第5話 伝説の隠遁王子
『お姉さまへ
昨日初めて王子様を拝見しました。
王様が八十五歳なので、王子様も結構な年配の方でした。
思ってたんとだいぶ違う方でした。 メグ』
思ってたんとだいぶ違う。
どう違うのか報告書に存分に書き散らかしたかったが、万一検閲にあった場合、偵察を疑われる内容だとまずい。「姉」に出す手紙の水準を超えてはいけないのだ。
今日はメイドの一人として駆り出された。
女がほとんどいないこの国に帝国の使者が来た時には、給仕のために洗濯係のおばさんまで駆り出す。通常ではありえないことだが、おかげで衝撃の場面に立ち会うことができた。
王子は使者を待たすだけ待たした挙句、やっと現れたかとおもいきや、挨拶もせずどっかと椅子に腰かけ首を傾げながらこう言い放った。
「今日は何しに来た。ま、好きなようにしたらいいけど」
帝国の使者はこんな口の利き方をされたことがないので、驚愕のため目を見開いている。
帝国の使者が来たときは、定型的なご挨拶文があって、ラーガルド国程度の規模の王様ぐらいの立ち位置では使者に上座を譲り、恭順の意を示さなくてはならない。
その辺の常識は一切ご存じないのか、手すさびに指の先の皮をめくって、使者の言葉を待っている。
使者は相当切れ気味に口を開いた。
「何の用事もございません。昨今、貴国の魔王城の動きが激しいと聞き、討伐の具合はどうなっているのかと我が帝王様がご心配になっておられます」
「大丈夫です」
そのまま、何も説明しない。何がどう大丈夫なのか何もわからない。
最初こそ度肝を抜かれて無口になっていた使者も、何とか精神を立て直したようだ。
プロだなあ。
説明を待つため、相当な時間無言でいたが、王子は自分が会話のキャッチボールにおける球を持っていることに気が付いていない。使者は遂に根負けして次の言葉を継いだ。
「貴国から我が帝国への小麦の上納量が規定に足りておりませんが、それはどのような生産増加計画を立てておいでがご説明いただけますか」
「それは俺の仕事じゃないんで」
使者の顎はいよいよ外れそうなぐらい下がった。
使者の護衛達が剣の柄に手をやったのを、王子は一切気が付いた様子もない。
これ以上放置してはヤバいと思ったのだろう。宰相が生産増加計画について発言の許可を求め、説明を始めると、使者はあからさまに安堵の表情を浮かべる。
宰相は調子のいい、軽い感じの人。
宰相と言えば一国の大臣の長だが、そんな感じは全然ない。
ちょっとした中間管理職的事務職員にみえる。帝国なら図書館勤務ぐらいの。
メイド長よりずっと若くて三十代に見える。あのメイド長がちゃんとした言葉遣いで話すし、警備兵「四天王」が完全な忠誠を誓っているあたり、実は結構強いのかもしれないが、戦士の雰囲気はない。
つやつやとした光沢のある黒髪が耳の下あたりできれいに切りそろえられている。
宰相は帝国のマナーを理解しているようだった。
使者は宰相にさらに訊ねた。
「魔王を封じるという勇者はどのようにお探しになっているのでしょう」
「あんなのただの嘘だ。もう三十年も誰も勇者を見ていないわけだし」
王子が突然大きな声で答えたが、帝国の使者たちはお前には聞いてないよという顔をしただけで答えず、まっすぐ宰相の顔を見た。
勇者伝説を嘘だというのであれば、勇者の到来を待っているだけで、国としてなにも手を打っていないことを非難されなければならないことを王子は理解していないのだろう。
宰相は遂に王子に回答をさせるのを諦めたようだ。
「使者殿、お心配りを感謝いたします。領土全域で調査し、探してはいるのですが、なにぶん命と引き換えに倒すというのが我が国の勇者の宿命となっておりますから、なかなか自ら申し出せさせるのは難しいのではないか、あるいは他国に逃げたのではと思い至っております。見つかり次第、討伐に向かわせるべく隊を整えて待っているところです」
王子がそれに関してなにか呟いていたが、使者はもう聞く様子もなく、いくつか聞きたいことは宰相に尋ね、満足して帰路に就いた。
王子に対しては馬鹿を見下ろす色合いの視線で不愉快だと言わんばかりにもう二度と口を利こうとしなかった。
『お姉さまへ
久しぶりに使者としてやってこられた外交官の方を拝見して、帝国が懐かしくなりました。王様はご病気でご挨拶ができず、代わりに王子様が対応になりました。
王子様は知らない人とお話ししたのがストレスになったとかで三日ほど寝込みました。私は元気にやっています。 メグ』
もっといろんなことを書きたかったが、保身と良心のため残念ながら筆をおいた。
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