第4話 夜の過ごし方

 鍋の中を軽くかき混ぜると食欲をそそる香りが鼻腔をくすぐる。

 明と並んでキッチンに立ち、陽香は夕飯作りに勤しんでいた。今夜のメニューはカレーだ。陽香が鍋の様子を見ている間に、明はコールスローサラダを作っている。

 カレールウは甘口。肉は豚バラ肉で、じゃがいもは少し大きめに切る。にんじんはすり下ろして、玉ねぎはみじん切りに。それが藤本家の――陽香が一緒に暮らし始めてからのカレーの作り方だった。

 辛いものと野菜が苦手な陽香のために泉が作ってくれてから、家で食べるカレーは好きな献立のひとつになった。兄たちの分は食べるときにスパイスや調味料で各々好みの辛さに調整してもらうことになっている。

 明と昴はそのまま食べたり、一味唐辛子や胡椒で少しだけ辛味を足していることが多い。泉は辛いものが好きなので、ガラムマサラやホットソースをよくかけている。

 

「サラダできたよー。そっちどう?」

「うん。もうそろそろ良さそう」

「泉兄たち遅くなりそうだし、先に食べちゃおっか。テーブル拭いてくるね」

 

 台拭きを持った明がダイニングテーブルへ向かう。陽香は鍋の様子をもう一度確認してから火を止めた。カレー皿にご飯を盛り付け、レードルで掬ったカレーをたっぷりとかける。

 家の食器棚にはシンプルながらもおしゃれな食器が多い。すでに亡くなっている、泉たち兄弟の母の趣味で集めたものらしい。電子レンジや食洗機対応のものも多いので、使いやすくて助かっている。

 残念ながら陽香は会ったことがないが、大好きな兄たちを産み育てた人なのだから、きっと優しくて素敵な人だったのだろうなと想像している。

 

 カレーとサラダ、麦茶をダイニングテーブルへ運ぶ。野菜が苦手な陽香だけれど、キャベツは数少ない食べられる野菜のひとつなのでコールスローサラダは好きだった。

 いただきますと手を合わせてから、適当なテレビを流しつつ二人きりの食卓でカレーを食べる。少しだけ寂しい気もするが、大勢でご飯を食べても美味しく感じられないときもあることを陽香は知っている。

 それと比べると、明と二人だけの食卓はゆっくり食べていても急かされることもなく、落ち着いて食べられる。

 

「泉兄、最近帰り遅いよね」

「うん……お仕事忙しいのかな」

「だろうねー。初めての部署で慣れないことだらけだろうし」

「大変そうだよね。泉お兄ちゃん、ちゃんと休めてるかなぁ……」

 

 泉は県庁勤めなのだが、今年度は初めての部署異動があったようで毎日何かと忙しいみたいだ。残業になることも多い。

 今日も急遽残業になり帰りが遅くなりそうだと泉からメッセージが入っていたので、陽香たちが夕飯作りを引き受けた。二人とも朝に弱く、朝食と弁当作りは泉に任せきりなのでせめてできる部分では兄の負担を減らしたいと思っている。

 昴は遅番でアルバイトのシフトが入っているので同じく帰りが遅くなりそうだ。

 そういえばと、ふと、何かを思い出したかのように明が口を開いた。

 

「泉兄、再来週出張って言ってたよね?」

「うん。二泊三日で福島だっけ……」

「ご飯俺たちで用意しようね。作り置きとかしなくてもいいよって言おう」

 

 明の提案に、陽香は力強く頷いた。

 

「うん! 頑張って早起きして、朝ご飯も作るね!」

「それは俺が頑張るからさ、はるちゃんは寝坊しないように頑張って」

「ん……頑張れなかったら起こしてね?」

「仕方ないなぁ」

 

 つい甘えるように言ってしまった陽香のお願いを、明は苦笑しつつも了承してくれた。

 夕飯のあとは自分たちが使った食器の洗いものを済ませる。入浴は帰宅してすぐに済ませたので、あとは寝るまで自由な時間だ。でもまずは宿題を終わらせないといけない。

 ちなみに帰宅途中で汚してしまったスカートや下着などは洗濯をして陽香の部屋に干してある。制服が洗える素材でよかった。明日までに乾くかは不安だが、もう一枚予備のスカートがあるので最悪なんとかなる。

 私立の高校ということもあり制服はそれなりに値が張るのだが、冬用も夏用も念のためにスカートを二枚買っておこうと言ってくれたのは泉だった。こういう事態を想定していたのかもしれない。

 幼い頃からずっと、陽香が困っていることや困りそうなことはいつも長兄にはお見通しのようだ。


「あきちゃん、宿題一緒にやろ?」

 

 明に声をかけると、彼はすぐに頷いてくれた。

 一人の部屋で勉強をしてもなかなか集中できないので、宿題やテスト勉強はリビングやお互いの部屋で明と一緒にやることが多い。

 

「いいよ。そっちのクラスなに出た?」

「えーとね、英語のプリントと数学の練習問題」

「一緒だ。英語、明日小テストあるんだよねーやだなぁ」

「えっ、それ聞いてない! あきちゃんのクラスだけ?」

「二組もやるでしょ? はるちゃん、ぼーっとしてて聞いてなかったんじゃない?」

「えぇー」

 

 唇を尖らせながらも、否定することはできない陽香だった。

 今日の英語は五時間目にあったので、昼食後で眠くてぼんやりしていた気がする。でも、明に教えてもらえてよかった。明日いきなり小テストをやると言われたら、軽くパニックになっていたかもしれない。

 リビングテーブルに宿題を広げ、ソファには座らずラグの上に直接腰を下ろす。明と向かい合わせになって各々の宿題を進めていく。やっぱり一人でやるよりもずっと捗る。

 そうして、二人だけで過ごす夜は更けていくのだった。

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