第5話

涼真はソワソワしながら、窓ガラスを見てヘアセットをちょんちょんと直した。特に何も変わっていないが、彼は手持ち無沙汰らしく窓ガラスをチラチラと何度も見つめている。なぜ彼はこんなにもソワソワしているのか。それは今日が、デートだからだ。

そう、今日はデート。待ちに待ったデート。ロケーションは完璧とも言っていい、夜の水族館デートだ。ナイトアクアリウムというイベント企画で、夜の水族館を探訪できるというもの。チケットは毎日上限が決まっていて、限定30組ずつ。それなら館内も混雑しないし、ゆっくり2人で回れるのではないかと涼真は思いついたわけだ。そして見事チケットを手に入れて、瑞稀を誘ってみたところ「夜なら予定の調整ができるから大丈夫」との返答が。そして今夜、待ち合わせをしていざ水族館へ、というわけである。完璧、ここまでは完璧だ。


「あ~ヤバ・・・緊張してきた・・・」


両手で数えられるくらいには瑞稀といろんな所へ出かけてきた涼真だが、今回は特別だ。だって彼とは、つい先日恋人同士になったばかりだから。しかも今日は、それだけではない。涼真のリュックには、普段の彼が持たないような高級な店の紙袋が入っていた。これは今日のために買ってきた、瑞稀への誕生日プレゼントだ。


『そういやずっと知りたかったんすけど、竜田さんって誕生日いつですか?』

『誕生日?12月14日だよ』

『えっ、もうすぐじゃないっすか!』


涼真が瑞稀と出会ったのが、4月ごろ。涼真が大学3年生になったばかりの頃だった。それから約半年を親しい友人として過ごして、恋人になれたのがつい最近の11月下旬。やっと聞けた、聞いてよかったと、涼真は心の底から思った。もし聞かなければ、これまでだけでなく今後も知らないまま日々を過ごしていただろう。恐らく瑞稀は、自分からそういったことを言わないタイプだ。何が何でも誕生日を祝わなければならない決まりはないが、好きな相手のめでたいことを祝いたいのは当然の心理だろう。聞いてよかった、と涼真は一人また頷く。今日が12月10日なので少し早いが、遅れて渡すよりはいいだろう。


「涼真くん」

「!!」

「お待たせ」


1人でしみじみと考え事をしていた涼真に、落ち着いた声がかかった。呼び名が変わっても、その声を間違えるはずはない。涼真はガバっと顔を上げて、子どものように笑った。


「瑞稀さん!」

「ごめんね、会議が長引いちゃって。待たせちゃったかな」

「や、大丈夫っす!オレも割と今来たとこだし!」


仕事の都合で今回は水族館に現地集合となっていた瑞稀が、涼真の前に姿を現した。彼は少し照れくさそうな顔をしている。その表情を見て、緊張しているのは自分だけでないのだと、涼真は嬉しくなった。


「・・・何か、やっぱり慣れないと照れちゃうね。呼び方」

「あはは、そうっすね。呼ぶのと呼ばれるのとどっちが照れます?」

「どっちもかな。こんなことで照れちゃうなんて、若い子みたいで恥ずかしいけど・・・」

「いっぱい呼び合って慣れていきましょ!」

「そうだね」


名前で呼んでほしい、と言い出したのは涼真だった。あの雨の日から数日後、次の約束のためにアプリでやり取りをしていた時に「直接話したいことがある」と瑞稀に電話がかかってきたのだ。


『せっかくだし、その・・・名前、呼んでもらえないっすか?』


珍しくおずおずといった感じで、涼真は瑞稀に言った。せっかく恋人という関係になったのだから、よそよそしい呼び方を止めたいということらしい。瑞稀は少しためらっていたようだが、結局は涼真の「おねだり」に勝てず、了承した。そして彼も、それならと1つの提案をしたのである。


「そういえば・・・」

「?」

「涼真くん、言葉遣い直ってないよ?」

「あっ、」


瑞稀の指摘に、涼真は思わず手で口を押さえた。瑞稀の提案というのは「敬語を使わないでほしい」ということだった。


『確かに僕は年上だけど、恋人になったんだから敬語なんて使わなくていいよ。もっと楽に話してほしいな』

『え、でもさすがにそれは・・・』

『ちょっとでも歳の差を感じないようにしたくて・・・。やっぱり、嫌かな?』

『いや、全然!全然嫌じゃないっす!・・・あ!えーっと、どうしよ・・・なかなか止めれそうにないっすね・・・』

『じゃあ、少しずつ慣らしていこうよ。ね?』


というわけで、涼真は瑞稀の希望通りに言葉遣いをラフなものへと矯正中なのである。歳の差を感じたくないというのは涼真とて思っていたことなのだが、高校生までの体育会系気質が抜けきらないのが残念なところだ。


「なかなかクセって直んない、な・・・」

「っ、ふふっ、」


ぎこちなく喋る涼真に、瑞稀は口元を押さえて噴き出した。


「涼真くんがそんな風にしゃべるの、何だかかわいいな」

「うっ、だって・・・」

「少しずつでいいよ。でも頑張ってね?」

「お、おう・・・!」

「じゃあ、とりあえず入ろうか。っていっても、勝手が分からないから涼真くんに任せちゃうけど」

「あ、もちろん!もうチケットは持ってるんで、入口で見せれば入れるっすよ!・・・あ、」

「あはは、頑張れ頑張れ」

「と、とりあえず今日帰るまでには何とか慣れてみせるんで・・・!」


ぐぬぬと唇を噛む涼真に、瑞稀はニコニコと楽しそうに笑ってみせた。そして、以前よりも少し近い距離で涼真の隣に並ぶ。肩が触れ合うか触れ合わないか。涼真はドキリと胸を高鳴らせた。この距離が許されるのは、恋人だからだ。今でもあの雨の日の出来事は夢だったのではないかと思うが、こうやってすぐ近くに瑞稀を感じると、夢ではなかったのだと実感する。


「ただいまの時間はご予約の方のみとなっておりますが、チケットはお持ちですか?」

「あ、持ってます!」


涼真が受付スタッフにチケットを見せると、こちらへどうぞと中へ案内された。ナイトアクアリウムというだけあって、照明が最低限に絞られて幻想的な演出になっている。その中で水槽がカラフルにライトアップされていて、魚たちが悠々と泳いでいた。


「・・・カップルが多いんだね」


辺りを見回した瑞稀がぼそっと呟く。確かに、水族館内にいるのはカップルがほとんどだ。中の込み具合としてはまばらなだけに、その比率に少し驚いてしまうほど。だが照明が暗い上にみな水槽の方に夢中なようで、涼真たちを気に掛ける者は誰もいなかった。


「・・・瑞稀さん、」


いつもよりワントーン低い声が、瑞稀を呼んだ。


「うん?・・・あ、」


呼ばれた瑞稀は涼真の方を見て、そして手のぬくもりに気がついた。涼真の大きな手が、少し遠慮がちに瑞稀の細い指をなぞる。彼の意図を理解した瑞稀は、頬に熱が集まるのを感じた。


「ほら、一応オレらもカップルってか、恋人ってか・・・誰も見てねえし、これくらいなら・・・とか・・・思ったんだけど・・・」


ごにょごにょ、まるで子どものような言い訳の仕方。瑞稀は嬉しいやら照れくさいやらで、頬を桃色に染めたまま笑う。


「誰も見てないかな?」

「みんな魚か自分の相手しか見てねえと思うよ」

「それもそうか。じゃあいいかな」


瑞稀はひとつ頷いて、自分の指に触れていた涼真の手をとった。指を絡めて、きゅうっと握る。すると涼真は一瞬肩を揺らしたが、すぐに力強く握り返した。


「やべえ、こんなことでこんな緊張するとか、マジで中学生みてえ・・・」

「そう?僕も緊張してるよ?」

「え、嘘だ。瑞稀さん全然そんなんに見えねえもん」

「顔に出ないだけだよ。浮かれすぎてて落ち着かないし」

「瑞稀さんでも浮かれることとかあるんだ?」

「そりゃ、人間だしね。毎日仕事ばっかりで嫌気が差してるから、余計かも」

「あはは、社長さんともなるとそうなっちまうか~。よーし、仕事なんて魚見て忘れましょーね」

「うん」


涼真は瑞稀の手を引いて、館内のある場所へと向かった。この水族館でもイチオシされている場所だ。エレベータを使って上の階へ上がると、屋上プールのようなところに着いた。


「ここは?」

「ペンギンが見れるとこっすよ。魚じゃないけど・・・瑞稀さん、好きかなって。あ、でもペンギンって空飛ばないからそうでもねえ?」

「いや、好きだよ。かわいいよね。それに、泳いでる姿が飛んでるみたいじゃない?」

「あ、確かに!」


瑞稀の言うように、プールですいすいとスピードを出して泳いでいるペンギンの姿は、羽を広げて空を飛んでいる鳥そのものだった。空を飛べないだけで、彼らは立派な鳥であるようだ。瑞稀は大きなプールを前にして、ペンギンたちに釘付けだった。その横顔が幼い子供のようで、涼真は来てよかったと満足する。彼の楽しそうにしている表情が、今の涼真にとっては何より見たいものなのだ。


「てか、夜だけどコイツら寝ないんだ」

「ああ、言われてみれば・・・。あ、でもあの子たちは寝てる」

「え?どこ?」

「ほら、あそこ」


瑞稀が指さす方を見ようと、涼真は身を屈めて彼の目線の高さになる。そうすると必然的に2人の距離が縮んだ。涼真はふっと香った瑞稀の香水にハッとする。だが瑞稀の方はペンギンに夢中だ。恐らくドキマギしているのは自分だけ。涼真は自分の余裕のなさに苦笑いする。


「(マジでガキみてえ・・・)」


瑞稀からしてみれば、9つも下の人間なんて「ガキ」以外の何物でもないだろう。余裕ぶってスマートに振る舞いたい年頃だが、現実はそうはいかないものだ。せめて、彼へのプレゼントくらいはスマートに渡せたら。涼真は妄想を膨らませる。帰りに渡すつもりなので、リュックを開けるのはまだ先だが。


「涼真くん?」

「!何すか?」

「見えた?」

「あ、寝てるヤツ?あの奥の方っすよね?」

「そうそう。あの子たち、家族かな」

「あー、そうかも?1人ヒナみたいなのがいるし。かわいいっすね」

「ね。子どもを守るみたいに集まってるんだね」


2人の視線の先には、身を寄せ合って寝ている3羽のペンギンがいた。瑞稀の言う通り、恐らく父母とそのヒナなのだろう。瑞稀の瞳は、どこか羨ましそうに細められていた。涼真は彼の横顔を盗み見て、今なら聞いてもいいだろうかと意を決する。


「・・・瑞稀さん、ちょっと聞いてもいい?」

「うん?」

「なんつーか、答えたくなかったらアレなんだけど・・・。瑞稀さんちって、あんまり仲良くない?のかなって」

「!」

「や、別にオレが知らなくても良いことなんだろうけど・・・。何か、気になって。もし瑞稀さんがいいなら、知りてえなあって思ったんだ」


あくまで視線はペンギンに向けたまま。涼真はわざと軽い口調で言葉を重ねた。瑞稀は少しだけ無言になって、それから曖昧に頷く。


「仲良くない、とも違うかもしれないな。何というか・・・僕は、家業を継ぐことが決められてたから厳しく育てられてね。暴力を振るわれてたわけでもないし、自分の境遇が辛いと思ったことはないけど・・・」

「うん」

「鳥みたいに、自分で飛びたい空を決められたら良かったのにって、思うときもあるんだ」


低く静かな声。瑞稀はうつ向いてしまった。少し長い前髪が、彼の表情を隠す。涼真はどうしようか迷って、結局繋いでいた手を強く包み込むことしかできなかった。


「・・・涼真くんの手はあったかいね」

「ごめん、変なこと聞いちまって」

「いいんだよ。僕、人にこんな話したの初めてなんだ」

「え、そうなんだ?」

「うん。涼真くんになら話してもいいかもって思っちゃう。不思議だね」


瑞稀は自分の手を包んでくれている大きな温もりに、力を込めて応える。細くて華奢な指だけれど、握り返してくる力は強かった。


「あの、瑞稀さん」

「?」

「オレは何の役にも立たねえだろうけど・・・瑞稀さんがしんどい時とか、辛い時に力になりてえって思うし、頼ってほしいなって思うよ。愚痴とか言いたくなったら夜中でも電話してきて。絶対起きるから」

「本当かな?涼真くん、目覚ましで起きないタイプに見えるけど」

「うっ、そ、れは・・・!そうだけど!瑞稀さんが電話してくれたら絶対一発だし!」

「そっかあ、楽しみだな」

「あ、信用してねえヤツじゃん!ほんと!ほんとだから!」

「ふふ、じゃあそうするね。・・・ありがとう」


瑞稀の声が少し弾んだ。どうやら涼真の言葉は受け取ってもらえたらしい。よかった、と涼真は満足げに口元を緩めた。


「ごめんね、話し込んじゃったね。次は何を見に行こうか?」

「え、もういいの?」

「ペンギンも可愛いけど、せっかく来たんだし色んなコーナーに行ってみたいな。僕、水族館に来るのも初めてなんだ」

「あ、そういや言ってたっけ。じゃあ定番のとこ行きましょ!水族館といえばやっぱイルカショーとかだけど、夜ってやってんのかなー」

「イルカも夜は寝てるんじゃない?」

「やっぱそうだよなあ・・・」


どうしようか、と涼真は近くにあった館内マップを見る。するとその時、館内放送のチャイムが鳴った。


『ご来館中の皆様に、ドルフィンナイトショーのご案内です。午後9時30分より、ドルフィンプールにおきまして・・・』


何とも見事なタイミングで流れた放送に、涼真は目を輝かせた。腕時計を見ると、時刻は午後9時15分。確認するや否や、涼真は握っていた瑞稀の手を引っ張った。


「え、ショーやってんじゃん!すげー!瑞稀さん、行きましょ!」

「わっ、えっ、涼真くんっ、」

「早く行ったらいい席で見れると思う!」


早く早く、とまるで子供のように涼真は駆け出す。瑞稀も引っ張られるまま、走り出した。ドルフィンプールと呼ばれていたイルカショーの会場は、エレベーターに乗って上の階へ上がって行けばすぐにたどり着けた。放送を聞いて集まってきた他の客たちもぞろぞろとやってきてはいたが、プール近くの座席にはまだ十分空きがある。涼真は瑞稀の手を引きながら、ドンっとセンターの席に陣取った。


「こんな近くで見れるの?」

「そうそう!やっぱ近くで見た方が迫力あるんで!ちょっと濡れるかもだけど」

「えっ、濡れるんだ?」

「うーん、運次第?じゃねえかなあ。オレは前に友達と来て、パンツまでぐっしょりになったことあるよ」

「そ、そんなに?すごいね・・・」

「まあでも冬だし、そこまでの激しいヤツじゃねえとは思うな」


話しているうちに時間は経ち、気づけば開演時間になっていた。辺り一面の照明が落ち、真っ暗な状態でショーがスタートする。何が来るかとワクワクしていると、パッとスポットライトがついてプールを照らした。そして次の瞬間、イルカが高く飛び上がって、空中で3回転する。一瞬の間の後に、ワッと観客が湧いた。


「すごい・・・!」


瑞稀も目を輝かせながら、イルカに拍手を送る。涼真はその横顔を見つめて、かわいいなあと密かに微笑んだ。瑞稀が辛い時や苦しい時に頼ってほしいというのも、間違いなく涼真の気持ちだ。まだまだ長い付き合いとは言えないけれど、彼が人を頼るのが苦手であることには薄々気づいていた。だが、頼ってほしいという想いの根底には、やはり「笑顔が見たい」という揺らがない気持ちがある。

瑞稀が瑞稀である限り、彼が背負っているものは恐らく涼真には計り知れないものだろう。けれど、だからこそ、自分の前でくらい心から笑っていてほしい、と涼真は思うのだ。


「・・・瑞稀さん」

「ん?」

「楽しい?」


涼真が聞くと、瑞稀はきょとんとした後ハッキリと答えた。


「うん、楽しいよ」


ああ、やっぱりかわいいな。

涼真は瑞稀の言葉に、笑顔を返すのだった。











「あー、今日も楽しかった~!」

「本当に楽しかったよ。夜の水族館っていうのもいいものだね」

「や、ほんと思った以上に良かったな。最初はどんな感じなんだろって思ってたけど」


閉館時間を迎えた水族館を後にしたころには、日付が変わろうとしていた。だが何となく離れがたくて、2人は駅までの道をゆっくりと歩く。時間が時間だけに人通りはほとんどなく、繁華街からも遠いため辺りは落ち着いた静けさに包まれていた。


「終電間に合いそうかな?」

「まだまだ全然ヨユーだよ。オレはマックとかで時間潰して始発待ってもいいし」

「それはダメだよ。ちゃんと帰らなきゃ。もし間に合わなかったら竜司呼びだして送らせるから」

「えっ、森さんまだ起きてんの!?」

「どうせまだ仕事してると思うよ」

「えええ・・・すげー・・・」


やっぱ社会人って大変だな、と涼真は小さく呟く。竜司とは瑞稀を通じて何度か会っていて、強面ながら穏やかで優しい人というのが涼真の認識だ。ついでだから、と下宿先のアパートまで送ってもらったことも多い。それだけでなく「社長がいつもお世話になっているから」という理由で菓子折りをもらったり、何だか高級そうな店のレトルト商品詰め合わせや見るからに高そうな酒をもらったこともある。毎回遠慮するものの、瑞稀の後押しもあって結局もらって帰るばかりだ。竜司には感謝しかない。だがそれはそれとして、涼真には少し引っかかっていることがあった。


「・・・そういえば、瑞稀さんって森さんのことは呼び捨てなんだな」

「呼び捨て?あ、名前のこと?」

「うん。何でなの?」


ただの部下のことを呼び捨てで呼ぶのは、何だか違う気がする。涼真が引っかかりを感じているのはそのことだった。瑞稀の態度からも竜司のことを信頼しているのが見て取れるし、いつも柔らかい口調の瑞稀が、彼に対してだけは遠慮も何もあったものではないような話し方をする。それだけ気安い関係だということだろう。涼真は何となく悔しさを感じているのである。


「何で、かあ・・・。竜司とは付き合いが長いからね。それこそ、僕の父親の代から勤めてるから」

「え、そんな前から!?森さんって何歳なの!?」

「50そこそこだった気がする。アイツ、昔から老け顔だから正確な年齢が分かんなくなっちゃうんだよね。僕の父親が健在だった時にうちに来たから、僕が子供の頃から知ってるんだよ」

「そうなんだ・・・。じゃあしょうがねえかあ・・・」

「え?」

「や、なんつーか・・・。瑞稀さんって森さんには色々遠慮なしに言うし、呼び捨てにするし・・・何か、羨ましいなって思ってたんだよ。けど、そんなに長い付き合いならオレが勝てるわけねえし、まあしょうがねえかって」


涼真の唇がとがる。どうやら拗ねているらしい。瑞稀は一瞬ぽかんとしたあと、くすくすと笑った。


「もしかして、嫉妬してくれてるの?」

「・・・だって。どうしようもねえのは分かってるけど、悔しいもん」

「ふふ、そっか」

「何で瑞稀さん、嬉しそうなんだよ」

「だって、かわいいなあって」

「!」


瑞稀が涼真に「かわいい」と言うのは珍しいことだった。涼真の頬に熱が集まる。瑞稀の言う「かわいい」は、涼真が言うそれとは意味が違っているように聞こえた。涼真は嬉しさも感じたが、それと同時に悔しさも増した。瑞稀にかわいいと言われてしまえば、歳の差も実感せざるを得ない。


「・・・なんか、子ども扱いされてる」

「ええ?そんなことないよ」

「年下扱いしてるじゃん」

「だって涼真くん、年下だし」

「そうだけど!くっそ~・・・」


後頭部をガシガシと掻きながら、地団駄を踏む涼真。その仕草だって可愛らしいのだけど、言ってしまったら余計に拗ねさせてしまいそうだ。瑞稀は心のうちにしまっておくことにした。


「でもここで拗ねてたら余計ガキっぽいな・・・。やめとこ」

「あはは、そう?」

「そう!オレはスマートな男目指してるんで!」


涼真は鼻を膨らませた。やっぱりかわいい、と瑞稀は口元を緩める。彼がかわいく見えるのは、彼が年下だからというだけではない。本来なら涼真のような大柄の男子大学生にかわいいだなんて形容詞は思いつかないだろうが、瑞稀にとって涼真への「かわいい」は「愛おしい」とも言い換えられるのだった。


「ってことで、瑞稀さんに渡したいものがあります!」

「へ?」


唐突に、瑞稀の隣を歩いていた涼真が彼の前へぴょんっと飛び出る。瑞稀は思わず立ち止まった。前の会話との繋がりは全く見えないが、そんなことはお構いなしに涼真は続ける。


「ほんとはもうちょっとロマンチックな場所とかで渡すのがスマートな男なんだろうけどさ。渡しそびれたら元も子もねえし」

「えーっと・・・?」

「こないだ瑞稀さんの誕生日聞いたでしょ?ちょっと早いけど、一応プレゼント買ってきたんだ」

「!」


涼真は自分のリュックの中をゴソゴソと探して、小さな紙袋を取り出した。百貨店の手提げ袋のようだ。


「瑞稀さんのことだからいくらでも持ってそうなんだけど、仕事とかでつけてくれたら嬉しいなって。はい!」

「あ、ありがとう・・・!」


笑顔で差し出された袋を、瑞稀は両手で大切そうに受け取る。重さとしては、軽い。大きさも両手に納まるくらいのサイズだ。封がされているため、中身はまだ見えなかった。


「開けてもいい?」

「どーぞ!」


瑞稀は丁寧に封のシールをはがして、袋をそっと開けた。中のプレゼントは、透明な箱に入ってリボンがかけられている。箱を取り出すと、プレゼントの正体にはすぐに気が付いた。


「ネクタイ・・・?」

「そう!何がいいかなーって色々考えたんだけど、そういや瑞稀さんの好きなものとか普段使ってるもの、まだあんまり知らねえなってなったから。とりあえず仕事で使ってもらえそうかなって思ったんだけど・・・もしかして、あんまつけねえ?」


瑞稀の反応が思ったよりも薄かったのか、涼真は不安げに眉をハの字に下げる。瑞稀は慌てて首を振った。


「会社ではいつもつけてるよ!嬉しいな、ありがとう・・・!」

「おー、良かった~!あ、箱開けて裏まで見てみてよ」

「裏?」

「うん」


いたずらっ子のように笑う涼真。瑞稀は言われるまま、リボンを解いて箱を開けて、中にあるネクタイを取り出した。丸く巻かれているネクタイはシンプルな臙脂色で、細い斜めストライプの模様が入っている。手触りから、涼真に無理をさせたのではないかと思うような高級感が伝わってきた。だが涼真が注目してほしいのはそこではないらしい。瑞稀はネクタイを広げて、涼真に言われた通り裏地を見た。ネクタイの裏側、下の方に何か刺繍が施されているようだ。そこには、黄色と白のインコが2羽かわいらしくちょこんと座っていた。ネクタイをつけても周りには見えないが、自分だけにインコが見えるというデザインだ。


「えっ、何これかわいい・・・!」


瑞稀は刺繍を見つけた途端、パッと表情を輝かせた。どうやら気に入ってもらえたようだ。涼真は胸をなでおろす。ビジネスシーンで使うには少し可愛らしすぎたかも、と心配だったのだ。だが結果的に、百貨店で色々と探していた時に「これだ」と直感を信じたのが、正解だった。


「それくらいなら周りにはバレねえし、大丈夫かなって。かわいいだろ?」

「うん、こんなネクタイがあるんだ・・・!すごい、かわいいね・・・!」

「よかった、喜んでもらえて。何かの時につけてよ。あ、でもそんなかわいいの使ったら森さんに怒られる?」

「大丈夫だよ、見えないから。でも使うのもったいないな・・・。汚しちゃうの嫌だし・・・」

「えー、せっかくだし仕舞い込まないでよ。使って使って」

「うーん・・・会議とかだけなら汚さないかな・・・」


ネクタイを手に真剣に考える瑞稀がかわいくて、涼真は思わず彼に手を伸ばした。瑞稀は驚いた様子を見せたものの、特に抵抗せずに彼の胸の中に収まる。人通りがないため、周りを気にする必要もなかった。


「どうしたの?」

「や、何か喜んでもらえてすげえ嬉しいなあって。悩んでよかった」

「うん、本当に嬉しい。ありがとう。大事にするね」

「うん。けど次は、瑞稀さんが欲しいものにしてえな」

「え?」

「さっきも言ったけど、プレゼント選んでるときにさ。瑞稀さんの好きなもん分かんねえなあってちょっと落ち込んだんだよ。だからこれから、いっぱい教えてほしい。好きなもんとか、嫌いなもんでもいいし」

「・・・!」

「オレ、瑞稀さんのこといっぱい知りたい。ちょっとずつでもいいから、全部教えてよ」


彼の言葉はどこまでも純粋で、そして瑞稀にとって残酷なものだった。全部教えられたら、どんなにいいだろう。瑞稀とて叶うことなら、彼に全部打ち明けてしまいたい。すべて打ち明けた上で、彼に受け入れてもらいたい。けれどそれは不可能だ。彼に秘密を打ち明けることは、彼を引きずり込んでしまうことと同義なのである。それだけは、絶対にできない。涼真は、陽光の下で生きるべき人間なのだから。


だけど、だけど。

瑞稀は涼真の背にそっと手を回した。


「・・・うん。僕も、涼真くんのこといっぱい知りたい」


それは紛れもない、瑞稀の本心だった。震えずに伝えられただろうか。瑞稀が涼真の腕の中で顔を上げると、ちょうど瑞稀を見つめていた涼真と目があった。視線が交わって、吐息が聞こえてきて。どちらからともなく、吸い寄せられるように唇が重なった。触れるだけの、けれどしっかりとお互いの体温を感じられる口づけ。ほんの数秒だったが、世界で2人きりになったみたいだった。


「・・・やべえ、瑞稀さんとちゅーしちまった・・・」

「嫌だった?」

「え、違う違う!感動してる・・・」

「ふふっ、感動って」

「えー、瑞稀さんも感動してよ」

「感動っていうか、すごく嬉しいよ」

「そっか、ならいいや」


涼真が離そうとしないので、瑞稀も離れようとはしなかった。帰らなければならないのは2人とも分かっていたが、どうにも離れがたかった。









「・・・そういえば、涼真くん」

「ん?」

「ネクタイを恋人に贈る意味、知ってる?」

「えっ?プレゼントに意味とかあんの?」

「そっか、知らないか。なら仕方ないね」

「えっえっ、何かマズい意味!?」

「ああ、違うよ。それは大丈夫。知らないなら知らないでいいんだよ。そのままの涼真くんでいてね」

「えー何!?気になるんだけど!教えてよ!」

「あはは、内緒。どうしても知りたいなら、帰って調べて」

「ヤバい、超気になる・・・!」


帰宅した涼真がスマートフォンを片手に頭を抱えるのは、数時間後のことだった。

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