空色の旅人に祝福を

相生 碧

1、女神と王冠の島


遠い昔、その旋律は世界を救った。

遥か昔、その歌声は戦争を止めた。

少し昔、その音色は彼を奪っていった。


鮮やかに、軽やかに、何の前触れもなく。


………

………………。



「お兄ちゃん。声が聞こえるよ」

「〈歌姫〉だ!…こっちから!」

「う、うん!」


細長い彼が駆け出して行くのを、僕も慌てて追いかけた。〈歌姫〉ってお兄ちゃんが話していたお伽噺の彼女だろうか?

そんなバカなと思いつつも、自分よりも大きな背を置いていかれないようについていくと、広場には人だかりが出来ていた。

ここに集まっているのは、一様にくたびれた服を着た者達…貧困層の住人だった。彼らはざわめいていた。

その中心をまあるく囲むような形になっていた。

そこに彼女……綺麗な女の人が大きな声で歌っていた。僕も彼もすぐに目を奪われた。


ーー“さあうたえ

わたしの あいする おとよ

わたしの あいする ものよ


そらに おどれ

せかいの いとしごよ


どうか あなたの しゅくふくを”ーー


それはとても心地よく、綺麗だった。

僕の初めて聞いた『歌』だ。

大人達は口々に、笑い声を上げて喜んでいた。難しいことは分からなかったが、いいことがあったのだろう。

彼の方を見るが、表情はよく見えなかった。


「…〈空色の旅人〉」

「そら?」


ぼんやりと呟いたその人に思わず空を見上げると、ちょうど雲の隙間から青空が見えていた。


ーーこの世界、リチェルカーレに伝わる伝承に、このようなものがある。

“人々が救いを求めるとき、世界の果てから英雄が現れる。

伝説として語り継がれる英雄の化身。

それは屈強な戦士とも、麗しい聖女とも言われる。

彼または彼女は、歌と共に現れて暗雲を晴らし、人々を救っていく。


またの名を〈空色の旅人〉”


******



がらーん、がらーん、がらーん。

重たい鐘の音が響く。

この島、中央島のシンボル『女神教』の教会の鐘の音色だ。

教会前の広場は、商売をするものや女神教の信者や他国の観光客で賑わっていた。


それもそのはずで、この『女神と王冠の島』の中央島は、普段は島の住民以外の行き来を制限されている地区である。それを解除しているのは、教会で大規模な儀式が行われるせいだ。

この島独特の信仰の対象『女神』は何十年かに一度、代替わりをする。

代々の女神はこの島の神職に連なる一族から選ばれており、彼女達は例外なく十代半ばの少女であり、この儀式に選ばれた少女は『女神』として人々の信仰の対象として崇められる。


「ふうん、女神様か」


薄い水色の髪を肩の上で切り揃えた十代前半と思われる子供が、パンフレットを見つめながら呟いた。

暗い色のフード付きのジャケット、動きやすそうなパンツにブーツという服装の少年だ。まだ可愛らしさの残る年齢だろうか、中性的な顔立ちだ。


「女神様になったらなんでも好き放題出来るかな」

『出来るわけないじゃない』

「なんでさ、女神様だよ?」


そんな水色の頭の上に、猫の前足が着地する。軽やかにして優雅な佇まいの、真白い猫だった。


『あのねえ、ミズイロ』


心底呆れたような声音を発した白い猫がその少年の名前を呼んだ。『ミズイロ』と呼ばれた少年は、よくわかってなさそうに白猫の名…「カラ」とつぶやく。

彼はカラ、ミズイロのお目付け役を自称する、少し不思議な白猫である。


『王さまってわけじゃないの。好き放題出来るわけないでしょうが』


低めの声だが優しい口調で諭した白猫に、ミズイロ少年は、少しがっかりしたように「違うんだ…」と呟いた。

それに『そうよ』と頷いたカラは、ミズイロにパンフレットを見てみなさいなと促した。


『彼女達は生涯を神殿で過ごすそうだもの、名誉はあっても自由はなさそうね』

「ふへぇ…」


ミズイロとカラ。彼らはとある目的で、旅をしていた。

この世界、リチェルカーレの大地と海は瘴気により汚染され、人々は人工的に作った浮遊大陸と深海のコロニーに生活を移して暮らしている。異種族である竜によりもたらされた魔法の力と、その元素〈マナ〉を司る精霊達の力を借り、人々はかつて栄えた科学技術を「旧文明の遺産」と恐れながら。

そんな世界で、浮遊大陸を渡り歩く生活をしている彼らは〈代替りの儀式〉の噂を聞いて、この島にやって来たのだ。


『というか、まずは教養とマナーを身に付けないとね。こういった場所は難しいわねぇ』

「うるさいな、どうせ僕にはないよ!」


柔和そうに、どこか母親の様な言い方をするカラ。子供っぽく頬を膨らましたミズイロは、ぶすくれながら石畳の道を大股で歩き出した。

全く、この子は…と言いたげなカラだったが…前方を見ると毛を逆立てた。猫目をまんまるくさせながら相棒に吠えた。


『こらっ、ミズイロ!前!』

「え?!…うわっ!」


どしん、と重い音がした。

ミズイロとその反対側から走ってきた少女がぶつかった。お互いに転び、尻餅をついている。


「い、いたた…」

『ああもう!…お嬢さん、大丈夫?』


カラはミズイロのフードから飛び出して石畳に着地をすると、少女の方へ駆け寄った。

鮮やかな赤い髪の少女は、顔を上げると「はい、大丈夫です」と答えて笑ってみせた。

それからすっと立ち上がり、ミズイロの方へ駆け寄っていった。

少女は尻餅をついている少年に目線を合わせるようにしゃがむと、穏やかに微笑んでみせた。


「ごめんなさい。ぼく、怪我してない?」

「はい。……お姉さん、ぶつかってごめんなさい」


ミズイロは少女に頭を下げて謝った。

すると、聖母の様な慈悲を思わせる笑顔のまま、少年に返した。


「気にしないで、わたしは大丈夫だから。ね?」

『…慈悲深いお嬢さんだわ』


と、ミズイロは目を丸くさせた。にこやかにしている少女の膝から、血が出ているのを見てしまったからだ。


「お、お姉さん、膝!」

「……え?」


慌てている少年の様子に対して、当の少女はきょとんとしている。痛くないのだろうか?

すると、少女の後ろの方から青年が走ってやってきた。

焦げ茶色の髪の、大人しそうな青年だった。


「こら!先にいくなよ……どうした?」

「あ、あはは。この子にぶつかっちゃって」

「え。…君、怪我してない?」


少女も青年も、ミズイロを心配している様子だった。見ず知らずの人に心配をする人が珍しくて、少年はびっくりしていたが…それよりも少女の膝の怪我の方が気になったので、おずおずと訴えた。


「う、うん。それよりお姉さんの膝、擦りむいてるよ…!」

「平気だよ。いつもの事だから」

「おい、平気じゃないだろうが。……彼の者に癒しを!」


少年が少女の膝に手をかざして『ヒール』と呟くと、暖かな淡い色の光が少女の膝に集まってきて、みるみるうちに少女を包んだ。

光が止んでから少年がかざしていた手を下げると、傷口が塞がって綺麗に治っていた。


『…癒しの魔法ね。珍しいわ』

「あれが、治癒魔法…」


少年は目を丸くしていた。

話に聞いていた癒しの魔法。それは魔法を扱う中でも稀有なものだからだ。


「おい、そろそろ急がないと…船が」

「そうだね。ごめんなさい、またどこかで!」

「あ、…さよなら」


少女と青年の二人は足早に去っていった。

彼らは急いでいたようだった。


『空港の方ね、どこかにいくのかしら』

「悪いことをしたかな」

『ミズイロがぶつからなければねぇ』

「……むっ」

『あら、美味しそうなパンが売ってるわよ~』

「あっ!……待ってよ!」


白い猫が素早い動きで路地を駆けていった。それをミズイロが追いかけていく。

屋台のある通りに出たミズイロは、白い猫が尻尾をゆらゆらさせて座っているのを見つけた。

そこは、屋台の前だった。屋台に立つお姉さんが、「いらっしゃいませ」ときらっきらのスマイルをミズイロに向けてくる。

カラはまんまるの瞳で、焼きたてのパンを見つめてる。


「うっ…」


ぐぅー、とお腹の音が鳴る。

ここに来るまでの数日は、飛行バイクでの移動だった。休憩する時も飛行テントを立てて休むので、ご飯も携帯食料と缶詰めのみ。

なので、あったかい食べ物を見てついお腹が反応してしまった。


「お昼やランチには中央島名物のパンはいかがですか?焼きたてですよー!」

『ほかほかでフワフワしてそうねぇ』


確かに、ふわふわしていて美味しそう。

店員のお姉さんは、きらきらスマイルをミズイロへと向けていた。


「この島は初めてですか?オススメはこちら、ふかふかの丸パンと、そのパンを使ったサンドイッチです!」


こちらは只今焼きたてですよ!

そこまで言われると、お腹の空腹具合的に限界だった。


「すみません、その焼きたてのやつ下さい!それから…」

「かしこまりました!……すぐに召し上がるのでしたら、こちらサービスしますね!」


店員さんはにこやかに微笑んでから、手際よく焼きたてのパンを紙袋に入れていく。

それから、一人座れるような場所を探して腰を下ろした。

パンの入った紙袋からほかほかの丸パンと、サンドイッチの包みを取り出した。


「んー、美味しそう!」

『あらま、綺麗ねえ』


サンドイッチは儀式の期間だけサービスしているらしく、飲み物まで付いてきた。

ベーコンにレタス、トマトが挟まれた定番のものだった。ミズイロは嬉しそうにサンドイッチにかぶりついた。

ふわふわのパン、ジューシーなベーコン、シャキシャキのレタス、みずみずしいトマトの食感が楽しい。

久しぶりのまともなご飯にミズイロは感激していた。


『どう?』

「この島に来て良かった、ごはんおいしい」

『単純ねぇ、あんた』


ミズイロはカラの言葉を聞いていないようだ。夢中で食べている。

それは無理もない、とカラは嘆息する。少年は元々戦災孤児だった。味はあれでも食べ物が食べられるだけマシ、と言い切れるくらいには困窮した生活をしていたのだから。

買ってきたそれらをあっさり平らげると、落ち着いたように飲み物を飲む。


「…ところで、儀式はいつやるんだろうね」

『さあね、でも何日か先みたいよ』


ぼんやりと、「ふうん、そうか」と呟くミズイロに、カラは怪訝そうな顔を作ってぼやく。


『目的、忘れんじゃないわよ』

「わかってるよ」


彼らは探していた。

奇跡を与える〈歌姫〉の歌声を。

その歌がもたらした奇跡と、その残滓を。


そんな二人の元へ、何やら物々しい人々が歩いてやってくる。

全身を鎧で固めており、手にはゴツいメイスを手にしている。


「そこの君、ちょっといいかね」

「……何ですか」


警戒をするミズイロのフードの中から顔を出したカラは『教会の警備兵ね』と一言。

こちらも少し警戒をするように緑色の瞳で警備兵を見つめている。


「赤い髪の少女を見なかったか?」

「……赤い髪…ですか?」


カラは、警備兵には聞こえないくらいの小さな声で『あの時ぶつかった少女は赤い髪だったわねぇ』と呟く。

ぽかんとした様子の少年に、警備兵は緊張させてしまったとこちらに謝ってきた。


「ああ、驚かせてすまないね。巫女様を捜していてね。エルム様と言うんだが」

「そ、そうですか」

「もし見かけたら、知らせてくれ」


怒られる訳じゃなかったんだ、と少しほっとしていると、警備兵のお兄さんがミズイロ達の方を見た。


「座るならベンチに座るといい。道端に座ると汚れてしまうよ」

「あ、はい…」


警備兵のお兄さんは、思ったよりもいい人みたいだった。

別れ際に警備兵の人からもらった紙に書かれた絵の女の子は、ぶつかった少女に似ている…気がした。




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