ゴジョーダンジョン最終防衛ラインにて
♠
ゴリゴリ⋯⋯。
ぼりん⋯⋯。
と、ナーガがウシワカを噛み締める。
まだ息耐えてないウシワカが助けを求めて悲鳴を上げるが、他のウシワカは近寄る事すら出来ずにいる。
数度
戦ってる最中に餌を食うだと⁉
何をしてるんだコイツは⋯⋯。
ミサキさん相手に余裕を見せつけてるのか⁉
違う。
発散する魔素が多すぎて気づかなかったが、ナーガの周囲で魔力の渦が発生してる。
コイツ、まさか復元を使ってるのか⁉
オレは眼を凝らしてナーガを見た。
間違いない。
闘いながら復元魔法を使い、ミサキさんから受けたダメージを回復してるんだ。
回復魔法には、大きく分けて2つの系統に分類される。
1つは、オレとミサキさんが身につけてる治癒魔法。
もう1つが、いまナーガか使った復元魔法だ。
治癒と復元。
似てるようで、実は全く別の魔法である。
治癒魔法は、人体の持つ自然治癒力を魔力を使って極限まで強化・増大させる魔法だ。
1つデメリットがあるとするなら、負った傷が回復するまで、身動きが取れず、それなりの時間を要する事だろう。
だが利点もある。
それが前述した超回復の恩恵だ。
それに対して復元魔法は、負傷した箇所を瞬時に元の状態に戻す魔法である。
実を言うと、復元魔法の原理は解明されていない。
治癒魔法と違い、人体の自然治癒力を用いることなく、肉体の損傷箇所を元の状態に戻してしまうのだ。
状態を元に戻すのだから、道理として治癒魔法のように超回復は起きない。
それでも戦闘中に瞬時に傷を回復させ、即座に戦列に戻れるとあって、復元魔法を
全く別の魔法なのだが、この2つの魔法には幾つかの共通点が存在する。
まず魔法をかける対象者が、生命体でないと治癒も復元も効かないという事。
虫の息であろうと、生きてさえいれば治癒と復元で助ける事は出来るが。
死んでしまった相手には、治癒も復元も掛かりはしない。
ゆで卵に復元魔法を掛けても、生卵に戻りはしないのだ。
もう1つは、魔法を行使する祭に、莫大なカロリーを必要とするという事だろう。
「長谷川くん」
こっちに顔も向けずにミサキさんが言った。
「コイツ、ズルい」
「どーしました⁉」
「コイツばっか、ご飯食べてる。あたしもお腹空いた‼」
自動発動する治癒魔法の弊害だ。
これまでの五回のダン活じゃ、ミサキさんを追い込む程の魔物に出逢っていない。
トマスの造ったアーマードスーツや防御魔法で防ぎ切れないダメージが
その蓄積したダメージを、治癒魔法が爆速で回復させる。
しかし、そのせいで彼女が普段の食事で溜め込んだエネルギーが底を尽き、戦う為の力さえ奪ってしまう。
マズいぞ、マズい。
このままだと先に力尽きるのはミサキさんの方だ。
「お嬢さん、ほれ」
トマスが投げて渡したそれを、ミサキさんが後ろにジャンプし、空中で一回転しながら受け取った。
「なんだいありゃ」
「サクランボや」
「サクランボ? 櫻の園で買ったのか⁉」
「櫻の園に行っといて、サクランボ買わんアホはおらんやろ」
「そりゃま、そうだけど」
闘ってる最中にサクランボを食う暇なんてあるのか⁉
「危ない──」
って、うわ~、華麗に避けるな。
猛り狂ったナーガの一撃をミサキさんが躱した。
ひらりとトンボを切って橋の
一掴みするなり頬張った。
サクランボの甘味に満面の笑みを浮かべたミサキさんに、ナーガの刃が四方から迫る。
絶命の剣を彼女は体操の選手のように、欄干の上で宙返りをして避けた。
さらに、そのまま左右に
スゴいぞ。
本当に、ぎりぎりの所でナーガの攻撃を躱してる。
ネットやテレビで活躍する冒険者が、時々『スキル一寸の見切り』なんてやってるが。
本物を見るのは、これが初めてだ。
一寸どころか、ミリ単位でナーガの攻撃を避け切ったミサキさんが、おもむろに口をすぼめて
ばきぃぃぃぃんっっっ⋯⋯
と、耳をつんざく衝撃音と共にナーガの剣が弾け飛んだ。
しかも、立て続けに四本。
ナーガが持つ全ての剣が川に沈み、橋の欄干から飛び降りたミサキさんがオレに言った。
「長谷川くん。あたしに考えがある」
一声、そう叫ぶやナーガに背を向け、ミサキさんが脱兎の如く駆け出した。
その後をいきり立ったナーガが追う。
えっ⁉
口から撃ち出したサクランボの種でナーガの剣を弾き飛ばしたのか⁉
いや、そんな事より。
「行くぞトマス」
「先に行けワシの脚じゃ、とても追いつかん」
加速魔法を使ってミサキさんの後を追うが、追いつけない。
なんて脚力だよ、まったく。
ナーガも鈍重そうな見た目をしてるが、その巨体は全身筋肉の塊だ。
長い身体をくねらせながら、矢のような勢いでミサキさんを追跡する。
2人共どこへ向かうつもりなんだ⁉
橋を越え、それが見えた時、オレは彼女の企みに気が付いた。
櫻の園だ。
櫻の園にナーガを誘い込むつもりなんだ。
ミサキさんが身構えた。
そこで大きく息を吸い。
全身に魔素を行き渡らせるや、突進して来たナーを巴投げの要領で投げ飛ばした。
ナーガ悲鳴が聞こえた。
投げ飛ばす瞬間、ミサキさんの両足がナーガを胸を力一杯蹴り抜いている。
本来なら、そのダメージはナーガの復元魔法によって帳消しになって筈だが。
櫻の園に投げ込まれた事で、急速に魔素が奪われ、復元魔法が使えないんだ。
跳ね起きたミサキさんが、もう一度大きく息を吸うなり力強く大地を蹴った。
なんだ、あの動きは⁉
まるで滑るように一気に間合いを詰めると、櫻の園から這い出ようとするナーガの懐に飛び込み。
彼女の長い髪が、
鋭い呼気を放ったミサキさんの掌打がナーガの胸を打った。
途端にビクンっナーガの全身が震えた。
彼女の掌を中心に、巨大な波紋がナーガの巨体に広がる。
身体の表面ではなく、内側に直接ダメージを負わせる中国武術の奥義。
大きく開いたナーガの口から大量の血が溢れた。
さらにミサキさんがたたみ掛ける。
二重、三重に、津波のように波打つナーガの腹に肘を打ち込むと、くの字に身体を折り曲げたナーガの胸目掛けて、真下から体当たりをぶちかましたのだ。
櫻の園の硬いレンガ敷の地面に、巨大なクレーターが生じる程の衝撃。
その威力の全てをナーガに叩き込む。
背骨のへし折れる音が聞こえた。
ナーガの巨体が大きく傾いだ。
周囲を取り囲む桜の樹に、全身の魔素を食い尽くされたナーガに、復元魔法を使う余力はない。
決まった。
そう思った瞬間。
ナーガの長い尻尾がミサキさんを絡め取るや、一気に絞り上げたのだ。
いかん‼
迷ってる暇はない。
オレは地面に散らばる微細な砂粒を巻き上げ、左手に集めるなり巨大な熱と圧力を加えた。
さらに大気中の水分を右手に凝縮し、ガラス質に変異した砂粒を、圧縮した水と共に一気に放出する。
蜘蛛の糸のように細い水の刃が、一瞬にしてナーガの頸と尾を両断した。
「ミサキさん」
桜の樹にナーガとミサキさんの区別などない。
彼女の身体からも容赦なく魔素は搾り取られている。
魔法の底上げがない人間の力など、魔物のナチュラルな力の前ではひとたまりもない。
「ダメだ、ダメだ、ダメだ。息をしろミサキさん」
アーマードスーツを引っ剥がして心臓マッサージをする。
ここではオレの治癒魔法も使えない。
胸の谷間にある彼女の刻印も消えてる。
ミサキさんの胸骨が砕ける感触がオレの掌に伝わって来たが、そんな事を気にする時じゃない。
骨折の治療なら、後で幾らでも出来る。
いまは生命維持が最優先だ。
「AED‼」
オレは叫んだ。
櫻の園にいる一般客に、医者や看護士はいねえのかよ。
彼女の高い鼻をつまみ、唇を重ねて息を吹き込む。
ダンジョン内で魔法を使えない状況なんて幾らでもある。
櫻の園のような魔力枯渇地帯は、世界中のダンジョンに点在してる。
だからプロの冒険者は、まず魔法を使わない人命救助法を学び、それを習熟する必要があるんだ。
「ダメだ、ダメだ。死ぬなミサキ」
彼女に息を吹き込もうとした、その時、
「何やってんだオモチ。邪魔だどけ」
薄緑色をしたスライムが彼女の顔に覆い被さり、その鼻と口を塞いでしまったのだ。
「どけ」
そう叫んだ瞬間。
ミサキさんの手から外れ掛けていたガントレットが・小さな音を立てて変形したのだ。
「なに⁉ 魔素が無いのに⋯⋯」
まさか、お前。
スポブラ越しに見える胸の谷間に、うっすらと浮かび上る刻印がある。
自分の魔素をミサキさんに送り込んでいるのか。
「オモチ酸素もだ、酸素も送り込め」
心臓マッサージをしながらオレは言った。
どれほどの時間が経ったのだろうか。
一瞬のような気もすれば、数時間のような気もする。
ポタポタと前髪から汗の雫を滴らせるオレに向かって、ミサキさんが困ったような眼を向けていた。
「⋯⋯また、勝手に、人の胸揉んでる」
オレはモノも言わずに彼女を抱きしめた。
「ちょっと、痛い。痛いよ長谷川くん」
「そりゃ痛いよ、全身の骨が折れてんだから」
「全身、全身骨折⁉ ウソ‼」
「動かないで、櫻の園の外に出ればすぐに治るから」
運ばれて来た担架にミサキさんを横たえたオレは、もぎ取った特大のサクランボをオモチに与えた。
「お前、ほんとにスライムなのか⁉」
桃の実ほどもあるサクランボを瞬時に消化したオモチが、オレに向かって親指を立てたように見えた。
♠
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