9、〈秋〉と〈春〉の再会


忘れたくても、忘れられない。

刷り込みの様なこの感情。

恋と呼ぶにはまだ未熟で、

親愛と言うには深く

僕はそれを家族の愛だと信じていた。


一瞬にして、彼は彼女に奪われた。

鮮やかに、軽やかに、何の前触れもなく。

彼の世界の中心はとっくに彼女のもの。世界から彼女が去ったと知った彼は、恐るべき執念で彼女の渡った所へと。

僕を置いて、彼は世界から消えた。

ここには何も未練はないと言いたげに。


……どうして、置いていったの。

僕も連れていって欲しかったのに。

歌姫を追いかけた先、世界の果ての

異なる世界だって喜んでついていったのに。


彼は一度も戻ってこない。

もう、この世界の何処にも彼はいない。



……〈歌姫〉。

彼女は世界の人々の求める英雄。

救国の聖女、願いを叶える者。

いや、違う。

あれは天使の皮を被った、死神だ。



******



寝ぼけ眼のミズイロの瞼が、いつにもまして腫れぼったい。

これは、寝ながら泣いていたせいだ。夢見が良くないのはいつもの事だが、今日のそれは、ミズイロの顔を曇らせるには十分過ぎた。


『ひっどい顔ね、ミズイロ』

「昔の夢を見ただけだよ」


ふわー、とあくびを一つ。

ミズイロの目の下には、うっすらと隈が浮かんでいる。


『体調管理には気をつけなさいよ』

「……ん。ありがと」


不調なのは、体調ではなくて気持ちの問題というやつだ。きっとこれは、彼女達に引き摺られたせいだから。

少し黙った後で、ミズイロは話題を変える事にした。


「それよりさ、レグナの船酔いは収まった?」

『そのようね。ようやく歴史の島に到着したわけだけど…』


あれから、食の島で買った酔い止めの薬を飲んだレグナの体調は一旦落ち着いていた。

だが念の為、昨日は食の島で宿を取り一泊してから、翌日飛行機に乗って目的地にやって来た。

歴史の島〈ローグヴィレッジ〉。

女神と王冠の島の成り立ちから現在までの歴史や伝承、他の島に纏わる史実を書き記し、後世に伝える人々の住む島である。

そして、ここには三大秘境の一つ『歌姫の丘』があるらしい。

一足先に飛行機を降りて彼らを待っていたレグナとエルムは、ミズイロの事を手招きしていた。

少年は二人に駆け寄る。


「なんだか…とても静かな島だね」

「なんつーか、研究者気質な人というか…少し理屈っぽい人達が多い島なんだよ」

「カラみたいな?」

『アタシの何処が理屈っぽいのよ!』


ミズイロの知る研究者…頭の良い人のイメージは、身近にいるカラことチェラムその人だった。

気になる事があると頭のエアポケットに入り込むのは合っている気がするけどな、とミズイロは頭を捻る。


「それと、ここは群島の中でも教会の力が入りにくい場所なのです」

「ほう?」

「ここを治める語り部様は、教会の行動に意見を出来る稀有な御方なのです」

「女神と王冠の国は宗教国家じゃなかったっけ?」

「そうですね。けれど、何でも教会だけで決めていたら、対立するものが出てきてしまいます。なので教会外の人間の中でも、賢者と呼ばれる人々に意見を頂いています」

『確かに、内輪だけの意見で纏めていると、なあなあになってしまうわよね』

「特にサード大司教は、歴史の島の事は丁重に扱っているよな。それだけ語り部様が凄い御方なんだろうな」

『……なるほどね』


カラの白い耳がピンと立っていた。


「どうしたの?」

『この島に着いてから懐かしい声がするのよ』

「懐かしい、ですか」

『でも……んー……。気の所為だといいのだけど』


耳をぴこぴこと動かして、白猫は息をつく。

ふわりと、一行の側を冷たい風が通り抜けていった。




******




歌姫の丘と呼ばれる場所は、シアノ山にある『輝く鉱石』で出来た鍾乳洞の事だった。

そこを抜けた先の小山から鍾乳洞へと吹く風が、女性のハミングのように響くと言われている。鍾乳洞にある鉱石と空気の響きがその音を奏でているのだ。


「聴こえるかなぁ」

『しらんにゃ』

「ふん、ふん……♪」


訝しげに首を傾げるミズイロとカラに対して、エルムは楽しそうに鼻唄混じりで歩いている。


『よそ見をしていると、ぶつかるわよー』

「大丈夫だよー!」

「視界が暗いし、気を付けろよエルム」

「うん、ありがとう」


ミズイロ以外の二人と一匹は、楽しそうに進んでいるが、少年の表情は鍾乳洞に入った時から曇ったまま。

ミズイロは違和感を感じていた。頭の中で、小さく警鐘を鳴らしている。

辺りを見回せば自分達以外の人の姿は見えない。その筈なのに誰かが見ているような、そんな感覚だ。

ぴちょん、と水が落ちる音が響く。


『ミズイロ。さっきからお目目が怖いわよ』

「……。人の気配がするっていうか」

「俺達しかいないと思うけど」

「それならいいんだけど……」


鍾乳洞の出口にある丘から吹き抜ける風。輝く鉱石の表面が、暗い鍾乳洞の中ではランプのように淡く灯っている。

光が歪んで、揺らめいて。

ちかちかと、頭の中の思い出を写しては消えていく。

路地裏の隙間から見た星空の記憶。空腹で倒れてた時に写った、石畳とボロボロの靴。そして、広場で民衆に囲まれながら詠う女性と、陶酔したような瞳をさせた……


「……本当に元気がないね。具合よくないの?」

「違うよ」 


ハッとしたミズイロは、心配そうな顔つきのエルムに向けて笑ってみせた。

 

「…ホームシックみたいなものだから」

「親御さんの事を思い出したのか?」

「……兄代わりの人の夢を見ちゃったんだ。その人、もう何処にいるかも分からないんだけど…」


少しうつ向くミズイロの肩が、かたかたと震えていた。


『…ごめんなさいね。この子のお兄さんは、随分前に行方不明なのよ。それがあまりに突然だったものだから』


と、頭の上にのし掛かる重さと暖かさで、カラだということがミズイロにも分かった。


「いつもは平気なのに。ここに来てから調子が狂っちゃったな」


ミズイロはぽつりと、独り言の様な呟きをこぼす。

すると、レグナはおもむろにミズイロに近付いた。


「回りをよく見てみ、ミズイロ」

「え……」


鍾乳洞の中をふわりと漂う、光の玉。

これは微精霊だ。人間の目で見えることは珍しいと言われている。


「微精霊が可視化出来る程、マナの濃い場所だ。濃度の濃いマナは人の体調や精神に影響を与える。今のお前みたいに」

「あっ。そうか魔素酔い」


ぱんと両手を合わせて納得しているエルムに、それだそれ。とレグナ。


『確かに。ここのマナの濃度は濃いようね。微精霊達も活発で……けれど、これはちょっと異様ね。何かあったのかしら?』


カラは、訝しげに首を傾げている。


「多分今のも魔素酔いのせい。多少疲れもあったんだろうが」

「……疲れ、なのかな」

『一旦、外に出て休んでからにする?』


カラはミズイロの事を心配して、そう訊ねてくるが…


「大丈夫だよ。僕のことよりもエルムの心配をしててよ」


少年がへらりと、笑顔を作って二人に向く。


「それに、島の精霊も早くって言っていたんだ。行こうよ」

「無理はすんなよ」


珍しいレグナの台詞に、ミズイロはぽかんとしたが、すぐに先を行こうと他の人達を先導していく。


『本当に無理そうだと判断したら、アタシがストップかけるわね』

「お願いします、秋の精霊様」



それから暫く。一行が黙々と進んでいると、不意に誰かの声が聞こえてきた。


「これが、ハミング?」

「……しっ。……いや、これは」


ららら、るるる。

明るく楽しげに、高らかに。

優しい澄んだ高音が聞こえてくる。


時に強く吹く風がミズイロ達の行く手を阻んでいた。只の風ではない、僅かに魔力を帯びて駆け抜けていく様は、疾駆。


『ああっ!…まさか!』

「カラ?!」


カラはミズイロ達を置いて、先に飛んで行ってしまった。

まって、と追いかけて行くと、前方に光が差し込んでいるのが見える。

越えた先は、鍾乳洞の出口。

切り立った場所に聳える丘になっていた。

眼下に広がる映える緑と、点在する民家。美しい光景がそこにあった。


その丘で、一人の女性が踊っている。

金にも銀にも見える、ウエーブヘアの背の高い女性が、何かの詩を口ずさみながら。

彼女の周りは、色とりどりの花が芽吹いていた。


『さあ、起きて。ーーあら、あなたたちは』


その人は、こちらに気付くとみるみるうちに光に包まれて、人の顔ほどの大きさの猫へと姿を変えた。


『まあ、スクルドじゃないのーー!』

『……ひわーーっ!』


その猫に、白猫姿のカラが突撃していった。

……うーん、御愁傷様。ミズイロは心の中でこっそりとスクルドに合掌した。


「えっと、ミズイロ達の知り合い?」

「あの人はスクルド。カラの家族…?かな。春の精霊をしているんだって」


『春』を冠する彼女は、もふもふした灰色長毛種の猫の姿をしていた。

カラの家族であるなら、勿論人ではない。精霊と呼ばれる存在の一人である。


『……暑苦しい。離れなさい、秋の兄さん!』

『にゃっ!』


ネコパンチが白猫にクリーンヒットした。一見痛くなさそうに見えるが、普通のネコパンチとは違うのだろう。


「……何をしていたんですか?スクルドさん」

『春を呼ぶ儀式ですよ。島の精霊に頼まれたので』


スクルドに「あなた達こそ、何故ここに?」と言いたそうに首をかしげられたので、これまでの事を簡単に説明した。


『歌姫の歌声ですか。……ああ、そう言えばこんなものを見つけたんですよ』


灰色のお猫様は、ミズイロにちょいちょいと手招きをして丘の端にある、奇妙な機械の側へと連れていった。

植物の幹に隠れるように鎮座していたのは、奇妙なキーボードと、四角いパネルのような機械。


「これは?」

『旧文明の機械、PCと言います。

昔はこれを使って世界中の人々と話すことが出来たとか。その機械、妙な魔法が掛かっているみたいですね』


猫の前足で機械にスイッチを入れると、ブンとタイルの部分が光り始めた。

三人は目を丸くしていた。


『……本当は、あの娘へのお土産にするかと思ってましたが、これが手に入りましたからね』


と言って、スクルドは掌程の平べったい長方形の形をした機械を手にしていた。


『それは、通話端末だったかしら』

『はい。あの娘が喜びそうでしょう?』


相変わらず親バカね…。とカラは嘆息している。


「あの、春の精霊様。先ほどから鍾乳洞の方を見つめてどうされました?」


濃い深淵のような暗い瞳は、鍾乳洞の方へ鋭い視線を向けていた。

一瞬、周りのマナが彼女の周りを渦巻いていた。


『…兄さん、彼らをガードしてあげて』

『は?…なにするつもり!』


呆気にとられるカラの返事を待たずに、スクルドは空中へと飛び上がる。

ノーモーションから鍾乳洞へ向けて軽やかに飛んでいくと、洞窟内に突風を起こした。


「うあっ!」

『皆、こっちに固まって』

『私の仲間たち、こそこそしている人達をびっくりさせて!』


更に、灰色の猫は尻尾から光の玉を鍾乳洞の内部へ飛ばした。光の玉は微精霊達の力によって、連鎖的に爆発、鍾乳洞内に爆音と光を炸裂させていく。


『ちょっと!なにやってるのよ』

『大丈夫ですよ。後半は音と光の攻撃なので肉体的に傷付けてません』


けろり、と告げた灰色の猫の目線の先には、先ほどまで気が付かなかったが……

鍾乳洞の内部で、教会の兵士たちが頭を押さえながら、昏倒している。

意識のある兵士たちも、皆身悶えており苦しそうだった。

ほら、生きてるでしょう?とスクルドは言いたげだったが…


「うわあ……」


美しい洞窟内にそぐわない、死屍累々の数々(息はあるが)に、三人は絶句した。


『光は目眩ましに、爆音は前後不覚を狙えます。無闇に殺したくないときに覚えておくと、便利ですよ』


まあ、人間なんて生きようが死のうがどっちでもいいのですけど。とスクルドは吐き捨てていた。

その目線は、温度のない冷ややかなもので…本当にどうでも良いと思っているのだと理解してしまった。

故に、彼らは人間から感謝をされると同時に畏怖されている。

やはり、精霊は根本的に人間とは違うのだと思わせられる。


「春の精霊の割りに、苛烈っすね…」

『あら。前任者は知りませんが、私は穏やかなだけではないですよ。……春の嵐というでしょう?』


口調は柔らかいが、言っている事は穏やかではない彼女は、更に続けて


『それにこの島は、四季精霊わたしたち以外の祝福が施されてますね。……竜よりも強い…神に遣わされたものの力が』

「歌姫のものかな」


それを聞いたスクルドは、紫色の目をすぼめた。


『だから……呪いじみているのですね』


どこか胡乱げな目線を向けて、洞窟内の方を見つめている。すると、そこから人影が現れた。


「呪いとは失礼な。これは私達と女神との契約なのですよ」


一行の前に、教会の兵士を連れた法衣姿の男性が現れた。

柔和な笑みを浮かべた壮年の男を、灰色の猫は無言で見つめていた。

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