は確かに、王子を選んだんだよ」

 勇者に相応しい人が他にいくらでもたくさんいたにも関わらず、あれを勇者に選んだのは「白き星」。

 白き星の仕組みの中で命を絶たれた兄。


 ―――――兄の無駄死を繰り返さないために。

 おそらくメイド長は三十年前から同じようにこの風景を眺めながらひとつのことを考え続けてきた。勇者に選ばれなかった者がふるさとを守るために何ができるのか。











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