第6話
「今日も楽しかったね。ありがとう」
「いやいや!こっちこそ忙しそうなのに付き合ってもらっちゃって・・・」
「いいよいいよ。僕も仕事サボりたかったんだ」
「瑞稀さんでもサボりたい日あるんだ」
「うん。最近は特に忙しくてさ。あ、車来た。ほんとに乗って帰らなくていいの?」
「大丈夫!このあと寄りたい店があって」
「そっか。じゃあ気をつけて帰ってね」
「はーい!また連絡するんで!」
迎えに来た黒塗りの車に乗り込んだ瑞稀に手を振ってから、涼真は一つため息を吐いた。今日のデート先は、映画館。洋画のアクションもので、人気シリーズの最新作だ。仕事が忙しくて、とぼやいていた瑞稀の息抜きになればと涼真が提案した映画デートである。映画館なら歩き回らなくていいし、疲れているなら寝てもらえるし、というわけだ。結果としては、瑞稀は眠らずに映画を大いに楽しんだらしい。森が迎えに来るまで、2人はカフェで感想合戦を繰り広げていた。今日のデートも大成功と言えるだろう。だから、涼真のため息の原因はそこではなかった。
瑞稀と次の段階に進みたい。
涼真はそんな気持ちを抱え、悶々と日々を過ごしているのだった。年末年始も越え、恋人としての期間もそれなりになってきた。一般的なカップルがどういった手順でいつステップを進めるのかは正直分からないが、涼真だって経験がないわけではない。以前に彼女がいた際には、それなりにデートを重ねたら次に進んでいたわけである。だが瑞稀とは、一向にそういった雰囲気にならない。キスはもう何度もしたわけなのだが、もう少しと一押ししようとすると瑞稀に躱されてしまうのだ。はじめは「がっつきすぎたかもしれない」と反省した涼真だったが、どうもそういうわけでもなさそうで。瑞稀は手を繋ぐことも抱きしめることも嫌がるそぶりを見せないし、それどころか自分から身を寄せてくることもある。触れ合うことが嫌なわけではないようなのだ。だからこそ、それならどうして、と涼真はずっと悩んでいるわけである。
そういえば、デートに出かけることはあってもどちらかの家に行ったりということもない。瑞稀の家に行ってみたいと言ったこともあるのだが、今は部屋が汚いから人を呼べないとやんわり断られた。そして瑞稀は涼真の部屋に来たいと言ったこともない。それなら、お互いの行き来がないのも当然だ。考えてみれば考えるほど、不穏な要素しかないことに気がついていく涼真。街を歩きながら、涼真はもう一度ため息を吐いた。
「(・・・もしかして、こんなこと考えてんのってオレだけなのかな)」
好きな人がいて、一緒に過ごして、キスをして、その先まで。涼真としては、ごく当たり前の気持ちだと思っていた。もっと近くに感じたいし、2人きりでしか見られない表情を見たい。そう思うのは、自然なことだと。確かに自分は年頃の男子だから、そういった欲求が強いのもあるかもしれない。けれど瑞稀だって男だし、かつての涼真のような年齢だった時期もあるわけで。性欲の1つもない、なんてことはないだろう。しかし涼真から見た瑞稀は、明らかにそういった雰囲気になる事を避けているように感じる。嫌なら嫌ではっきりと言ってくれたら、とも思うがそれはそれで落ち込むことは間違いないので、涼真としても深く聞けないのだ。そして彼は、男同士の営みの事を調べては空しくため息を吐く日々を過ごしているわけである。
「来週オープン予定で~す!よろしくお願いします~」
「ん?」
「よろしくお願いします~」
「あ、どうも・・・」
ボーっと歩いていた涼真の目の前に差し出されたのは、ポケットティッシュだった。涼真は反射的に受け取る。どうやら、新しいカラオケ店ができるということで、それの宣伝らしい。可愛らしい女性が水着姿で写っている写真と『オープニングキャンペーン!』という文字が踊っている。涼真はそれを見て、半目になる。以前ならこういった水着姿の女性を見ると、ドキドキしたものだ。柔らかい胸や太ももに熱を覚えて、興奮して。だが今は何の感情も湧かない。むしろ虚しさを覚えるだけ。以前一度だけ、悶々としてしまうのは性欲が溜まっているだけなのかもとアダルトビデオに手を出そうとしたこともあったのだが、まったくもって気分が乗らなかった。今の涼真を満たせるのは、正真正銘瑞稀だけなのだ。
「はあ~・・・」
まさかこんなことで悩む日々がこようとは。涼真は先ほど別れたばかりの恋人を思い浮かべた。
―――・・・・・。
一方、その数時間後。
涼真よりも深いため息を吐いている人物がいた。
「はあ・・・・・」
瑞稀は広い風呂に浸かりながら、室内に響き渡るように息を吐き出した。最近ずっと頭にあるのは、愛しい彼の困ったような笑顔だった。
彼が、関係を進めたがっているのは分かっていた。そして瑞稀は、そんな彼に嫌悪感を抱いているどころか彼の望むようにしたいと思っている。涼真の態度から察するに、恐らく彼は瑞稀を抱きたいのだろう。彼の愛をすべて受け止められるならどちら側でもいいと思っている瑞稀にとって、そこは些末な問題だった。問題はそこではないのだ。そこではなくて、もっと根本的に、涼真を拒絶しなければならない理由がある。それは、何なのか。
答えは、鏡に映っていた。
「(・・・こんな姿、見せられるわけがない)」
瑞稀の右肩に、桜紋の入れ墨。そして背中には一面、咆哮をあげる龍と桜吹雪の入れ墨があるのだった。これは、彼が第5代目・龍櫻会組長であることの証だ。先代の組長である瑞稀の父が背負っていたものと同じこの入れ墨は、瑞稀が「龍田鵬山」であることの証明。そして、涼真に肌を見せられない理由だった。彼にこの入れ墨を見せるということは、自分をすべて見せる事になるのだから。涼真が瑞稀の正体を知れば、彼の意志など関係なくこちら側の世界に引きずり込むことになる。彼が嫌だと泣いても、「ヤクザ者の関係者」になってしまうのだ。当然、彼の置かれる環境を変えてしまうし、もしかしたら危ない目に遭わせてしまうことになるかもしれない。本当なら、今すぐにでも彼の手を離すことが正しいのだ。彼のことを、一番に考えるのなら。
けれど、今度で最後にしようと思いながらも、瑞稀は涼真に会うことを止められなかった。
彼と過ごす時間だけが、彼が呼んでくれる名前だけが、彼が見せてくれる笑顔だけが、瑞稀の息を軽くしてくれる。龍櫻会組長の龍田鵬山でなく、ただの竜田瑞稀であることを肯定してくれる。彼の隣にいられることが、どうしようもないほど幸せなのだ。
龍櫻会が重荷というわけではない。組員は大切な家族だ。組を守ることは自分の役目だと理解しているし、組は自分の矜持でもある。それでも、すべて投げ出してただの「竜田瑞稀」として、彼の隣にいられたら。そんな夢想を繰り返してしまう。
「頭」
「・・・竜司か」
風呂の外から、低い声がかかった。瑞稀は不機嫌そうに返事をする。
「風呂くらいゆっくり浸からせてくれないか」
「申し訳ありません。急ぎで耳に入れたいことが」
「・・・分かった。すぐ上がる」
「はい」
瑞稀はシャワーで体を軽く流して、風呂を後にする。髪を拭きながら自室に戻ると、部屋の前で竜司が直立不動で待っていた。
「入れ」
「はい」
瑞稀が部屋のドアを開けて促すと、森は一礼して入室する。そして瑞稀がドアを閉めて鍵をかけたのを確認すると、さっそく手に持っていた資料を彼に差し出した。
「何だ?」
「ここ最近、うちの管轄にある店のうち数軒で怪しい動きがあります。まだ噂程度ですが、ドラッグの売人が出入りしているとか」
「・・・こないだ取り立てた店ばかりだな」
瑞稀が渡されたのは、竜司が言う怪しい動きがあった店のリストだった。龍櫻会はとある歓楽街を取り仕切っており、その不動産と営業の管理を行っている。歓楽街にある店は、組にマージンを納める代わりに組に保護され、有利に商売をできる仕組みだ。しかしそのマージンを納めない店には、厳しい取り立てが待っている。甘い顔をすれば龍櫻会が立ち行かなくなるためだ。リストに挙げられている店たちも、言い訳を繰り返して納めるものを納めていなかったので、先日瑞稀が直々に赴いてきっちりと落とし前をつけさせたのである。
「はい。以前から、売り上げの割に支払いが滞りがちなところばかりですが・・・。どうやら、共通点はそこだけではないようです」
「どういうことだ」
「・・・どの店にも、翔流が出入りしていたようで」
「!!」
その名前を聞いた瞬間、瑞稀の顔色が変わった。
「・・・本当なんだな」
「店内の監視カメラの映像を調べさせたところ、それらしき男が映っていたと」
「となると、最近の騒動もアイツの仕業か・・・」
龍田
瑞稀の腹違いの弟であり、6年前に龍櫻会の跡目争いに負けて組を去った男である。跡目争いは組全体を巻き込んで、一時は組織が瓦解するのではないかというほどの大騒動となった。
事の発端は、先代が亡くなったことだ。長男である瑞稀が跡を継ぐ事になった際「勢いが衰えている龍櫻会を救うには、古い考えを捨てるべきだ」と主張して、その最たるものとして『カタギには手を出さない』という掟を捨てるべきだと瑞稀に訴えた。父だけでなく歴代の組長が守ってきた鉄の掟を捨てることなどできないと瑞稀が言うと、翔流は強硬手段に出た。自らが組長になって龍櫻会を新しいものにすると、組員たちをそそのかして大騒動を起こしたのだ。竜司を始めとした古参の組員は当然ながら瑞稀についたが、若い組員は翔流に言われるまま「新しい龍櫻会」とやらに期待してしまったらしい。気づけば、半数近くの組員が翔流についた。そして泥沼の争いを経て、翔流を追放することで騒動はいったん沈静化した。それが6年前の話だ。だが、騒動はあれで終わっていたはずだった。
「ええ。随分長いこと大人しくしていたようですが、ここ最近うちのシマで強盗被害があったり放火があったりしていることとも、翔流が関わっているとみて間違いないでしょう。挑発かもしれません」
「・・・まだ諦めてないのか、アイツは」
「恐らく」
瑞稀がここ数週間多忙だったのは、自身が管轄・経営している夜の店やブランド品の販売店などで強盗や放火が相次いでいたからだ。事後処理に追われていたのである。犯人捜しをしている最中だったのだが、状況を見れば竜司が言うように主犯は翔流で間違いないだろう。翔流はまた、瑞稀と真っ向から対立する気なのだ。
「翔流がどこまで力をつけているか分からない以上、後手に回るのは得策ではありません。早急に手を打つべきです」
「分かってる。明日の朝、全員を集めろ。全員に僕から直接話す」
「はい。それでは明日に」
竜司は頭を下げて、退室しようとした。しかし何を思ったのか振り返り、瑞稀の方をじっと見る。
「なんだ、まだ何かあるのか?」
「・・・あの坊主は、どうするおつもりで?」
「!」
竜司がどこまで知っているのかは分からない。けれど彼の言いたいことは分かった。今までのように涼真に接触していると、彼にまで危害が及ぶかもしれない。竜司はそれを懸念しているのだ。そしてそれは、誰よりも瑞稀が一番分かっていた。彼は一瞬動揺を見せたが、すぐに無表情に戻る。
「適当にごまかしておく。お前が口出しをすることじゃない」
「ですが・・・」
「分かってる。・・・潮時だってことくらい」
「・・・頭は、それでいいんですか」
竜司の問いは、重かった。瑞稀が唇を噛み締める。
「良いも何も、それが最善だろう」
まるで自分に言い聞かせるような言葉。彼の表情は、泣き出しそうにも見えた。
「・・・出過ぎたことを言いました。申し訳ありません」
竜司はそう言った後、今度こそ去って行った。残された瑞稀は、自室にあるクローゼットの引き出しを開ける。そこには、初めてのデートで涼真にもらったネクタイが大切にしまわれていた。
「・・・・・涼真くん、」
ネクタイをなぞって、彼を呼んだ。
今度こそ、今度こそ最後にしよう。瑞稀はそう決めて、スマートフォンを取り出した。彼と、最後の約束をするために。
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