こんにちは、昨年はお世話になりました。
「ストイックな作家の集い」企画への参加ありがとうございます。
文子に別れを告げたいのに、いざとなると逡巡してしまう稔の心境が伝わってきました。
一番手のはずの文子のことは愛していなくて、二番目だった久美のことを実は愛していたんですね。
余計なものを削ぎ落としたからこそ本当に大切なものの価値がわかる、というのは恋愛以外でもありそうです。
真花さんの作品をお読みしていると、文章にポリシーを感じられます。まさにストイックですね。
作者からの返信
瑞樹さん
こちらこそお世話になりました。企画に参加させて頂き、ありがとうございます。
「余計なものを削ぎ落と」す、って、大切なことだと思います。と言うのも、コメントを読んで、今、自分が特に小説を書くことにおいて「余計なもの」に囚われていたと気付いたからです。もう一度自分を見直して、次の作品に臨もうと思います。
ポリシーを感じて頂くって、こそばゆいようでじわりと嬉しいです。多分そこには自分でも気付いていないものも含まれるのだと思います。
真花
真花さん
お疲れ様です。姫川翡翠です。
非常に楽しく読ませていただきました。とても面白かったです。
何がどう面白かったのかを言語化すると、「ビーバーの巣」の面白さはそれだけだったのか? となってよくわからなくなるのでやめておきます——という自身の語彙力の無さへの言い訳です。
以下、若干作品について思うところのあった部分を書かせていただきます。
あれだけ文子への「愛」について拘っていた(「少なくともこんなのは『愛』じゃない!」的な)稔が、最後久美への「愛」はよくわからないまま意外とあっさり受け入れてしまったことに若干拍子抜けしました。
しかし考えてみると、実はそういうものなのかもしれませんね。これは「愛」なのか、私はこの人を「愛している」のか、そんなことを考えるようになった時点である種の「理由・言い訳」を探し始めているようなもので、少なくともすでに「愛」は失われているのかもしれません。なぜならば、ほとんどの人が最初は「なんでもいいからとにかく一緒にいたい!」から始まって、後付的に「なんでもいいからとにかく」を「愛」と呼んでいる気がするからです。
そういうわけで、なんだかよくわからないけれど、「愛」が何か言葉にできないけれど、あなたとならなんでもいいやって思えること自体が「『愛』的な何か」なのかもしれないと思いました。しかしながら結局のところ、「これこそが『愛』なんだ!」とは、私には断言できませんね。わかりません。そもそもする必要もないのかもしれません。
長文失礼いたしました。面白い作品を読ませていただき、ありがとうございました。
作者からの返信
姫川翡翠さん
最後まで読んで頂きありがとうございます。
「面白かった」の言葉、すごく嬉しいです。
返信を考えたのですけど、「愛」についてのこと、その通りだと思います、以上が出なくてすいません。作品の背景にある「愛」についての仮説はあるのですが、それこそ作品で感じて貰いたいもので、ここで暴露? するのは嫌な感じがしてしまいます。むしろ、愛について感じ考えて頂いたこと、それだけでも書いた意味があったと思います。妙な返信ですいません。
ありがとうございます。
真花