2、歌声を探す旅人
少年の故郷はずっと昔から貧しい村だった。
だから、両親が亡くなっても気にかけてくれることはなかった。
皆、自分の生活でいっぱいいっぱいだからだと、お兄ちゃんは言っていた。
あの時現れた歌姫が、村の皆を救ってくれた。
農作物が久しぶりの豊作に恵まれ、国からも援助をしてもらえるようになり、ギルドの支部も作られた。
冒険者や開拓者等、国の復興の為に人々がやってくるようになった。
結局歌姫が何をしたのか、少年にはよくわからなかったが、徐々によい方向へ向かっていった。
けれど、少年達の生活が良くなった一方で……兄が忽然と居なくなってしまった。
どうしていないの?
僕を連れていってくれないの?
寂しくて、悲しくて…路地裏の隅で小さくうずくまって泣いていた。
忙しそうに動く人々は、そんな少年を見ても足を止める者はいない。
「うっ…ぐすっ…いないよぅ…」
そんな時だった。
『あら、どうしたの?』
泣きじゃくる子供の前に、光の塊が浮かんでいた。声に気付いて顔をあげると、眩しい光に思わず目を細めた。
『泣くんじゃないわよ、かわいいお顔が台無しよ』
光が弾けて消えていくと、そこにはまんまるな緑の瞳をした、真っ白い毛の猫がいた。
ふわふわで、綺麗で、自分とは違う生き物だと直感的に感じた。
『アタシはカラ。泣き虫さん、あんたの名前は?』
………………。
品のいい調度品の並ぶ応接室のソファに座るとき、ミズイロはいつもふかふかすぎて落ち着かないなあ、と思ってしまう。
身なりの良さそうな壮年の男性が、にこやかに話しかけてくる。と言っても対応しているのは少年の隣に座っている40代前後の男性である。
隣の男性は、金にも銀にも見える髪に、切れ長の緑色の目をしている。
「まさか先生がいらっしゃるとは!先生の書かれた本は昔から読んでますよ」
「ありがとうございます。私の拙い理論を、あなたのような若い人に読んでいただけるとは光栄です」
「そんなご謙遜を」
『チェラム・エイト』と言う名前は、考古学の界隈では名の知れた名である。
特に「古代魔術」「精霊術」「竜と人との関わり」等々、幾つかの論文を纏めた本を出している。
……と、いうか。
そんな凄い人が、普段は猫の姿でオネエっぽい口調でいると知ったら、この壮年のおじさんは卒倒するよね…とミズイロは少しひやひやしていた。
「そちらの子は、先生のお弟子さんですかな?」
「はい。人を教えるのはなかなか難しいですね」
ミズイロはぺこり、と壮年の男性に会釈をする。すると相手もにこりと微笑んでいた。
「長年弟子を取らなかったエイト先生が…」
「この子は私の気づかない視点で話してくれるので、聞いていて楽しいですよ」
「そういうものですか」
「私が多少長生きなので、考え方が堅いのかも知れませんが」
「はあ、エルフの血を引いてる方々は見た目では分かりませんなあ…」
先生と呼ばれていた男が、淡く笑う。
その横で、ミズイロはお付きの方に出されたお茶を啜る。何となくお高いお茶の味がした。
しかし、いけしゃあしゃあとよく喋るね先生は、と心のなかで悪態をついた。
それから二人は話を続け、やがてにこやかに握手を交わした。
「急な話でしたのに、感謝します」
「いやいや、先生のお役に立てれば」
そして、相手の男性はミズイロに対して「君も先生の元で勉強に励んで頑張って下さいね」と声を掛けてきたので、ミズイロは驚きつつも「ありがとうございます」と答えた。
その返事に満足したのか、では案内しますとやって来たお付きの人と交代して去っていった。
それから二人は、お付きの人に連れられて図書館の中へと案内された。
「こちらは、教会が保管する蔵書が収められています。本来でしたら信者の方々にのみ解放しているのですが」
「いいんですか?」
他でもない、先生の頼みなら。とお付きの人が微笑んだ。エイト先生の名前は絶大だ。
「我が島と教会の歴史が先生の研究の役に立つのならと領主様のご命令ですので」
「ありがとうございます」
「いえ、…ところで、エイト先生はどのような研究をされているのですか?」
「ああ、今は…各地の精霊と竜の伝承について調べていますよ」
そうですか、良い手掛かりが見つかるといいですね。と言葉を続けると、お付きの人は一礼をした。
「それでは失礼します」
と、二人を残して出ていった。
パタン、とドアが閉められる。
室内には二人以外は誰もおらず、しーんと静かである。
先生と呼ばれていた男性は、息を吐き出して片方の肩を押さえながら軽く肩を動かした。
「あー、疲れたわあ」
「先生、これからが本番です」
「わかっていますよ、さて残っているといいのだけど」
「…先生。言葉遣い」
「師匠に厳しいこと」
いいじゃないの。誰もいないし聞いてやしないわよ!とエイト先生もといカラが呟く。それから彼は、息をついた。
「ともかく、入れてもらえて良かったわね」
「ほんとにね。カラの提案にヒヤヒヤしたけど」
「この姿ね、アタシも久しぶり過ぎてちゃんと振る舞えてるか緊張したわ」
先生姿のカラが、おどけたようにウインクを一つ。
見た目ナイスミドルのおじ様が、こういう言葉遣いをする様を目の当たりにすると、一瞬びっくりすると思う。
ミズイロも初めて見たときに驚いてしまったことを思い出した。この人が猫の姿をしてると思うと、ギャップが激しい。
…普段は猫の姿を取っているカラだが、その正体は浮遊大陸の豊穣と実りの季節『秋』を司る精霊だ。
その為、人よりも長い時間を生きている。
昔は人の姿をして人に紛れて生活していた時があり、旧時代の文明を調べていたそうだ。
その時に使っていた名前が『チェラム・エイト』なんだとか。
「普段ネコの姿だから信じてなかったけど、ほんとに男だったんだ」
「なんでよ!」
だって、口調が……とミズイロが口ごもると、カラは少し考えてから、ぽんと手両手を叩いた。
「なんていうのかしら、母性の現れってやつよ」
「へー、ほー?」
いまいち信じて無さそうな少年に、それより、と言葉を紡ぐ
「さて。探しながらお復習しましょうか、ミズイロくん」
「はーい」
カラは先生モードになると、オネエ口調が鳴りを潜め、丁寧口調に変わるのだ。
ここにやって来た目的は、考古学の勉強と言うわけではない。
ミズイロが探している歌姫の〈歌声〉の痕跡を見つけることだった。
「いいかい。英雄である歌姫は、奇跡を起こした場所で必ず〈歌声〉を残している」
「うたごえ?」
毎回聞いているが、随分と抽象的なことを言ってるなとミズイロは感じた。
「正しくは
「えこー」
先生姿のカラは、畏まった声音で続けた。
歌姫の起こす奇跡は強大だ。たまにその魔力が鉱物になったり、精霊に近い精神体になっていることがある。
それは良くも悪くも、その土地に影響を与えているのだそうだ。それを歌声の残滓、残響と呼んでいる。
ミズイロは素直に「すごいね」と口に出た。
残響が残る程に強い魔力を持った歌姫の歌。
それは強い力の為、人々を引き寄せていく。そして、力に魅了された者は……
「そう。歌姫様の力は強い。けれど彼女は、突如英雄を止めてしまった」
「なんで?」
それはわからない、と先生姿のカラが首を横に振った。
「力を失ってしまったのか、彼女はリチェルカーレから別の世界へと旅立ったまま、その消息を絶っている。
私達には観測のしようがないのが、現状だね」
彼女が旅立ってしまった事は、彼らにはどうにもならない。
だがこのまま、〈歌姫〉を失くしたままにしておけば、リチェルカーレのバランスが崩れる可能性がある。
「世界のバランスが崩れる前に、彼女の〈歌声〉を探し、彼女に代わるものを見つけるのが、僕達なんだよね」
「大分ざっくりしてるがね」
「じゃあ、ここと歌姫に何の関係が……?」
「ここは、独特の女神信仰の島なのは勉強しましたね」
女神と王冠の島に来る迄の道中、何度も勉強させられた。
ここは「レミリア教」という宗教の総本山であり、聖地。いわゆるメッカだ。
女神レミリアと彼女の子孫と呼ばれる神職の一族が全てを取り仕切っている。
この宗教の風変わりな点は、祖の女神とは別に、代々信仰の対象として〈女神〉がいることだ。レミリア様の力をもたらす生き神のような扱いらしい。
何十年かに一度、神職の一族の中から年若い少女が〈女神〉を継いでいる。
「〈女神〉になった少女は、以降人前で姿を現さないそうですが、時折実体のない姿で島内で現れる、と噂になっている」
「………え?」
「まるで、亡霊のような姿で何かを口ずさんでいるとか」
「……それは、歌…?」
不意に。静かな部屋にドアの開く音がした。
先ほどのお付きの人が入ってきたのだ。
「すみませんが、緊急事態です」
「何があったんですか」
「ええ、女神を継ぐ巫女様が行方不明になってしまいまして…僧兵も殆んど出払ってしまうので、…申し訳ないのですが…」
「それは只事ではありませんね」
三人は移動しながら話すことになった。
お付きの人は、しきりに申し訳なさそうにしていた。
「只の散歩ならよいのですが、話によると国にある別の島へ渡る船に乗っていたと、目撃した者がいるそうで…」
「…大変ですね」
「反対派の者の仕業ではなければよいのですが…」
そうこう話しながら、三人は建物の外へと出た。まだ日は明るかった。
「…すみませんでした。続きはこの件が落ち着いた頃に協力させていただきますので…」
「いえ、こちらこそ忙しいときにお邪魔してしまったので」
では、どうかご無事でと
お付きの人は、穏やかに微笑んでから、館内に戻っていく。
ミズイロと先生姿のカラは近くの路地に入った。その暗がりの中で男性の姿が消えると、ミズイロのフードの中から白い毛玉が顔を出した。
『…タイミングが悪かったわねえ』
「ほんとだよ」
そうぼやいていると、少年達の視線の少し前から剣や斧などを手にした甲冑騎士達がこちらへ向かって来ていた。
今度はなんなんだと思っていると、彼らは口々にこう言った。
「さっき、教会から出てきたな!」
「お前、巫女様の居場所を知っているんだろう!」
「知らないよ。てかガラが悪いなぁ」
そんなうっすい根拠でバカなの?と続けた。
この荒々しさ、ミズイロからすれば路地裏生活での懐かしさもあり、特に怯えずに普通に対応していたが、向こうは少し苛ついたようだった。
少年は一見すると華奢なので、怖じ気付くと思っていたのかも知れない。
「生意気なガキだな!なら痛め付けて吐き出させてやるよ!」
「……なにその理屈。よくないよ」
『来るわよ!』
ひゅんっ!と風を切って鉄の塊が向かってくる。
ミズイロは「ひゃっ」と声をあげながら慌てて避ける。続いて剣による斬撃が少年の首に狙いを定めていた。
それをしゃがんでかわして足蹴りを食らわせると、相手達は体勢を崩して転んだ。
「このガキ…!」
「…攻撃の手を緩めない。続いて…」
相手の顔が怒りの形相に変わると、ミズイロは息を吸い込んだ。
「『静まれーー宵闇に瞬く星の子守唄
“しばしのゆめを、まぶたのうらに”』」
ミズイロは高らかに詠う。
歌詞を詠唱の代わりにして発動する魔法、歌声の魔法。
現代では廃れたそれは、チェラム・エイトが研究の末に見つけた古代魔法の1つだった。
相手の動きが明らかに鈍くなり、動きが止まっていく。
「『束の間の微睡みを抱いて眠れーー』」
歌い終えると、ミズイロの歌声魔法を聞いた騎士達は、その場で力無く崩れ落ちていた。どうやら眠っているようだ。
「……はあ、はあ…よかった。眠り魔法が効いたみたい」
『…勘違い鬱陶しいわね。さっさと逃げるわよ』
「う、うん」
もう少し賢くなってから喧嘩を売りに来なさい、とカラは優雅な所作で吐き捨てた。
面倒なことになったなと思いつつ、ミズイロは走る。
少年の手にあるのは、警備兵のお兄さんに貰った一枚の紙。
次の行き先は、中央島の港だ。
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