6、湖面に沈んだ残響音



花の島〈フラワーフィールド〉で、神秘の森の奥にあるという天使の花の群生地を目指していたミズイロ達は、巫女エルムと絵描きのレグナを追い詰めて教会の兵士から助ける。

その後成り行きで行動力を共にした一同は、天使の花の群生地にたどり着く。

そこで、ミズイロとカラは不可思議な光景を目の当たりにする。いつかの過去で、少女の死を嘆く人と、そこに舞い降りた歌姫の姿。

彼女の歌で叶えた願いは、一体…。


そのような事が起こった、次の日。

彼らは次なる目的地、石の島〈クォーツヘッド〉にある『白夜の湖』を訪れていた。

だが……一行の空気は、すこぶる悪かった。


「ここが白夜の湖!……お勧めは夜だよ。つまり、今!!」

「……あまりはしゃぐなよ、エルム」

「ふーんだ!」


エルムとレグナは、お互いに不機嫌そうにそっぽを向いてしまった。

そんな二人の様子を伺っていたミズイロとカラの二人は「……どうしよう、あれ」『まったくよねぇ』と響きあっている。

少女と青年は、ただいま喧嘩の真っ最中だ。エルムの方はレグナにそっぽを向いたままで、青年も呆れた風に少女に素っ気ない態度をとっている状態である。

ミズイロ少年は、ため息を一つ吐き出す。


何でこうなっちゃったのかな。

少年は半日前の出来事を思い返していた。



******


翼の島〈フライトサイン〉。

女神と王冠の国内の空の交通を担う島で、中央島を挟んで向かい側にある、港の島〈レンゲフロート〉と分担して、国内の島々への行き来を円滑にしている交通の要だ。

幸いと言うべきか、花の島から翼の島までは直通のゲートがあり、いつでも行き来が可能だ。

白夜の湖のある島の事をレグナ達に訊ねた際、翼の島から港の島に渡ってから、石の島まで行くのだと話してくれた。

それを聞いていたエルムは、楽しそうにこう言ったのだ。


「もしかして、我が国の三大秘境を回るつもりなのですか?」

「三大秘境?」


初めて聞いた、とミズイロは思った。

きょとんとしている少年に、青年はからかうように笑った。


「とぼけるなよミズイロ。

女神と王冠の国の誇る三大秘境と言えば、

花の島の【天使の花の群生地】。

石の島の【白夜の湖の月鏡】。

歴史の島の【歌姫の丘の鉱石道】だろ?」


レグナの台詞に続いて、

「昔は簡単に行き来出来たそうですが、今は地形が少し変わってしまい、気軽に行ける場所ではなくなっているのです。

ですので、三大秘境と呼ばれています」

と、エルムがにこにこしながら話してくれた。心なしか、饒舌だ。ミズイロは意外だなと感心していた。

それはカラも同様だったようで、驚きの言葉を呟いていた。


『あんた達、詳しいわねえ』

「はい!実は私…儀式の日までに三大秘境を回るつもりだったのです」

「……はあ?」


ヤル気満々と言った風にどや顔をしている少女の隣で青年は聞いてねぇ!と言いたげに驚いていた。

レグナの顔つきが、少し険しい物に変わった気がした。


「まだ中央島に戻らないつもりなんすか?!」

「もちろん。あなたの絵で見た景色を見るまでは、帰りません!」

「いや、帰れよ。教会のお偉いさんが心配してんだから」


レグナが続けて「今も教会の兵士達が巫女様を見付けようと必死なんだぜ」と言っても、エルムは「帰らない」の一点張りだ。

ミズイロのフードから顔を出して、胡乱気に二人を見た白猫は、『見た目によらず頑固ね』と呟いていた。

ミズイロからすれば、もし引き続き案内を頼めるなら有り難いが、無理強いするつもりはなかった。なので、急な事でポカンとしてしまった。

青年は少し考えた後に、息をつく。


「……ほら、俺も一緒に謝ってあげますから」

「や!私はまだ帰りません!」

「何言ってるんだ、続きは儀式の後でもいいじゃんか。今回みたいにこっそり出てくれば……」

「……それじゃ駄目なの!」


エルムは目尻をつり上げて、青年を鋭く睨みつけながら、強い口調で叫んだ。

いつもの様子とは一転して、少女の激しい様にミズイロ達は驚いていた。

少女がいきなり叫んだことで、何事だと周りの人々もこちらを見ていた。

視線を集めてしまった事に、はっと我に返ったのかエルムも少し動揺していたが…


「……レグナのバカ!知らない!」

「なっ……勝手にしろ!」


二人は、ふんっとお互いにそっぽを向いてしまった。

カラは、あーららと呆れきった顔を作って二人を見つめ、ミズイロはそわそわおろおろと狼狽えている。


「……ど、どうしよう…!」

『ほっときましょ。アタシ達は石の島にいかなくちゃなんだし』

「えええ…いいの?」

『どうせ、犬も食わない痴話喧嘩よ』


バチバチしている二人を見て『ほっといても平気』と傍観を決め込んでしまうカラに対して、ミズイロは一人困ってしまった。

これから石の島に向かうのに、この空気感でどうしたらいいのだろうと考えると、少年の気持ちは少し重かった。そのような事をもやもや考えているところに、


「……わっ!」


ミズイロは不意に肩をびくっとさせて驚いてしまった。少年の腕をエルムに掴まれていた。しかも何故か、にっこりと笑顔で。


「行こうミズイロ。ほら島を渡らなくちゃ」

「そ、そうだね……びゃっ!」


すると、もう片方の肩をレグナが軽く叩いてきた。こっちも、爽やかな笑顔を作っている。


「石の島行きだったな。間違うなよ」

「……カラぁ……!」

『………あらら、全くもう』


二人の無言の圧力が、今はとても怖い。

笑顔でにらみ合う二人に挟まれたミズイロが、涙目でカラに助けを求めていた。

これにはさすがの彼も、少年に御愁傷様としか言えなかった。



………………。


そんな事があり、エルムとレグナは白夜の湖に辿りつくまでずっとこの状態が続いていた。

幸いな事に、石の島から白夜の湖までの道のりはそこまで苦ではなかったので、道中はスムーズだったのだが……。

二人はともかく、ミズイロとカラはこのギスギスした空気をどうしようかと頭を悩ませていた。

少女は相変わらず元気よく、湖の周りを見て回っている。心配だとカラが少女についていた。その一方で青年は、むすっとしながらスケッチブックを取り出した。

ミズイロは少し考えて、青年に何をしてるのかを聞いてみた。


「レグナさん、なにやってるの?」

「いや、暇潰しに絵を描こうかと思ってさ」

「ふーん、そっか」

「こうしてると、気が紛れるしさ」


それに滅多に来れる場所でもないから、と青年は鉛筆を手にしている。それじゃ話し掛けると邪魔かなと思ったミズイロは、湖の湖面を覗き込む。

うっすらと空色の髪と目をした少年の顔が映った。


「……見慣れないな」


綺麗な色の自分がそこにいる。

でも、本当の僕は、いつも薄汚れていた。

生まれた町の路地裏は、いつも煙が漂っているような場所だった。灰色の煙の中で、あの人の背中を見失わないように追いかける毎日。

見失いたくない。消えないで。僕を置いていかないで。

幼い子供にとって、彼は世界の全てだった。

その人は、ある日忽然と消えた。


……カラが来なかったら、僕は……


「あまり覗きこむなよ、惑わされるぞ」

「え?」


振り向くと、スケッチブックと湖を交互に見ながらレグナが話しかけてきた。

つい、自分の思考の内に入り込むところだった。きょとんとしているミズイロに、レグナは続けた。


「ここの湖は、人の過去や心を写すと言われているんだ。悪戯好きな微精霊がいるんだってよ」

「それは困るね」


そうだろ?と言って、青年はスケッチブックに目を落とす。彼の視線の先には、湖と…エルム達の姿がある。

……喧嘩をしていても、一応気にしているんだな。と思うと少し安心した。少女の事が嫌いになった訳じゃ無さそう。

少年は思わず、彼に聞いてしまった。


「エルムと仲直りしないの?」

「……は?!」

「お節介かもしれないけどさ。仲違いしてるの見てると……」

「あー、ごめんな少年。気を使わせたよな」


青年は苦笑いを浮かべると、ミズイロに対して両手をを合わせて謝ってきた。あっさり頭をさげられたので、文句も引っ込んでしまい、あまり気にしないでと返した。

続けて、ミズイロは聞いてみる。


「…何で、エルムを止める様な事を言ったの?」


その問い掛けに、青年は少し思うことがあったのか、ぽつりぽつりと話し出した。


「なんつーか。今のエルム…少し心配でさ。代替わりの儀式前だからなのかもしれないけど……どっか無理してるっつーか」

「楽しそうに見えるよ?すごい元気だし」


ミズイロから見れば、普通に元気に映っている。「やっぱりそう見えるよな」とレグナは呟いてから頭をかいた。

複雑そうな…色んな感情が混じった渋い表情だった。


「そういう奴なんだよ。無理してでも笑顔を作るから……だったら、教会に帰って休んだ方がさ…」

「だったら、先にそう言ったらいいのに」


レグナが理由を言わなかったのが心底不思議で仕方ない。言わなければ伝わらないのに。

ミズイロが唇を尖らせていると、青年は可笑しそうに笑ってから、苦笑した。


「あのな少年。男には、本音を言わずにカッコつけたい時があるんだよ」

「女の子を怒らせてたらカッコ悪くない?」

「うっ……」


青年は苦い顔つきで、言葉を詰まらせていた。

……そんなミズイロ達の様子を見守っていたカラは、深いため息を吐き出した。


『…ほんっとねぇ……』

「ため息をつくと幸せが逃げていくよ?」


その側にいたエルムが訝しげにしている。少女の周りには、淡く光る玉がくるくると寄ってきている。

少女は、微精霊と戯れてはしゃいでいた。

浅瀬の水面の上でまるで踊るようにはしゃぐ少女の姿は、月に照らされた水面と相まって神秘的だとカラは思った。


『何でもないわよ。ミズイロが何してるのかなって』

「あ。……また絵を描いてる……むっ」

『そうねえ、綺麗な景色だもの』


レグナがこの景色を描き留めたいと思ってしまうのは分かる気がする。所謂、絵描きの性なのだろう。

白夜の湖は美しかった。空の星と月を映し、淡く煌めいた湖面。そっと湖を覗けば自分の顔が映りこんで、鏡を覗いているようだった。

まだ少し怒りでむくれている少女に、カラは穏やかに笑った。


『ところで、彼の事はもう知らないんじゃなかったの?』

「……し、知りません!」


ばつが悪そうに答える少女を相手に、白猫は少し低い声音で、『ほんとうに?』と問いかける。ぴくり、と少女の眉が動く。


『ねえ。余計な事かもしれないけれど。

……無理してのは止めなさいな』


途端にサーッ、と少女の顔色が青くなっていた。

カラの言葉が図星だったのだろうか、さっきまでの明るさは霧散していた。


「そんなことないです」

『うそおっしゃい』


意地を張っているエルムに、白猫は少女のおでこを前足で軽く叩く。ぺちっ、と軽い音がした。


「い……いたくない?」


前足の肉球でタッチしただけ、ぷにぷにだ。

『あら、紳士がレディの顔に傷付けるわけないでしょ』と呟くカラ。

エルムは更に不思議そうな顔をしていた。


『彼はあんたが邪魔で帰れと言ったんじゃないわ、……分かるわよね?』

「うん、知ってる……。でも……」

『ごちゃごちゃ考えているようだけど、少し素直になる事も大事だと思うのよ』

「………。」

『女神になってから後悔するのは、あなたも嫌でしょ?』


怪訝そうにしていた少女は、驚いていた。

白猫の顔を見つめた後に、少し寂しそうに目を伏せた。


「カラ様は、……ご存知なのですね」

『……そんなもんじゃないわ。これは只の経験則よ』


猫の目がまん丸に見開かれ、月を映した湖の湖面を見つめる。全く、歌姫様は何をお考えなのやら、とぼやきたくなった。


「…まず、謝らないとですね」

『落ち着いたのね。そっ……!』


エルムは岸側に戻ろうと、その場で…湖の上に浮いたまま、くるりとターンをした。

その時だった。

突如、浮いていたエルムの身体が、がくんと後ろに下がった。


「…ひゃっ?」


少女の体が急速に下方に傾いていた。後ろに下がった瞬間に足を滑らせたらしい、片方の足が、湖の水面に沈んでいっている。

このままでは、湖に落ちてしまう!

カラは思わず、岸にいる二人に向かって声を荒らげた。


『ミズイロ!レグナ!早く来て!』


湖の外にいた二人は、カラの呼び声を受けて湖の方を向いて、目を丸くさせた。


「…えっ?」

「……あいつ!」


何が何だかわからず固まるミズイロをよそに、青年の動きは早かった。

青年は持っていた画材道具をその場にさっと置いて、ぱちんと指を鳴らした。

瞬間、ミズイロの横をひゅっ、と風が駆け抜けていくと、レグナは湖の上を飛んでいた。

すぐにエルムの所にレグナが駆け寄ると、湖に沈みきる前に彼女の身を受け止めていた。


『ひゅー。いい反応速度だこと』


カラは口笛を鳴らしていた。

少年も、レグナの行動力にぽかんとしてしまった。

さらっと短縮詠唱をして、風を纏い水の上を飛んでいけるくらいの魔術の腕と、身体能力。一般人の絵描きにしては、俊敏過ぎる気がするような…と思ってしまう。


「何してんだよあんたは!」

「……ごめんなさい」

「たく。元気なのはいいが、はしゃぐから…」

『レグナ。お小言は湖の外まで連れてってからやってくれる?』


色々言いたいと思うけどね。そうカラが優しく微笑むと、青年は静かに頷いて岸に向かっていく。

ミズイロは入れ替わりで湖面の上に佇むカラの元へ向かう。

一番疑問だった事をカラに聞いてみたかったのだ。


「さっきまで喧嘩してたのに……?」

『だから言ったでしょ。痴話喧嘩だって』


そんなものなの?と言いたそうなミズイロに、ニコニコと笑うカラ。

何だかバカにされているような気がした少年は、なんだか気に食わなくて頬を膨らませた。

その一人と一匹の側に、何かの気配が降りてくる。


『よく来たね、〈世界の愛し子〉』


音もなく。ただ静かに。よく響く声が耳に届いた。

白い腕がミズイロの背後から伸びてきて、少年の腕を捕まえた。驚く間もなかった。


「……へ?」

『……ミズイロ!』


小さく白い腕が、何処にその力があったのだろうか、少年の体をあっという間に湖の中に引き込む。続けてカラも、少年を追いかけるように湖の中に飛び込んだ。

どぼん、と落ちる音と、異変に気付いたレグナ達の叫び声が、少年達に遅れて耳に届いた。

ひんやりと冷たい水の感覚が、少年の動きを鈍らせる。


「ひっ……」

『怯えないで』


少年はその人の顔を見て驚く。

ワンピースと淡い光を纏った少女だ。

その姿は中央島で会った島の精霊、リアだった。

彼女だと認めたカラは、顔をしかめていた。猫は水に濡れるのを嫌うのだ。


『……随分と強引ね』

『安心して、息が出来るようにしているから』


ほんとだ。苦しくない。

そう考えていると、ミズイロは気付いた。水の中でも意思の疎通が出来ていることに。

その間にも、ミズイロはリアに引っ張られて湖の底へと沈んでいく。

湖の底へと沈む度に闇が増し、暗くなっていく。だが水面は淡く光っていて、とても不思議な光景だ。

暗闇の中に煌々と、光を返している何かが見えた。あれは何だろう。


『あれは、旧文明の遺産。夢の成れ果て』


湖の底は思ったよりも深くなく、難なく辿り着いた。

辺りのあちこちに、奇妙な形の箱が鎮座していた。箱の中には、平べったくて薄い形のものが入っていた。扇の形をしていて、先の方は透けている。艶やかに煌めいていた。


「なに、これ」

『鱗…?』


カラが目を細めつつ、訝しげにそれを見つめている。鱗のある生物といえば、空を泳ぐ獣の一部や爬虫類、魚類がミズイロの頭の中に思い浮かんだ。


『……でも、この魔力は』

『そう。竜の鱗だよ』


リアの台詞に、ミズイロは思わず息を飲む。竜の鱗は、防具の素材や魔術触媒、薬の材料にもなる。…にも関わらず、竜種は数が少なく、誇り高い彼らは、気に入った相手にしか鱗を渡さないとされる。

高値で取引される希少なものが、何故こんな場所で沈んでいるのだろうか。

ミズイロ以上に真剣だったのは、カラだ。


『竜の鱗、それに旧文明の遺産……ならこれは』

『ーーここはとある施設があったの』


リアの声は水の中なのに、よく透る声をしている。

どうやら、脳内に語り掛けているようだ。


『島が浮遊大陸になって浮き上がった時に、雨が降り注いで湖の底に沈んでしまったから。もう動かないけれど』


それなのに、彼女の姿は水の中でも揺らいでいる。今すぐにでも、消えてしまいそうな気持ちにさせた。


「……ここにある歌声は?」

『ねえ、どうしてここが水の底に沈んでしまったと思う?』

『……何かをから?』

「どういうこと?」


さっきまで少女に捕まれていた腕は、ひんやりとしている。水の中にいるせいか、それとも彼女が、精霊だからなのだろうか。


『ただ、願っていただけだった。隠したかったのは、別の事なのに……』


少女の白い手が、箱をすり抜けて竜の鱗に触れた。鱗とリアの手の平の間で、光が生まれる。

ミズイロ達の周りの水が波打った。

魔力の圧が水に意思を与えたかのように、荒々しく渦を巻いて。


「……!」


渦を巻いた波が、少年の体を飲み込んでいく。激しい波の勢いに、少年は目を瞑った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る