第4話 異世界召喚_4
「もうすぐ夕方になります。召喚当日ですから、自覚しない疲れもあると思います。家まで送りますので、このあとはゆっくり過ごして下さい」
「家?」
「はい、エイジさんの住む家を用意いたしました。これも国としての生活保障の範囲内です」
英司はサヌエルが手配した馬車で家に向かった。サヌエルは登録手続きがあるため、生産庁の建物に残った。
馬車には兵士が二人ついていた。一人は御者台に、もう一人は、英司の向かいに座って、難しい顔をしている。護衛の役割だと思うが、監視の意味もあるだろう。
馬車の中から外を眺める。ライトノベルのコミカライズ作品や、アニメ化作品の世界にそっくりだ。異世界ものによくある設定の、中性ヨーロッパ風の街並みだ。
あくまでも中世ヨーロッパではなく、中世ヨーロッパ『風』だ。実際の中世ヨーロッパなら、建物の窓ガラスはもっと小さくなる。大きな板ガラスを作れるようになるのは、近代以降のはずだからだ。窓を大きくするなら、ステンドグラスのように、小さなガラスをつなぎ合わせる必要がある。それなのに、いま英司の視界に映る窓ガラスは、現代ものものと遜色ないものだった。
もしこの景色を正確に表現するなら、近代ヨーロッパ風もしくは現代ヨーロッパ風の街並みとなるだろう。しかしそれでは、情緒がない。
異世界ファンタジーの世界を表現する言葉は、やはり『中世ヨーロッパ風』が一番だと思う。中世という響きが、異世界というか、ファンタジーっぽさを最も感じさせる気がするからだ。
「到着しました」
御者台の兵士が緊張気味の声で告げた。
外を見ると、アーチを描く金属製の門の前だった。門の左右には、背の高いレンガ壁がつながっている。門が開くと、一面が、刈り込まれた芝のような緑に覆われていた。その向こうに三階建ての屋敷があり、そこまでアプローチが設けられている。
「まさか、ここが家ですか?」
「このような所しか用意できず申し訳ありません。最低限の生活は可能なように、手配は済んでおります。お気に召さないようでしたら、なるべく早く代わりの家をご用意いたします。それまでは、こちらで我慢していただければ……」
「いやいや、我慢って、そうじゃなくて。立派というか、すごすぎて驚きました」
英司は、用意された家について、借家のようなところを想像していた。英司は社会人になって実家を出てからは、ずっとワンルームのアパート暮らしだった。サヌエルから家を用意したと言われたとき、バストイレが別だといいなくらいにしか、考えていなかった。
玄関前で止まった馬車から降りると、使用人達が英司を出迎えた。
「スパークスと申します。執事を務めさせて頂きます。よろしくお願いします」
スパークスは50代で銀髪の男性だ。メガネの奥の瞳に深い知性を感じた。スパークスが並んでいる使用人達を順番に紹介していく。
「こちらは庭師のカーライルと料理長のエドゥムズ。隣がメイド長のキャスリーンです。エドゥムズとキャスリーンは夫婦になります」
作業服姿のカーライルは、日焼けした30台男性で、エドゥムズは、白い調理服を着込んだ60過ぎの男性だった。並んで立つキャスリーンは、エドゥムズより少し若く見えた。
「カーライルの他に、庭の手入れには、臨時雇いの者を使いますが、そちらはその都度ご報告した方がよろしいでしょうか?」
「いえ、報告は結構です」
「承知いたしました。それから、エドゥムズとキャスリーンの後ろに控えているのが、料理人とメイドたちになります。いまは個々の紹介は割愛させていただきます」
スパークスの言葉に、料理人とメイド達が頭を下げた。
確かに、これだけの人数を一度に紹介されても、覚えきれないし、時間もかかる。
「それから、彼女のことは既にご存じだと思いますが、エイジ様専属のお世話係であるマリアリア」
「マリアリアと申します。よろしくお願いします」
にこりともせず、青髪のメイドが頭を下げた。
「先ほどはお茶をごちそうさまでした」
「お気に召して頂けたのなら、幸いです」
やはり、勇者召喚施設の別室で待機していたとき、お茶を入れてくれたメイドのマリアリアだった。まるで初対面のような他人行儀の挨拶に、まさかの別人ではと疑ってしまった。
「では中へどうぞ」
スパークスに促され屋敷に入る。入ってすぐ靴脱ぎがある。欧米のような土足文化ではなく、室内では日本と同じように靴を脱ぐ。靴を脱ぐのは、異世界に召喚されて初めてだ。召喚施設でも、その後の生産庁でも、靴は脱がなかった。
いつもの履き古したスニーカーが、豪華な屋敷の玄関にある光景に、ちぐはぐした印象を受ける。
スニーカーは、英司が異世界に召喚されたときすでに履いていた。召喚直前は家の中にいたため、靴は履いていなかった。不思議な現象だが、異世界召喚あるあるとして片付けていいと思っている。
英司を屋敷に送り届けるまでが役目だったようだ。二人の兵士と馬車が帰って行く。
屋敷の中は、二階までの吹き抜けになっていて、正面に階段がある。左右には扉があるし、階段の裏にも空間がありそうだ。
用意されていたスリッパに足を入れ、絨毯の上を歩く。足元はふんわりしているのに、どっしり受け止められる感じに、以前に一度だけ泊まった高級ホテルを思い出した。
「まずは、お風呂で汗をお流しください。その後、お食事に致します」
スパークスが告げると、マリアリアが歩み出た。
「ご案内致します」
英司がマリアリアのあとに従い着いた先は、銭湯のような広い脱衣所だった。段高くなっていた。マリアリアが履き物を脱いで奥へ進む。英司もそれに習って靴を抜いだ。
着ていたジャージを脱ごうとしたが、まだマリアリアが脱衣所に残っていた。出て行ってもらおうと、英司は「それじゃ」と軽く頭を下げた。
「承知いたしました。お手伝い致します」
表情を変えずに頷いたマリアリアは、英司の前で跪くと、ジャージのズボンに手をかけた。
「いやいやいや、違いますから! 一人で脱げます! 大丈夫! です」
英司が慌てて断ると、マリアリアが一礼して立ち上がる。
「承知致しました。お体を洗うのは、いかがでしょうか?」
「一人で大丈夫です」
「お体を拭くのも……」
「もちろん、自分でできます」
「承知致しました。ではお風呂から出られましたら、お声がけください」
マリアリアはそう言うと、無表情でその場に立ちつくしている。
「あの、ここで待っているのですか?」
「はい」
「……出て行ってくれますか?」
「承知致しました」
一礼してマリアリアが脱衣所を出る。英司はふぅと大きく息をはいた。
服を脱ぎ風呂場に入ると、予想通り銭湯や温泉施設のように広い。使用人達も使うのだろうか。それとも英司一人のためでも、この広さなのだろうか。
この世界なのか、この国なのかはまだわからないが、ここには、貴族と平民という身分差が存在する。貴族と平民は、同じ風呂を使わない気がする。英司は貴族相当だし、この屋敷が貴族用のものだとすると、この風呂場は英司だけのものだろう。
アパートの風呂は膝を抱えるようにして入っていた。それと比べ、遠慮なく足をのばし、広い風呂でくつろげることはとても嬉しい。贅沢だが、無駄でもあると感じた。
体を洗ってから浴槽に入る。たっぷり湯につかり、足を伸ばす。
アパートの狭く小さな浴槽では、少しも疲れが取れる気がしなかった。しかし、このあまりにも広い浴槽では、自分が場違いなところにいる気がして、やはり気が休まらない。
異世界に召喚されたんだよな。
いまだに実感が湧いてこない。
目を閉じて深呼吸する。
何の違和感もない。
手足の感覚も、ハッキリしている。夢ではない。
おそらく、この世界の空気は、地球の大気と同じか近い組成だろう。重力も同様だ。ここで暮らしている人間についても、外人だと思えば、地球と違うところは見当たらない。
移動中、目にした動植物の種類は圧倒的に少ないが、やはり地球と似ていた。
でも異世界なんだよな。
ステータスウインドウが存在し、ジョブもスキルもある。
街並みも、料理も、食器も、人々の服装も、英司の好きなライトノベルの世界の範囲内だ。どう考えても、ここは、あこがれの異世界だった。
冒険者になって、ケモミミ獣人の少女とパーティーを組んで、ダンジョンを探索し、冒険者ギルドの美人受付嬢と仲良くなる。
異世界ならそれが可能だ。
チートスキルがあれば。
あるいは、勇者だったなら。
しかし、英司にその能力はない。勇者ではないし、スキルもジョブも戦いには向かない。鑑定、転移、無限収納(時間停止)の、お約束チートスキルもない。どうひいき目に見ても、最強主人公になれるとは思えない。
一流ぼっちENG。
ものつくりのジョブとスキルだ。
それでも、ライトノベルの主人公たちなら、このジョブとスキルで異世界無双するのだろうか。
自分が無双している姿は、想像できなかった。
目を開けて自分の両手を見る。たまに現場作業もしたが、基本は座り仕事。それゆえの小さな手だ。仮に冒険者になれたとしても、生き延びられない気がする。
それだけに、貴族待遇がありがたく感じる。金銭面では、公務員として給金ももらえる。異世界で生きて行くには、何の不都合もない。むしろ、リストラされた日本にいるより、好待遇だ。
でもやはり、せっかくの異世界召喚なのだから、チートな冒険者になりたかったという思いは、消えそうになかった。
風呂を出ると、着替えの服が用意されていた。身につけていた、薄くなったジャージや下着は、片付けられていた。
用意された衣服はこの世界のものだろう。下着もシャツも肌触りがよく、高級品なのだと分かる。綿か絹か。これが貴族扱いってことなのだろう。
着替え終わると、マリアリアが脱衣所に入ってきた。どこかから監視していたようなタイミングだった。
「お食事へご案内致します」
案内された食堂は、広かった。長く大きなテーブルの端に座る。食堂の壁際には、メイド達が控えている。しかしテーブルに用意されている食事は、一人分だけだ。今後は、これを当たり前のものとして、受け入れなれなければいけないのか。
アパートでとる一人の食事とはまた違った寂しさを感じる。
食事を終えると、マリアリアに寝室へと案内された。寝室と言うが、二十畳はありそうな部屋が三部屋続いていた。これだけで家といっても良い広さだった。泊まったことはないが、一流ホテルのロイヤルスイートや、インペリアルスイートと呼ばれる部屋より、広いかもしれない。一番奥の部屋にあるベッドは、二人で寝たとしても十分な大きさがある。キングサイズというものだろうか。
窓の外はすっかり暗くなっていた。
ぽつぽつと明かりが見えるのは、街灯だろう。
夜空には、今まで見たことがないほど、多くの星が瞬いていた。日本の夜空を覚えていないが、なんとなく星の配置が違う気がする。
「エイジ様、お休みになられますか? それとも、何かお飲み物をお持ち致しましょうか?」
「もう今日は寝ます」
英司はスリッパを脱ぎベッドに体を預けた。
ほどよい堅さの弾力。さらっとした清潔なシーツ。じめっとしたアパートの布団とは大違いだ。堅さや高さの違う枕が4つある。少し固めの低い枕を選んで頭を乗せ目を閉じた。
小説なら『意識を手放したのだった』と表記されるはず。
そう思いながら眠りに入ろうとした。
「添い寝や夜伽は、必要でしょうか?」
「えひょい!」
驚いて変な声が出た。一気に目が覚める。体を起こすと、ベッド脇にマリアリアが立っている。
「もしお好みの衣装があれば、着替えてまいりますが、いかが致しましょう?」
「いやいやいや、いりません! 添い寝も夜とぎもいらないです。一人で寝たいので、出ていってください」
「承知致しました」
「あの、部屋から出るってのは、この部屋だけじゃなく、寝室からですよ?」
「承知致しました。明日の朝は、いかが致しましょう? お好みの起こし方があれば、承ります」
一瞬、キスで目覚めたいと、不埒な考えが頭をよぎるが、すぐに打ち消した。
「……普通に起こしてください」
「承知致しました。それではおやすみなさい」
「おやすみなさい」
英司は一度ベッドを出て、マリアリアが完全に寝室から出たことを確認してから戻ってきた。
聞き耳をたてるが、何も音は聞こえない。
やっと一人になれたか。
英司はずっと、一人暮らしのわびしさを感じながら生活してきた。それなのに、誰かがそばにいることに、煩わしさを感じていた。
やはり自分は結婚に向かないのだろうか。
むずがゆい鼻をほじって、枕元のティッシュでくるみ、大きな音でおならを放った。
これは、誰かがいたらできないよな。
再びベッドに横になり、そのまま眠りについた。
異世界ぼっちENG 横山記央(きおう) @noneji
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