7、博士の罪と巫女の心


荒々しい水流が少年の身体を中心に渦を巻く。無数の泡が視界を奪い去る。

暗くて冷たい場所に、涙の雫が落ちる。

水の中では聞こえない筈なのに、脳内に直接響く暗く悲しい声音。


ーーその旋律は、眠った記憶を呼び起こした。遠い遠い過去の、悲しい記憶。


愛しい我が子を失って

父親はそれを認められなかった。

禁忌に手を染めようとも

悪魔に魂を売り渡しても


彼は求めた。

もう一度、娘との穏やかな日々を。

歌姫は願いを叶える時に、告げた。


ーー願いが叶ったとして、は本当にあなたの娘なのかしら?ーー


はたして、その時の彼に彼女の真意はわからなかった。



ざあざあと雨が降り注ぐ中、大地はゆっくりと空へと上っていく。人々はたちまち歓声を上げた。


ーー成功だ!やっと、この汚染された地上からおさらばだ!ーー

ーークロウリー博士の計画は、上手く行った!ーー

ーー〈彼女〉達の犠牲あってこその未来だ、生まれ変わった彼女達に敬意をーー


それは、浮遊大地計画が成功した瞬間だった。沸き立つ民衆、轟く歓声に祝福の言葉。

久しぶりの明るい景色に活気が最高潮に達していた。

それなのに。

その様子を音もなく見つめる、金色の光をまとった少女は……


『……何故、我を非道な事に利用した……』


許せぬ、許せぬぞ。あの人間……

ぎりっ、と苦虫を潰すように唇を噛み締めた少女の顔は、苦痛に歪んでいた。

ーーだから、言ったのに。



軽やかに、密やかに。

姿を消した歌姫は、くすくすと笑う。



………………。



「……、なに、コレ」

『…趣味が悪い』


脳内に直接見せられた後、気づけば周りの水の勢いは落ち着いていた。

あれは、歌姫が叶えた後の記憶だ。それなのに…最後の彼女は……

ミズイロの目には、何かおかしく見てとれた。


『貴方には、そうかもしれない』


リアは淡々と、一人と一匹を見据えて呟いた。続けて彼女は語る。

『でも目を背けてはいけないこと。何を願ったか、歌姫がどう叶えたのか。

〈世界の愛し子〉には、知っておいて欲しい』と、抑揚のない声が脳内に響いた。


「浮遊大地が出来た時の光景…?」

『でしょうね』


途方もない昔の光景を見せられたミズイロは、困惑していた。

対してカラは、涼しい顔をしている。


『ここは、計画を主導したクロウリー博士の直轄区域だった。

遥か昔、大地も海も瘴気に汚染された私達の先祖は、生き残る為に二つの計画をしたのね』


淡々と語るリアに、カラが口を挟んだ。


『それが【浮遊大地計画】と【海底移住計画】よね。けれど…浮遊大地計画にはある問題があったでしょ?』

「……マナの枯渇問題だっけ」


それは、遥か昔のこと。

地球では人間達と竜達の間で戦争をしていた。その戦争は劇化し……大地と海が瘴気に汚染をされるまで、それは続いた。

取り返しのつかないところまで来て、漸く両種族は戦争を止めた。

皮肉にも、自分達の招いた地球の危機が人間と竜を結びつけたのだと。

カラからは、皮肉たっぷりに聞かされた。


「でもそれを解決させたのが、そのクロ……?博士なんだよね」

『そうよ。彼は人工的に精霊を作り出して彼らにマナを増やしてもらい、浮遊大地の動力を賄えるようにした。

本当に……人間の飽くなき生存本能には反吐が出る』

『……』


冷たく吐き捨てるような最後の台詞。

カラは普段こそ穏やかで落ち着いているが、時折覗かせる冷たい言葉を聞くと、やはり自分の相棒は、人から外れている存在なのだと。

ミズイロにそう思わせるには十分だった。


「…博士は、悪いことをしたの…?」

『……そうね。けれど、それがあって今の世界があるのも、事実よ。博士を肯定することは出来ないけれども、だからといって…昔の人がやった業を、今生きる人間に問うのはナンセンスだわ』


ミズイロだって、見ず知らずの人にご先祖の恨みだ責任をとれと言われても、困ってしまうでしょう?と言われてしまった。確かに困るけども。

カラにも『あまり気にしないで頂戴』と言われてしまい、具体的な事は話さなかった。

たまにカラは、こういった事を濁してしまう。


『彼は非人道的な実験を繰り返して、ようやく成功させた。娘を取り戻したかったから。……でもね、それだけは叶わなかった』

『だから、歌姫にすがったのね』

「……なのに、君は怒っていたね、リア」


すると、島の精霊は曖昧に笑った。

カラがあら?と首をかしげて目を丸くしていた。


『……おかしいわね、あなたは島の精霊なのに?』

『女神の代替わりごとに、わたし達の意識は希薄になっていく。他の島の精霊と違って………だから』

「……何て?」


ミズイロの問いに、リアは微笑むのみだ。

あまり聞き取れなかったミズイロは怪訝そうに頭を捻っているが、カラは察しがついたように目を見開き、毛を逆立てた。


『……ちょっと待ちなさい。それって、女神の儀式というのはまさか』

『わたし達は、エルムにはせめて悔いの無いように生きて欲しいの』

「…それって、まるでエルムが」


ミズイロが言いかけて、止まった。

リアの白い手が、側にあったよく磨かれた石に触れた。ぼんやりと光り出したそれに映るのは、前方の何かの姿を見て焦った様子のエルムとレグナの姿。


『……外が騒がしくなっているね』

「これって…!」


リアは、もう話は終わりだと言うように姿を更に希薄にさせていた。

さあっ、と波が一際大きく揺らぐ。


『最後は歌姫の丘。時間がないわ。どうか、早く……』


リアが腕を上に振り上げると、それにあわせて水流が一人と一匹を包みこみ、勢いのまま彼らの体を水面の方へと押し上げていく。

それから、ひゅるるるるるっ!

……と、勢いよく湖の外に放り出された。


「……っ荒っぽいよリアーー!!」

『ちょっ!下に人!人ー!』


空中から湖の端を見れば、レグナとごつい格好の人が立っていた。

このままいくと、彼らに激突してしまう。咄嗟にミズイロは、着弾地点を目掛けて風の魔法を唱えた。


「…春告げし西風よ、受け止めて!〈ゼピュロス〉!」


どしゃっ!

ミズイロは風を纏いながら、体当たり気味に着地した。真下で鈍い呻き声が聞こえたような気がしたが…魔法のお陰か、ミズイロへの衝撃は抑えられたようだった。


「う、いったたた……」

「……だ、いじょうぶ、か?」


近くで緊張していたレグナが、恐々と声を掛けてきた。慌てて避けたようで、一人と一匹を唖然としながら見つめていた。


「あんま、痛くない……わあ、人の上にぶつかっちゃった」

「あー、いいよ。俺的には助かったし」


ミズイロがお尻から着地した下には、目を回して延びている、物々しい鎧を着た兵士の姿。

なんだか、若干の申し訳無さが込み上げてくる。


「良かったのかな、これ」

『……ねえ、エルムはどうしたの?』


カラはキョロキョロと辺りを見回した。

特徴的な赤い髪の少女の姿がどこにもない。


「巫女様は先に逃げてる。お前らを待っている内に居場所を気付かれたようでさ……」


安全な場所まで逃げるぞ、と言うレグナに引っ張られるように、彼の先導に続いた。

程なくして、木々の影に隠れるように建てられた小屋に辿り着いた。

小屋の少し寂れたドアノブを捻って中に入る。灯りのない暗い部屋の中に、見慣れた赤い髪の少女がうずくまっていた。


「……はあ……はあ……っ」

「ちょ、エルム!」

「やっぱり無理してたのか…」


ミズイロは灯りの代わりに、手持ちの簡易照明魔道具ランタンを取り出して、起動呪文を呟いた。直ぐに魔道具の中に光が点り、部屋の中を照らし出した。

レグナはすぐにエルムの側に駆け寄ると、手のひらにマナを集めて魔法を唱え始めた。


「ここに癒しの光を……!」


優しく穏やかな淡い色の光が、エルムの体を包み込んでいく。


「……レ、グナ…ごめんね」

「もういいっすよ。それよりあんたの体の方がヤバいだろ」

「そうだよエルム、顔色良くないし、休まないと……」


ミズイロも、心配になって駆け寄る。

そうして彼女の視線とかち合った。

その瞬間、ミズイロの頭の中で何かが流れこんできた。


ーー白い静謐な部屋で、小さくうずくまった幼い少女の姿。

目は虚ろで、表情は無い。

神官らしき人間や、世話人らしい女性が声を掛けても、少女は笑うことも声を出すこともない。

まるで、人生に絶望しているような。


そんな少女の元に、一枚の紙が目に映る。美しい花の絵だった。

持ってきた少年がそれを手渡すと、少女はそれをまじまじと見つめていた。

生まれて初めて見た、と。


いつしか少女は、その絵を描いた少年と話すようになり、笑うようになって。

虚ろな目はきらきらと輝いていた。

彼と過ごす日々が楽しいと、少女の表情が物語っていたーー


「……ミズイロ?もしかしてあなたも疲れちゃったの?」

「あ、う、うん。忙しかったし……」


今のはなんだろう、とミズイロは一人頭を捻る。

今のはエルムの過去なのだろうか。何だか考えていたよりも……


『まあ外も真っ暗だし、明るくなってから動いた方が良さそうね』


カラはエルムにすり寄っていると思っていたら、熱があるか確かめていたようで。

レグナには、エルムを早く横になれるところへ運べと言っている。

『安心なさいな、人払いの魔法を掛けたから、余程の事がない限り安全に休めるでしょ』と彼は微笑みながら一行にウインクを一つ。

カラの冷静な対応を見たミズイロは、不思議と安心してしまった。


『それよりあんた達、いつの間に仲直りしたの?』

「お前らが湖に潜ってた時だよ!」


それからぶつぶつと何かを呟きながら、レグナはエルムを横抱きにして、ソファに寝かせた。


『あーいうのを、お姫様抱っこっていうのよ』

「知ってるよ、女子が憧れるやつだよね。僕も大きくなったら…」

「そんな期待を込めてやるもんじゃねーから」

「あだっ!」


レグナのチョップがミズイロの頭頂に当たった。その衝撃が響いた少年は、叩かれた痛みで少し涙が出た。


「うああ……星が見えた…!」

「まあ、ミズイロはもっと筋力つけないと……なんだよカラ!」

『ちょっとは加減なさい。ミズイロはねぇ…!』

「カラ!あまり騒ぐとエルムが寝られないから……!」


ミズイロはカラの口を両手で覆って喋らないようにしてしまう。カラは瞬きを繰り返している。


「私の事は、気にしなくていいよ」

『ごめんなさいエルム。…起こしちゃったわね』


カラは、驚いた様子でソファの方へ向くと、顔色の良くないエルムに謝っていた。

それから、静かにするわと呟いていた。


「……あーミズイロ、悪いんだけど、エルムの様子を見ていてくれない?」

「レグナは?」

「飯作るの。お前も腹減っただろ?」


そう言われてから、初めてミズイロは空腹感を自覚した。

カラは『あら、あんた料理出来たのね』なんてぼやいていたが。


『何そわそわしてんの?』

「んー…、誰かのご飯を食べる機会が無かったから、新鮮だなって」

『……そうだったわね』


それから、スープが出来上がるまでの間。

ミズイロはエルムの様子を見つつ、何だか新鮮でそわそわしていた。




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