四色カツレツ

沢田和早

四色カツレツ

「明日の昼飯は任せろ。俺がひとりで作る。おまえは俺の手料理を存分に堪能してくれ」


 大学の食堂で日替わりランチを食べ終わり、食後の満腹感に浸っていた僕の耳にこんな言葉が飛び込んできた。


「どうしたんですか、いきなり。僕の誕生日はまだまだ先ですから別に祝ってもらわなくてもいいですよ」

「おまえの誕生日など関係ない。これまでどんな王侯貴族も口にしたことがないような空前絶後の料理を思い付いたのでそれを試したいのだ」


 隣の席で薄い番茶を飲みながらこんなホラ話をしているのは僕の先輩だ。


 先輩は小学校で一学年上、中学校で一学年上、高校で一学年上、そして現在、大学では一学年上ではなく同級生である。先輩が一年浪人してしまったからだ。

 同級生を先輩と呼ぶのもおかしな話だが、小学校の頃からそう呼んでいるので、今更別の呼び方を考えるのも面倒くさい。先輩も「よせよ、同級生だろ」などと反論したりもしないので、そのまま呼んでいる。


 僕も先輩も親元を離れアパート生活をしているので食事は自分で用意しなくてはならない。

 平日は昼も夜も学食で済ませているが、土日は休業しているので先輩のアパートで自炊している。二人分まとめて作った方が安上がりだし二人で作れば作業量も半分になる。実に合理的な選択と言えるだろう。


「空前絶後の料理とは、ずいぶん大きく出たものですね。本当に大丈夫なんですか」

「ふっ、見くびってもらっては困る。アパート暮らしを始めてから今日まで何食作ってきたと思っているんだ。すでにそこらの主婦なんかでは太刀打ちできないほど料理の腕は上がっている、はずだ」


 最後の「はずだ」に先輩の本音がちょっとだけ透けて見える。入学以来相当な数の料理を作ってきたことに間違いはないが、それはほとんどの場合、僕との共同作業だった。先輩ひとりに全ての調理を任せたことはこれまで一度もないのだ。


「口では何とでも言えますからね。でもそんなに凄い料理なら僕も手伝ったほうがいいんじゃないですか。ひとりで作らなきゃいけないってことはないんでしょう」

「いや、この料理に関してはひとりで作った方が早く確実に作れるのだ。おまえの手は絶対に借りぬ」


 相変わらず頑固だなあ。こうなると何があっても自分の意思を変えないことはこれまでの経験からわかっているので了承することにした。


「なら任せますよ。明日の昼は手ぶらで行けばいいんですね」

「何を甘ったれたことを言っているのだ。俺の手料理をいつもと同じ料金で食えるわけないだろう。特別料理材料費および手間賃として千円持参してくれ。何なら今払ってくれてもいい」


 そんな得体の知れない料理のために千円も余計に払うくらいなら牛丼並を二杯食べた方がいい、と言いたかったのだが、すでに先輩が右手をこちらに差し出しているので、その手のひらに千円札をのせてあげた。


「明日は朝飯を抜いて来るがよい。腹いっぱい食わせてやるぞ」


 先輩は腹を撫でながらそう言った。


 次の日の昼。先輩のアパートに着いた僕はさっそく部屋の中へ入った。油の匂いがする。


「これは、揚げ物ですか」

「そうだ。ちょうど今揚げ始めたばかりだ。おい、味噌汁とキャベツの千切りを作ってくれ」


 なんだ、結局僕も手伝うんじゃないかと思いながらも、うまそうな揚げ物の匂いを嗅いで少し安心した。どんな食材でも油で揚げれば、ほとんどの場合おいしく食べられる。高温にし過ぎて焦がしたりしない限り失敗することはあり得ない。


「これなら大丈夫だな」


 先輩の隣でキャベツを千切りにしながら、皿に並んでいるパン粉まみれの食材を眺める。どこからどう見てもトンカツだ。


「これって、もしかしてトンカツですか」

「トンカツではあるがそれは正解の四分の一でしかない。強いて言うなら四色カツレツだ」

「四色……ああ、四種類の肉を使ったカツですね」

「その答えでも正解とは言えない。確かに四種類の肉を使ってはいるがその使い方が空前絶後なのだ」

「へえ~、どんな使い方をしているんですか」

「教えてやろう」


 そこから先輩の長い話が始まった。なんでも数学の世界には四色定理というものがあるらしい。

 たくさんの領域に分けられた図形を考える。ひとつひとつの領域に色を塗る場合、四色あれば隣り合う領域は必ず違う色で塗ることができる、という定理である。

 この定理をカツレツに応用したのが先輩の四色カツレツだ。豚、牛、羊、鶏の四種類の肉を手頃な大きさに切り分け、断片をモザイク状に組み合わせる。その時、隣り合う肉片は必ず別の肉片になるように組み合わせるのだ。


「でもそれならカツの大きさに切った四枚の肉を重ね合わせれば済む話じゃないですか。そうすれば簡単に四種類の肉を同時に味わえるでしょう」

「ふっ、なんと貧弱な発想力なのだ。それではカツレツのどの部分を食いちぎっても同じ味にしかならんだろう。大きさも形も違う肉片をモザイク状に組み合わせるからこそ、口に入る肉は時には四種類、時には三種類となり、しかもその組み合わせも「牛五〇%豚二五%鶏一五%羊一〇%」だったり「羊四〇%豚三五%牛二五%」だったりと千差万別に変化していくのだ。噛むたびに違う味わい、これこそが四色カツレツの真骨頂なのである」


 なるほど。先輩にしてはよく考えられているな。そしてなぜ僕の手助けが不要だったのか、その理由もわかった。

 僕の頭では隣り合う肉片同士を必ず別々にするなんて組み合わせ、そう簡単には作れないからだ。きっと先輩は一桁の暗算でもするかのように易々と肉片を組み合わせていったに違いない。


「よし、全部揚がったぞ」


 キャベツの千切りと味噌汁の準備ができたところで先輩の作業も終了したようだ。揚げたカツは六枚。ひとり三枚ずつだ。キャベツと一緒に皿に盛り、味噌汁とご飯の椀を食卓に運んで昼食の始まりだ。


「肉は塩と胡椒で下味が付けてある。まずは何も付けずにそのまま味わってくれ」

「わかりました。いただきます。ばくっ!」


 ナイフで切ったりせずそのままかぶりつく。これは鶏肉だな。他の肉は……んっ、羊肉も混じっているみたいだ。他の肉は感じられない。二種類だけか。まあカツの端っこはこんなものだろ。


「ばくっ!」


 二口目。やはり鶏肉だ。今度は完全に鶏肉だけだ。変だな。一口が小さすぎるのかな。今度はもっと大きくかぶりついてみよう。


「はんぐっ!」


 やっぱり鶏肉だ。鶏肉しかない。いくらなんでもおかしすぎる。


「うまいうまい。牛肉はカツにしても絶品であるな。はぐはぐ」


 先輩がうまそうに食べているのを見ていたらだんだん腹が立ってきた。


「もしや……」


 カツの衣を剥がしてみる。思った通りだ。大部分が鶏肉で隅っこのほうに豚と羊と牛がくっ付いている。


「先輩、これどういうことですか。僕のカツはほとんどチキンじゃないですか」

「おいおい、衣を剥がすなんて無粋なことはやめろよ。まあ、たまたまそうなっただけなんじゃないか。運が悪かったな」

「たまたまなわけないでしょ。ああ、そうか。やっとわかった。僕には安いチキンカツを食べさせ自分は高価なビーフカツを食べる。そのために僕の手伝いを断ってひとりで作ったんでしょ。納得できません。お金返してください」

「やれやれ、おまえがここまで被害妄想な男だとは思わなかった。そこまで言うならカツを交換しようじゃないか。一枚はそのままで、もう一枚は半分に切って交換しよう。それなら納得できるだろう」

「わかりました」


 言う通りに交換して先輩の皿から移したカツにかぶりつく。今度こそビーフカツが食べられるはず、だったのだが、


「うっ!」


 チキンだ。急いで衣を剥がす。またしてもほとんどチキンだ。牛豚羊は隅っこに申し訳なさそうにくっ付いているだけ。


「こっちの半分のカツなら大丈夫なはず」


 食いつく。失望が口の中に広がった。やはりチキンだった。先輩の皿を見ると少し衣が剥がされていた。そこから見える肉は明らかにビーフだ。


「なっ、わかっただろう。俺は最初からほとんどチキンなカツもほとんどビーフなカツも両方食うつもりだったんだよ。余計なことをしなければおまえもほとんどビーフなカツを食えたのになあ。お気の毒」


 くくっ、またしても先輩にやられてしまった。僕の行動は完全に読まれていたようだ。ほとんどチキンなカツに僕が怒って交換することまで見越して、わざとほとんどビーフなカツを僕の皿に取り分けていたんだ。なんという牛肉への執念。まんまと嵌められてしまった。


「そうまでしてビーフカツが食べたいのなら四色カツなんて回りくどいことをせずに最初からビーフカツにすればよかったんじゃないですか」

「それだと食える牛肉の量が少なくなるだろう。俺はビーフを食い、おまえにはチキンを食わす、そのために考案した作戦なのだ」


 やれやれ。ここまで正直に本音を言われては怒る気にもなれない。それに先輩の自分勝手は今に始まったことじゃないしな。今回は負けを認めて素直にチキンカツを食べるとするか。


「そうだ、ソースを忘れていた。残りのカツにはこれをかけて食え」


 先輩は台所へ行くとドンブリを持って戻って来た。中には不気味な色と匂いを放つ謎の液体が入っている。


「何ですか、これは」

「特製ソースだ。四色カツに合わせて四種類の調味料で作られている」

「その四種類の調味料って何ですか」

「しょうゆ、ポン酢、ウスターソース、赤味噌だ」

「絶対にかけないでください!」

「遠慮するな、それ、ドボドボ!」

「うわああー!」


 それからの食事は拷問以外の何ものでもなかった。おそらくあれよりまずいチキンカツはこの世に存在しないだろう。

 ただ、交換せずに一番下に置かれていた半分に切ったカツには特製ソースがかからず、しかもその部分だけはちゃんとモザイク状の四色カツになっていたので、最後の最後で本当のご馳走を味わうことができた。不幸中の幸いと言えよう。

 ちなみに先輩は「うまいうまい」と言いながら特製四色ソースに浸されたビーフカツを食べていた。頭脳だけでなく味覚も人並み外れているようだ。

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