始まりのレール:ガイアの伝説

『この世界のレールの果てには“ガイア”と呼ばれる、神が創った豊饒の大地がある。このレールはその大地が伸ばした腕だ。

 そして今でもこのレールの果てには、広大なガイアの大地が存在している』


 そんな伝説がこの世界で流れ始めたのは、300年程前のことだ。誰が流し始めたのか、いつから語り継がれていたのか…

 細かいことは分からないが、どれだけ信憑性のない話であったとしても、それを信じる人間はいつの時代にもいるものだ。この伝説を信じて『昼の線域』での安寧を捨て、霧の壁の向こうの『夜の線域』へと、多くの無謀な冒険家たちが旅立ち、そして極寒の夜の線域を越えられずに死んでいった。

 そうした冒険家たちの熱意と命懸けの行動は、夜の線域を越える為の技術の確立を促した。その技術に支えられて冒険家たちはレールの果てを目指して次々と夜の線域を越え、幾度も昼と夜を通り過ぎていった。

 そして100年程前に、ついに全ての線域を超えた冒険家が現れた。しかし、彼らが知ったのは単なる事実。既にその時代には冒険家たちの観測により公然の事実となっていた事。

 それはこの世界が一つの恒星の周りを捻じれながら一周するように作られた、巨大な『筒』であるということだった。以降、ガイアを目指す冒険家は急激に減り、ガイアの伝説は真の意味で伝説として語られるようになった。

 人々は再び昼の線域に留まりながら安寧と繁栄を貪り、そして時には対立する国家間の戦争に明け暮れる生活へと戻っていった。この世界の全ては解明されたと、世界中の人々がそう思っている。

 しかし伝説を真に受けて、それを信じる人間はいつの時代にもいるものだ。


〔始まりの線域『タワー7』に入港します〕

 ツウの声がテンの部屋に響く。その言葉通りにテンたちの国は、白く巨大なタワーを貫通するように通っているレールを辿りながら、速度を落として内部へと進入した。

 タワーへ進入するのと同時にテンの机のモニターへと通信が入る。ツウの顔が消え、代わりに白い制服を着た女性の姿が映し出される。

〔タワー7への寄港を歓迎いたします。寄港に当たっての確認を行わせていただきますが、国家承認番号は34300421202で間違いはございませんか?〕

「ああ、間違いない。タワー産のナノマシンの補充4トンと、水耕栽培用の設備を買い揃えたい小型の奴だ…あと国家としての色々だな」

 モニターの前の椅子に座っていたテンは最後だけ早口でそう答えた。

〔了解しました。代金は取引時点での価格となりますので多少変動がございますが、概ね4,000,000c(カーボン)となります〕

「分かった。国のタワー預金から引き落としで頼む」

〔了解です。お買い上げありがとうございます。こちらで国をご案内いたしますので、そのままお進みください〕

 モニターの女性が笑顔で頭を下げると通信は終了した。モニターにツウの顔が戻ってくる。

〔ナノマシンの価格もほぼ変動ありませんでしたね〕

 ツウの簡素な顔がウィンクをしながら呟いた。テンもそれに答える。

「この線域は安定してるっていう証拠だな…」


 タワー内部ではレールの数が2本から8本に増え、テンたちの国は通信で言われた通り、レールの切り替えのままに最も左側のレールへと案内され、反対方向へ曲がる他のレールと離れてさらにタワーの上部へと昇って行く。タワー内部はレールと同じような白い材質の外部とは異なり、少し暗く金属質な材質で統一されている。

 国が急な仰角のレールを100メートル程上った所で、この世界での『桟橋』と呼ばれる設備へと入った。テンの国は桟橋に繋がるレールをゆっくりと辿り、桟橋の上で待っていたタワーの管理者の前で停止した。

 テンは既に部屋を出ており、国の中心を縦に貫く小さなエレベーターを使い最上階へ。そして最上階の廊下に設置されている梯子を登り、その上の頑丈な扉を持ち上げると、人ひとりが通れるぐらいの円い穴が開く。

 それがこの国の正式な出入り口である。外に出たテンを待っていたのは、国と桟橋の間を往来する際の足場となる半球型の飛行ドローンだ。その平らな頭の上に足場と落下防止用の手すりが備えてある床を持つ、旧式だがこの世界の人々に愛されているマスコット的存在だ。テンが乗ったドローンは桟橋に穿たれている半球状の窪みに収まる様に着地した。同時に手すりの開閉式の部分が開く。

 桟橋へと降り立ったテンに、待っていたタワーの管理者の男が声を掛ける。通信してきた女性と同じく白い制服を着ているが、装飾が複雑で高貴な印象を抱かせる服装である。

「貴方様の御寄港を心から歓迎いたします…お名前は変わらず…?」

「テンのままでいい、さっき目覚めた…またよろしく頼む」

 テンの軽く、しかし信頼が見て取れる言葉に満足げに微笑み、顔にある皴を少し緩ませる。

「ありがとうございます、テン様。お気持ちに変わりがないのであれば、此度もまたタワー連盟との技術同盟を結んでいただきたく…」

「わかってる。こっちとしてもナノマシンの割引は有難いからな、それ以外の条約も…」

「ありがとうございます、その条約でしたらこの条件で…」

 外交上重要な話をしているはずなのに、阿吽の呼吸で次から次へと話を進めて行く二人である。それもそのはずで、彼らがこうして顔を合わせて外交交渉を行うのは、通算で10回を超えている。その上線域の端にあるこのタワーには、ほとんど他国が訪れることも無く、事実広大なタワー内部には現在、テンの国しか入港していない。

 二人が会話を始めた時から、その後ろでは件のドローンたちがせっせと働いていた。桟橋の下部からしなやかな太いホースを持ち上げて来たかと思うと、それをテンの国の最上階の4つの部屋の上部にある穴へと突き刺し、その状態を保ち続けている。ドローンたちが持つホースを通っているのは、この世界を構成している海の水―水型のナノマシンを飲み水用に精錬した、いわゆる『水』である。

 部屋の一つ一つが約1トンの水を収容可能で、またその水を他の形状のナノマシンへと変化、精錬する機能も兼ね備えている。この世界ではナノマシンが水となり、食料となり、燃料となり、建材となり、空気にさえなる。そう変化させる設備を持っていればだが。

 テンと管理者の交渉が一段落し、テンがホースを持つドローンを見上げる。

「ナノマシンの補充にはあと少しばかり時間が掛かります故『次の国』の用意も…こちらで済ませてはいかがでしょうか?」

 その言葉を確かにテンは聞いていたが、それには答えず作業中のドローンを見て呟いた。

「まだ旧式のままなんだな…」

「?…ええ、現在のドローンでも必要なスペックは満たしておりますし、大きな問題も起きていませんからな」

 管理者のその言葉にテンは頷くことは無かったが、気を取り直したように管理者へと向き直る。

「…次の国の話だったな?いつも通り、霧の向こうの線域で頼む。起きるまでの時間は安定してきたとはいえ、安全な線域で目覚めたいからな」

 そこまで言うとここでの話は終ったと振り返り、桟橋に収まったままのドローンに乗る。そして丁度ホースを持っていた4機のドローンたちも仕事を終え、部屋の上部の蓋をしっかりと閉めてから桟橋の下部へと戻って行く。

「かしこまりました。ではそのように…そして貴方様の次なる発明を、私も心よりお待ちいたしております故!」

 管理者が、ドローンに乗り国へと戻って行くテンへ向かって交渉中とは違い力強い声を掛けた。テンはドローンから国へと乗り移りながら手を振り応える。

「ああ!今回は旨い食いものでも作ってやるさ、発明権の申請を待ってろよ」

 そう言うとテンは国の中へと入っていった。管理者は何も言わず、早々に桟橋を離れて行くテンの国へと静かに頭を下げた。


〔相変わらず、外交とは思えない早さでしたね〕

 部屋へと戻ってきたテンに、ツウの茶化したような言葉が投げ掛けられる。テンはそっとモニターに手をかざしてツウの顔を消し、発明作業用のメモ帳を立ち上げた。

「こっちに合わせてくれて助かる…次の国も今回と同じタワーに造ることになったから、その時はお前も同じように頼んだ」

〔了解しました〕

 タワーの管理者に負けず劣らずの阿吽の呼吸で会話を行うツウ。国は桟橋を離れてから既に8本のレールが並んでいたところまで戻り、入港時とは反対側の出入り口へと向かっている。

 テンは交渉中にツウがダウンロードしてくれていた、過去の自分の発明品リストを眺める。そしてそのうちの一つに焦点を絞った。

「おっしゃ!今回は『ナナツアジ』の味変機を完成させるぞ!」

〔…まぁ止めはしませんが、普通に様々な素材を使い料理を行うことを推奨します〕

「キッチンとかいうものに、国の貴重なスペース取られたくねぇんだよ~」

 それからタワーを出てから国が数キロメートル進む間、キッチンの為に国家の拡張を提言するツウと断固拒否するテンの間で、やけに息の合った言い争いが続いた。

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