第4話

 寝たか寝ないか分からない内に窓の外が白んで来る。でも、時間経過を実感していないということは薄くでも寝たのだろう。土曜日だけど仕事に行く。給料に関係ない仕事であることに最初は苛立っていたのに、いつの間にか「給料に関係ないからゆっくり仕事が出来る」と考えるようになっている。飼い慣らされたと言うよりも、そういうことにしなければやってられないから、欺瞞で疑問を塗り潰した。その分だけ自分のことがもう一歩嫌いになる。自分の人生を切り売りしていることに自覚的にならせられる。当たり前のように適応している先輩も、適応することを放棄している同僚も、嫌いだ。じゃあ俺と同じように葛藤しながら自らの形を変えてゆく奴がいいかと言えばそんなこともない、それはそれで面倒臭い。半分寝ている頭で、怒りを蓄積させながら職場に向かう。

 休日出勤なので夕方の五時には仕事を終える。久美に会いに行くには夜が浅いし、文子には明日会うからそれ以上会いたくない。風俗に行くには精力を使ったばっかだし、使う予定が明日ある、そもそも今そんなにやりたくない。否定をいくら積み重ねても、向かうべき先が決まることはない。違う。俺はこれから行く場所を選択した言い訳を自分にしている。そんなことをする必要はないのに。どうしてパチスロに行くことは愚者の所業と扱われるのだろう。一週間働いて、自分で稼いだ金で、遊興することを責められる理由が分からない。負けるからなのか。それともギャンブル自体に後ろめたさがあるのか。もしくは、本当はみんなやりたいのに出来ないから叩くのか。……ギャンブルは二人目の彼女に似ている。「生産性のあることをすればいいのに」と言った奴が、課金するゲームは、ダラダラ見るテレビは、意味もなく騒ぐだけの酒の席は、パチスロより生産性があるのだろうか。誰も生産性なんて殆どない日々を送っているんじゃないのか。仕事だってそうだ。お前は本当に何かを生み出していると胸を張って言えるのか? 

 馴染みのパチンコ屋に入って、台を決めて座る。仕事中のような雑味のない、だけど久美のところの安堵感とは違う、これからシンプルに集中するからだろう、自分の整う感じ。お金を入れてコインを出して、最初のレバーを叩く。負ける未来を可能性として認識していない訳じゃない、だけど予定してはいない。かと言って必ず勝つとも思ってはいない。勝ちたいとは少し期待する。でもそれが中心にない。レバーを叩く。演出を楽しむとか、コインの量の増減とか、そういうのも中心にはない。俺はどうしてここに座っているのか。この場所にこの空間にいること自体が意味のように思う。それにしてはショバ代が高いけど、不貞腐れるか怒るしかないような毎日をいっとき忘れるのはここか久美の場所しかない。酒が飲めたら違うのかも知れない。どんな場所でも摂取できる薬物であるアルコールで、認知を歪められるのなら、こんなところに来る必要はないのだろうか。でもそれでも、久美のところには行く。多分、ここにも来る。手段が増えたとしても、選択肢が増すだけで、することは大きく変わらないだろう。レバーを叩く。「お酒飲めないなんて、つまらないね」どれだけ言われたか。酒よりも面白いものを見付けられない人生の方がよっぽどつまらないだろうに、でも稔はいつも口を噤む。まるで、アルコールを分解出来ないことが障害であるかのように、「そうですね」と呟く。

 レバーを叩く。コインがなくなる。何度も追加で替えて、財布の中もなくなった。銀行に行くか考えたけど、やめた。もう十分にここの空気を吸った。疲労感と徒労感に満ちながら、稔は満足して店を出る。それは満ち足りるのではなくて、収まる感じ。夜の街はガチャガチャして、酔客が闊歩する、この街に隠れることもまた、穏やかである手段だと気付く。でも、やりたいこともないから家に向かう。明日、文子に会って一日が潰れる。平日は働き、僅かな自由時間をパチスロと文子に費やして、俺が生きている時間なんて俺の一週間にはない。いや、久美のところに行っている数時間は俺の時間だ。俺がそうしたいと望んで使う時間。

「明日、行きたくないな」

 喧騒に溶かすように言葉を流す。誰も振り向かない。どうして文子と付き合っているのだろう。始まりは恋愛だったけど、今や、昨日付き合っていたから今日も付き合う、惰性、でもその惰性の先に文子は結婚を見据えていて、強力に推進して来る。俺は上手に逃げられない。でも逃げ切って見せる。その予定なのに、文子に別れを切り出せない。その理由が自分でもよく分からない。部屋に帰っても寝たくない、寝たら明日が来てしまう。でも寝ない訳にもいかない。どうせまともに眠れないのは分かっている。


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