4、花舞う島と神秘の森



神秘の森と呼ばれている鬱蒼とした森は、予想に反して仄かに明るい。

森の中を光の玉がふわふわと漂い、絶えず照らし続けているせいだった。

その為、そんな不思議な場所を地元民は真昼の森と呼んでいる。


その森を歩く足音が二人分。青年と少女の二人が、付かず離れずという絶妙な距離感で歩いている。


「……どこに向かっているの?」

「そうっすね、この場所ですよ」


赤い髪を揺らして訊ねてきた少女に、青年は一枚の紙を差し出した。

少し、ぶっきらぼうだと感じる対応だ。


「天使の花が咲く場所?」


少女は目を輝かせる。

しかし「でも、この花は……」と言い淀む少女に、青年はにべもなく返す。


「見てみたいって言っていただろ、あんた」


少女は「はい」と頷くが、でも…と戸惑っている様子だった。

それを見て青年は「巫女様」と声を掛ける。


「いいのか、これが最後のチャンスかもしれないんだぜ」

「わ、わかってますよ。……しかし私を連れ回したと知れたら、貴方にご迷惑が!」

「……まあ、だいじょーぶだって」


少女は「そんな能天気な!」と大袈裟に叫ぶ。少女の心配をする姿に、青年は心底不思議そうな顔をしていた。


「たくっ、元々一人で小旅行するつもりだったお方の言葉とは思えないんですがね」

「私はいいの」

「へぇ、じゃあこの場所も、これから向かう予定の場所も、下調べをしていたんですかね?」 

「…し、してないけど…なんかいい感じに行けると思って…」

「やっぱり付いてきてよかったわ」


一気に狼狽え始めて、ばつが悪そうにする姿を見た青年は、自分の判断は正しかったと確信した。

少女を一人にしたら、色々危なっかしいし。と付け加えて。



******



花の島、フラワーフィールド。

島内は一年中常春の陽気を保っており、ここでは年間を通して、様々な花が島を彩っている。

島民は、農業をして生計を立てているのだそうだ。


「お花の匂いがそこかしこからする」


ふんふん、と空気を嗅いだ後にミズイロは鼻を押さえる。いい匂いだが、少しくらくらしそうだと呟いていた。

対してカラは、ちょっと楽しそうにして上機嫌だった。


「……楽しそうだね、カラ」

『花を見ると、つい末の妹を思い出すのよねぇ』


あの娘、元気かしらね。

というか心配だわ、ただでさえ迷子のプロだし……と相変わらずの心配性を発揮しているカラ。


「それって、春を司る精霊の事?」

『そうよ。〈春告げる風〉とも呼ばれるわ』


春を司る精霊。

別名『春告げる風』を冠する彼女は、穏やかかつ苛烈な春の嵐を伴い、リチェルカーレに春の芽吹きをもたらす者。

ミズイロも一度だけ目にしたことがあるが……カラと同じく猫の姿で、もふもふした灰色のお猫様だった。

四季を司る精霊はみんな、猫の姿なのだろうか……兄妹ということは?


「もしかして、夏と冬の精霊も兄弟とか?」

『そうね。夏は弟で、冬は長姉かしら』


猫なの?と訊ねると、他の二人は違うわねと返ってきた。少し期待していたのに残念だな、とミズイロは思った。


『ああ、兄弟といっても人の概念とはまた少し違うのよ。精霊達に血の繋がりはないもの』

「そうなんだ」


そもそも、リチェルカーレに於ける精霊とは。

何らかの要因で亡くなった竜の肉体に残されたマナが変異、または転生した存在である。

彼らは不確定元素『エーテル』の恩恵を受けており、自らマナを作り出す事が可能であるとされている。


「そのマナを使って、周りの環境を整えているんだよね」


外からの飛来物であるマナを新しく作り出す事が出来るのは、この世界には現状精霊のみ。

そのためか人々は、精霊という存在に対して竜以上に畏敬の念を持っている。


『そういうこと。もっとアタシを敬ってもいいのよ、ミズイロ』


しかしミズイロは、カラと一緒にいることが…精霊の存在が身近過ぎて、特に畏れた事もなかった。立派だなとは思うけど。


「ふーん。別にカラはカラだし……」

『かわいくないわねぇ』


かわいさはどっちでもいいことだし。とぼそっとぼやけば、白猫は鼻を鳴らしてそっぽを向きつつ、辺りを見回した。

彼らは今、空港から少し歩いて店の賑わいのある通りを歩いていた。


『さて。目的の場所はここから遠くないみたいよ』


花の島の神秘の森。そこは一日中昼間の様に明るく…不思議な場所だそうだ。

少年の抱く森のイメージは、木々に囲まれており、薄暗くて少し歩きにくい。

何より迷いやすい所だと思っている。

なので、明るい森と聞いて少し興味が湧いていた。


「…じゃあ、早速行ってみる?」

『ええ?…もうそろそろ日が暮れるわよ』


カラは、焦らなくても散策は明日にしてもいいんじゃないの?とツッコミされてしまう。


「夜でも明るいのか、見てみたいんだもん」

『だもん、てあんた……』


しかも、盛大に呆れた目線を寄越されてしまった。

白猫にため息をつかれた後に『夜は魔物が出るのよ』と一言付け足された。


「……確かに面倒そうなのはいるみたいだね」


ミズイロは、ちらりと視線を遠くにやる。その先には、物々しい鎧と武具を手にした兵士が数人。

『巫女様の捜索かしらね』と、カラが感心したようにぼやく。


「……あのお姉さんが巫女様だったとして」

『うん?』

「連れ去られたって感じじゃなかった。なら何で…」


少年にとって、とても不思議だった。

なに不自由ない暮らしをしている少女で、今日のご飯も生活も保証されているのに、どうしてなんだろう、と思ってしまったのだ。

その問いかけに、カラは『そうねえ』と返事をすると穏やかな口調で続けた。


『…きっとね、本人にしかわからない理由があるのよ』

「そんなもの?」

『アタシ達他人からすれば、取るに足らないものかもしれないけれどね』


きっと本人にとっての価値があるもの、なのよ。とカラは続けた。

小難しい返しをされると、ミズイロは理解するのに時間が掛かる。はっきりとした答えのないものは特に。


「……ふぅん。大層な理由じゃないのか」

『その人の行動の原因に、皆が皆同じ価値観を持っている訳ではないのよ。あなただって、そうでしょう?』

「…それもそうだね」


ミズイロは返事を一つ。

確かにそれもそうかと思い直すと、騎士達は何処かへと姿を消していた。


「神秘の森を見に行くだけでも…」

「お客さん、あの森にいくの?」


もしかして観光客の人?

と一人と一匹に、店頭に立つ少女が話しかけてくる。栗色の長い髪を後ろで纏めたヘアの大人びた少女だった。少年よりも少し年上だと思われる。


「あ、はい。天使の花弁が見たくて」

「そうなのですね。どんな花か知ってますか?」

「…えっと、それが……」


少年の歯切れの悪い返事に何かを察した少女は、少し考えた後に一枚の紙をミズイロに差し出した。


「これどうぞ。兄が描いたものだから、参考になるかわからないけど」


花の絵だ。鉛筆描きだったが丁寧に描かれており、素直に上手だと少年は思った。


「…花の絵?」

「うん、天使の花を見て描いたものなんですって」


少し苦笑を浮かべながら、少女は彼らに続けて話す。

「私の兄、しがない画家でさ」という出だしで始まった話をまとめると、

画家をしている店員さんの兄は、国内の珍しい場所に行っては、その場所や物の絵を描いているらしい。


「この串焼きを買ってくれたら、その絵もつけたげる」


残り一つなんだけど、売れ残っちゃってるの。と少女。ミズイロは苦笑いをしつつも、話を聞いてしまった手前、それを買うことにしたのだった。

………………。


それから彼らは島の店通りを抜けて、住宅街を通りすぎ……神秘の森の入口まで辿り着いた。

辺りは既に夕方になりかけていたが、森の中の方を見ると、淡い光の玉がふわふわと浮いていて明るかった。


「うわぁ…キレイ」


一人と一匹は、森の中に広がる不思議な光景に目を奪われた。


『成る程、微精霊が可視化してるのね……するとこの土地にあるマナの……いえ、それとも…』


ぶつぶつと真面目な顔をして考え込む猫に、「カラ?」と少年が声を掛けると、白猫ははっとした顔をしていた。


『ああ、ごめんなさいね。こういったものを見ると、原理を理解したくなっちゃうのよ…』

「ふーん。普通に綺麗だと思うけど、そこまで頭が回らないよ」

『もう少しお勉強して、大人になれば嫌でも出来るようになるわよ』


そういうものなの?と訊ねると、


『ええ。……個人的には、あなたはもう少しそのままでいてほしいけれどね』


と言って、カラはとても優しく微笑んでいた。

森の中に足を踏み入れる。光の玉が淡く瞬いて、ふわふわと辺りを飛び回っていく。

歩きながら、あの光の玉は何なのかとカラに歩きながら訊ねると、あれはこの森の微精霊らしかった。

微精霊とは、空気に漂うマナから産まれた小さな精霊の事だ。

微精霊は、産まれた土地に応じた属性を持つものらしいが、ここの微精霊はカラ曰く『変わった属性』だそうだ。


「どこもかしこも同じ景色みたいで、迷ってしまいそう」

『森とは、一様にしてそんなものよ。……ふーむ、そうねぇ』


ミズイロのフードから出てきたカラは、宙に浮かんでいる光の玉に近寄ると、何かを呟いている。

話をしているようだった。猫が光の玉に囲まれている姿を目にする、何だか幻想的だと思う。


『そう、……そう。お願いできる?』


カラの側にいた光の玉が、OKとばかりにに一瞬強く光る。


「何してるの」

『この辺りの微精霊に天使の花弁がある場所を聞いたら、どうやら案内してくれるそうよ』

「やった!」


ほほほ、アタシを褒め称えなさいなとをするカラに、ミズイロはお礼を込めて「ありがとう」と伝えると、白い猫は少年の肩に乗ってすり寄っていた。

ふわっ、と寄ってきた丸っぽい光の玉が、たどたどしい音で体を震わせて


『…コッチダヨ』


と語りかけてくる。

少年は思わず、肩をピクリとさせた。


「しゃべれるんだ」

『そうよ。実は微精霊はね、好奇心旺盛な子が多いの。アタシと一緒にいるミズイロを、安全な人間だと思ってくれたのかもね』

「……それは、嬉しいね」


と返す。

光の玉達は、代わる代わるミズイロ達を先導してくれていた。

ぴかぴかとしているが、そこまで眩しくなくてランプの灯りのような優しい光。

ミズイロは歩きながら、ぽつりと


「非常用のライトにいいよね」

『…?!』


びくりと焦ったように点滅を繰り返す光の玉を見て、『やめなさい、可哀想でしょう』カラがあっさりとツッコミして止めていた。

案内をしていた微精霊は、ほっとしたように点滅をしていた。

ふと、少し遠くの方で光の玉が瞬いているのが見えた。


「眩しい。なにあれ」

『あっちで他の微精霊達が怯えているわね』


穏やかな口調だが、カラの顔付きは神妙なものに変わっていた。

何かを感じてそちらへ近寄ると、微精霊達は、わーっとミズイロ達を取り囲み口々に体を震わせて訴えてきた。


『…キケン!』『ニンゲンガ!』『エルム、アブナイ!』『タスケテ!』


慣れない言葉の縁に、気になるワード。

それに少し危なそうな気配をミズイロとカラは感じ取った。


「エルム、って…巫女様の事じゃ」

『行ってみましょう!』


微精霊達の訴えを受けて、彼らは光の玉の飛ぶ方へ足を進める。

程なくして、幻想的な場に場違いな物々しい鎧が遠くの方から目に映りこんで来た。

…少女の、止めてください!と叫ぶ声が聞こえてくる。


「……!」


そこにあったのは、数人の騎士が少女と青年を取り囲んでいるという光景。

青年は、彼らに傷付けられたのか腕を押さえていた。その後ろに立つ少女は、今にも泣きそうになって青年にしがみついていた。

騎士達は、巫女見つけて保護をするつもりなのだ。けれど…どうして青年を?

少年の時もそうだが、彼らは些か行動が粗っぽい。どうして相手の話を聞いてやらないのかな、とミズイロはげんなりと肩を落とす。

それで彼らは、察する。

……微精霊達が怯えているこの空気は、とてもまずい。


『……ミズイロ』

「うん」


相棒の声音に、頷く。

すう、と大きく息を吐いて、息を吸い込む。

まさか1日に二回もを使う事になるとはと思いつつ、少年は夜空を仰ぎ、高らかに声を震わせる。

ーーーさあ、詠え。


「『惑えーー何時いつかの幻を想う小夜曲

“しんきろうに、うつるまぼろしを”』」


音もなく、白い霧が騎士達を包み込んでいく。

どこか切ない声音を響かせて、ミズイロは彼らの元に近付いていく。

カラは素早く青年と少女の元に近付くと、『こっちよ!』と二人の腕を引っ張った。


歌を聞いた騎士達は、様子が変わった。

一人は目の前に金貨が現れたと喜び、一人は恐ろしい怪物が現れたと恐怖におののき、また一人は女の影を見てうっとりとさせている。

これは幻想、或いは彼らの中にある欲望を形にしたもの。

……歌魔法の一つ、幻惑の歌。

歌を聞いた人々を、発生させた霧の見せる幻想の世界へと惑わせる力を持つ歌である。


「『しばし、幻想の世界と戯れるがいいーー』」


少年は大人びた声で歌い上げる。

荘厳たる澄んだ歌声は、幻惑の虜となった騎士達の耳には届いていない……。


「……あなたたち、一体…?!」

『話は後でするわ!』


さあ、今のうちに森の奥へ!

彼らは先導する白い猫に急かされて、神秘の森の奥へと逃げ込むことにする。


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