3、導きの精霊と世界の愛し子



白猫のカラが、真剣な眼差しを僕に向けている。

『あなたは逃げてもいいのよ』と、酷く優しい声音でそう告げた。

それは、暗に『あなたがやらなくても、他の誰かが役目を引き受ける』と言っているのだと思う。

それを聞き、俯く僕に向かって

『だから、あなたがあえて引き受ける道理はないわね』と白い猫は言い切る。


「うん、わかってるよ」

『人でありたいのなら、やめた方がいいわよ』

「でもね…どんな形であれ、歌姫様に感謝しているんだ」


生まれたこの町を救ってくれたこと。

この国を豊かになるように、祈りの魔法を掛けてくれたこと。

宝物の歌姫の童話の本を置いて、歌姫を追いかけてしまったあの人を、探すことが出来ること。

それから、僕を生かしてくれたこと。

彼女には、本心で感謝をしていた。

ふと、白猫の方を見ると、彼は辛そうな表情でこちらを覗き込んでいた。それを見て、ついふふっと笑いが出てしまう。


「どうして、導く側のカラが悲しそうな顔をしてるの」


悲しまなくていいんだよ。だって僕が決めたんだから、「絶対に大丈夫だよ」と伝えた。

そうしたら白猫は、意を決したように僕の顔を見つめた。


『……わかりました。アタシと契約しましょう』


白い猫の前足が、僕のおでこにぴたりと当てられる。肉球の感触が、妙に心地よい。


『その代わり、あなたとアタシは一蓮托生。精々仲良く協力しましょうか、可愛らしい相棒さん』


瞼を閉じる。すると……ふわりと風が舞い、体の中に火が灯るように暖かく、大地に包まれている感覚がした。

それらが過ぎると、すうっと心地よい水の中のようにひんやりと冷めていく。

ゆっくりと瞼を開ける。

特に変わった感覚はなかったが、さらっと目の前に降りてきた前髪の色が、見慣れない色に染まっている。


「…っ、色が…!」


ぎょっとして視線を彷徨わせていると、水たまりに映る自分の色彩が、髪と目の色が空色へと染まっているのが見えた。

僕が彼女の加護を受けた証だと、カラは告げた。


『これよりあなたは、世界の愛し子。

旅を経て色んな事を学びなさい、あなたが立派な……』



〈世界の愛し子〉は、空色の色彩を持った者。

いつの間にか現れて、

その地に何かをもたらすと、

何処かへと旅立っていく。


旅人は、いつかの歌姫の足跡を探している。



******



ミズイロとカラの一人と一匹は、女神と王冠の島の中央島…その玄関口である空港へとやって来ていた。

『さてと、これからどうしましょうか?』とカラが少年に問いかける。

ミズイロは、女神の亡霊の目撃情報を集めようとしていた。彼が教会の図書室で話していた、亡霊の口ずさむ歌の事である。


『あのねぇ。そんなに都合よくは行かないでしょうに。それなら、いっそ巫女様を探した方がいいんじゃない?』

「…うん。だからこの人を探そうと思ってる」


ミズイロが握っている一枚の紙。そこには、丁寧に描かれた少女の肖像画が印刷されている。

……巫女エルム。

レミリア教の〈女神〉を継ぐ予定の少女、とここまで来る道中に町中の人々が話していたのを聞いた。心優しく笑顔の似合う赤い髪の少女で、巫女のお役目には真面目で責任感を持っている、そうだ。

しかし彼女は時折突飛な行動に出ることがあるようで、これまでも何度かこの様な事があったそうだ。

島の人々は「巫女様はいつも帰ってくるし、今回もきっと戻ってくるだろう」と意外と呑気に話していた。なんというか、妙な信頼感だとミズイロは思った。

しかし教会の兵士達は、必死になっている様子であるが……寧ろ、こちらの方が普通の反応な気がする。


『巫女は言わば、最も女神に近い存在ね』

「なら、女神の亡霊を見たことあるかもしれないし、ヒントを知っているかもよ」

『巫女エルムが何処へ向かったのか、アタシ達は分からないわよ』


そもそも、そう簡単に会えるかどうかもわからないのに…とカラがぼやく。


「街を歩いてた時に、ぶつかっちゃった赤髪のお姉さん…この絵に似てた気がするんだ」

『ああ、あの慈悲深いお嬢さんね。確かに空港へ走っていたけれど…時間も経ってるし、もう他の島へ渡ってしまったんじゃない?』


とカラは続けて呟いた。それに「手掛かりが残っているかもしれないじゃん…」と言って、ミズイロはぶすーっとむくれている。

空の玄関口であるこの場所は、観光客と兵士と…沢山の人で賑わっていた。

代替わりの儀式の時期にしか解放されない神秘の島、となれば来てみたくなる気持ちもわからなくもない。けれど、中々の人数だと思う。


「すごい人だね…流石、観光シーズン」

『滅多に入れないものねぇ。それにしてもざわざわしているわよね』


色んな姿の人がいるからかしらね、と言うカラの何気ない一言。それにミズイロは、ハッとしてフードを被り直し、こっそりと息をつく。

ミズイロの空色の髪は、このリチェルカーレでも珍しい色をしている。自然に現れる事のない色彩の髪の人間は…竜の恩恵を受けた人間か、精霊の眷属か人外か…と言われている。

人以外の存在に祝福を受けた証とも捉えられる。

珍しいので、周りの人間からは異質な扱いをされることもままある。

少年がフードを被っているのは、それを防ぐためだ。


「ちょっと静かな所で休憩しよ…」

『こら、情報収集は!?』

「今日だけで色々あったし、もう疲れた」

『…まったく、ちょっとだけよ』


しょうがないわねぇ、と白猫がため息を一つ。なんのかんのといいつつも、カラはこの少年に優しかった。

ミズイロは人の賑わう中心から離れて、ふうと息をついた。


「ねえ…遠くに島が見える」

『この国は群島。この中央島を中心に、丸く囲むように小さな島々が浮かんでいるのよ』

「ふーん…不思議」

『あの位置は、何の島かしらね』

『花の島だよ。名産は花と果物、それと神秘の森が観光名所になっているのよ』


二人とは違う、明らかに高音の女性の声が響く。彼らがキョロキョロと辺りを見回すと、少し先に金色の長い髪の少女が一人、こちらを向いていた。


『こんにちは、可愛らしい〈世界の愛し子〉さん』

「……だ、誰…?」


その少女はシンプルなワンピース一枚に、シンプルなパンプスを身につけている。とても浮世離れした雰囲気をまとっていた。

少女は穏やかに微笑んでミズイロ達を見つめている。


『わたしは、この島を司る精霊…のようなものかな』


そんな少女の姿を一目で認めたカラは、ミズイロの頭から降りると、猫の姿で深々と挨拶をする。


『あらま。アタシとしたことが、この島の精霊に挨拶を欠いていたわね。ご丁寧にどうも』

『いえ。こんにちは、秋の精霊様。貴方の到来に感謝します』

「えっと…こんにちは、島の精霊様」


ミズイロも慌てて、ぺこりと頭を下げる。

少女は少し、困ったように笑みを浮かべていた。


『そう言われるの、好きじゃないんだ。リアって呼んで欲しいな』

「リア?」

『はい、よくできました』


にっこりと笑っていた精霊…ことリアは、それからはっとしたように表情を引き締めた。


『…ごめんね。話せる人が来てくれて、つい嬉しくてはしゃいでしまったわ』

「大丈夫だけど。…貴女に聞きたいことがあるの。女神の亡霊について、知ってる?」

『うん、知ってるよ』


当然、と言いたそうにリアは問いかけに答える。


『でもね、今の時期は出ないかな。〈代替わりの儀式〉前だから』

「そ、そうなんですか」


せっかくの手掛かりなのに、残念だ。

とミズイロがわかりやすくしゅんとする。その様子に、リアは優しく訊ねてきた。


『……あなたの探し物は〈歌声〉だよね』

「わかるの!?」

『だって、〈世界の愛し子〉はそういうものだから。あなた、さっき歌の魔法を使ったわ』


…実は、こっそり見ていたの。

そう呟く少女の姿が、更に薄く揺らいでいた。

リアは苦笑を浮かべてから、力なく呟いた。


『うーん、〈代替わりの儀式〉が近いと力が…』

『マナが随分と少ないじゃない。少し待ってなさい』


カラは息をつくと、ミズイロの側からリアの元へ飛んで行くと、少女の顔を寄って、頬にすりすりする。


『ちょっとだけマナのおすそ分けよ。貴女、さっきから顔色が悪いんだもの』

『…ありがとう、感謝します』


そんなもの、いいのよ。とカラはそっぽを向いてミズイロの元に戻ってきた。

島の精霊たる少女は、コホンと咳払いをして改めてミズイロに向き直る。


『アナタに、女神さまからの伝言を預かってるの』

「伝言、ですか?」

『“神秘の森の天使の花弁”、“白夜の湖の鏡面の底”、“歌姫の丘の鈴鳴る道の先”』

「……?」

『歌姫の残した力が強く残っている所なのね』


観光名所にもなっているから、多分分かるよ。

ところころと微笑む少女に、ミズイロは怪訝そうな顔付きを作って呟いた。


「いいの?そんなあっさり」

『勿論。〈世界の愛し子〉が現れたら伝えるのが、わたしの役割だから。あとね、これは個人的なお願いだけど…』

「なあに、リア?」

『旅の途中でエルムに会ったら、あなたの力で助けてあげて欲しいのね』


なんだか心配で。そう呟くリアは、どこか儚げな笑みを浮かべていた。

じゃあね、分からなかったら聞いて。

そう言って、リアはすうっと姿を消した。


「……島の精霊、もっと神々しいものかと思ってた」


色々な島を巡っているため、島を支える精霊を間近に見る事は少なくないが、他の島の精霊達よりも変わっている印象を受けた。

なんというか、精霊にしては人間の様な親近感があった。

とても浮世離れしているが、どっちかと言えば気さくで近所のお姉さん味のある性格の人だったな、とミズイロは考える。


『……。まあ、ヒントを貰えてよかったじゃない』


さてと、休憩はおしまいかな。

そう思っていると、少年の後ろから不意に声が掛けられた。


「君、先程エイト先生と一緒にいた弟子の子かな?」

「……え、ええと…」


確かこの人は、教会の中でエイト先生に応対してくれた壮年のおじさんだ。

見た目はかっちりとした法衣を身につけており、地位はそれなりに高そう。

いきなり声を掛けてきたと思ったら、「そういえばエイト先生は?」と聞かれて焦った。

慌てたミズイロは咄嗟に


「ちょっと、お手洗いに…」


と言って誤魔化した。まさか今は白猫になってますとは言えない。側に浮かんでいたカラは、いつの間にか姿を消していた。他の人に見えないようにしたのだろうと思う。

ミズイロは、密かに頭の中でおじさんへの警戒心を上げた。


「ああ。すみませんね、坊や。休憩中に声を掛けてしまって」

「…いえ」


どうやってやり過ごそうかな、と思っていると。

壮年のおじさんの所に向かって、物々しい武装の鎧に身を包んだ集団がやって来ていた。


「大司教様!どうされましたか?」

「いやいや。エルム様の捜索に協力しようと思ってな」


兵士達は、そうでしたか!と畏まっておじさんに敬礼をすると、綺麗なUターンをして下がっていく。

ミズイロは、ぎょっとした。


「…お、おじさん、大司教様なんですか?!」

「そんな凄いもんじゃないですよ。もっと偉い人もいますし」


おじさんこと大司教は、人の良さそうな笑みを浮かべてにこやかにしている。

人は見た目では推し量れないんだ、と思ってはいたミズイロだったが、なんだかおじさんに警戒をしてしまって、少し申し訳なかったような気がする。


「…ミズイロくん。おまたせしました」

「あ…、エイト先生!」


そこへ、人に姿を変えたカラがこちらへ歩いてきた。彼は、初めて気付いた風を装って大司教の方に向いた。


「先程はどうも、ありがとうございました」

「いえいえ。ところでお二人は、これからどちらへ向かわれるのですか?」


大司教に問われた二人は、ちらりと目を合わせる。コクリ、とミズイロが頷くと、カラはパチリとウインクを寄越した。暗に任せて、ということである。


「そうですね。花の島へ観光に、代替わりの儀式迄にはこちらへ戻って来る予定ですよ」

「それはそれは。あちらの島は神秘の森が観光名所になっています。少々変わった花の群生地があるとか聞きますね」

「変わった花、ですか」


見て回るのに、とても楽しい所ですよ。

と大司教はにこやかに微笑む。


「群島への往来は、専用の飛行機が出ていますよ。せっかくですから案内しましょう」


大司教はその後、二人に飛行機の発着場へと案内をしてくれた。それから手早く搭乗手続きをしてくれた上に、ご丁寧に見送りまでしてくれたのだ。


「…見た目通りに優しいおじさんだった…」


逆に警戒をしてしまって、何だか悪かったかなあとミズイロは罪悪感で凹んでいると、エイト先生姿のカラは「いいえ、上出来」と呟いた


「旅をする以上、他人を警戒をするのに越したことはないの、信用しすぎるよりはよっぽど賢い思考だよ」

「ん、そうだね」


段々と近づく島の方から、ふわりと鮮やかな花弁が風に乗って舞っているのが目に映る。

春告げる風の精霊が喜びそうな島、とカラは微笑んでいた。


二人が向かう行き先は、花の島フラワーフィールド。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る