察しが悪いぞ、長谷川くん


 ♠



あちゅい⋯⋯」



 オレの後ろをついて来ながら、延々とミサキさんのグチが続いてる。

 まあ確かに暑い。

 オレも仕事じゃなきゃ、こんな場所には長居したくない。

 汗は拭う暇もなく次々と噴き出すし、喉も乾く。

 オレは魔法でキンキンに冷やした水をミサキさんに渡した。

「飲んで」



「冷たい‼ 美味しい」



 水筒を口に運ぶ時もオモチを抱きしめる手を放しやしない。

 よっぽど気に入ったのね。

「はい、長谷川はせがわくんも」

 戻って来た水筒に口をつけて、オレも一口飲んだ。

 残りは三分の一か、少し足しておこうかな。

「でも凄いわね長谷川くん」

「うん⁉ なにがです?」

「そんな軽装備に見えて、何リットルも水を運んで来てるなんて」

「ああ、それですか。水は魔法で作り出せるんですよ」




「魔法ッ⁉」




「ええ、魔法で」

「魔法が使えるの長谷川くん⁉」

「言ってませんでしたっけ?」

「聞いてないわよ‼」

 あ、眼が爛々らんらんとしてる。

 オモチを抱っこする手にも力が入ってるのか、胸の谷間にはさまったオモチが、ヒョウタンみたいに変形してるぞ。


「ダンジョンに入った人間は、大なり小なり魔法が使えるモノなんですよ」

「あたしは使えない‼ なんで⁉」

「そりゃだって、ブリュートしてないから」

「ブリュート⁉」

「ええ、ブリュート」

「ブリュートってドイツ語よね。確か咲くとか、開花するとか、そんな意味だったかしら」

「えっ、ええ、そうです」

 なんでドイツ語が分かるんだ、この人。

 そうか製薬会社に勤めるぐらいだから、大学は薬学部に通ってるのか。

 才媛さいえんじゃねえか。


「で、何が開花してないの?」

「人間の脳には、もともと魔法器官とでも言うべき領域があって、それがダンジョンに入る事で、と、いうか魔素に触れる事で刺激を受けて、隠された能力が目覚めるんです」

「能力が目覚める?」

「人によって様々なんですけどね。オレの場合は、水を生み出す能力が開花しました」

 そう言ったオレは、右手の人差し指をミサキさんに見せた。

「入れ墨が入ってる?」

刻印タリスマンです」

「刻印⁉」

「魔法が使えるようになったあかしのようなモノですね。初めて魔法を使った時に、指先に刻まれました」

「初めて⁉」

「ええ」


 オレが初めて魔法を使ったのは、こことは真逆の砂漠のダンジョンだった。

 事前にリサーチして水を多めに運び込んだのだが。

 今考えると初めてのソロダンジョンで浮かれてたのだろう。

 魔物退治に夢中になりすぎて、水を貯めたタンクに亀裂が入ってのに気がつかなかったのだ。

 気づいた時には、もう遅く。

 そのヒビから水が漏れ出し、ほとんど蒸発した後だった。


 その時、オレがいた場所は、ダンジョンの入り口から徒歩で二日以上離れた場所だった。

 通常のダンジョンなら、どこかに必ず給水ポイントがあるものなんだが、生憎砂漠のダンジョンで、そんなモノはどこにも見当たらない。

 飲めるモノは、とにかく自分の小便まで飲んでダンジョンの出入り口を目指したが、遂には力尽きて倒れてしまった。

 あぁ~、ここでオレは死ぬんだな~。

 これでダンジョン遭難者リストの仲間入りか。

 なんて事をボンヤリと考えていた。

 その時だ。

 右手に強い電流のようなものが走ったのた。

 反射的に手を上げると、オレの顔に水滴がしたたり落ちて来たのだ。


「これがオレのブリュート体験です」

「それでどうなったの」

「なんとか生き延びてダンジョンを脱出しました」

 自分の人差し指を口に咥えて、むさぼるように水を飲んだのを、昨日の事のように覚えてる。

 それ以来、オレの一番大事な魔法になっていた。

「それって、あたしも今日経験できるかな?」

「う~ん、どうでしょう? 難しいかも」

「なんで⁉」

「ブリュートってのは、渇望かつぼうなんです」

「渇望?」

「自分が、今、一番欲してるものが魔法という形で開花する現象がブリュートなんです」

 オレは水を求めてた。

 それこそ喉から手が出るくらい、水が欲しくてたまらなかった。

 その渇望が、水を生み出す魔法の開花につながった。

 これがブリュートだ。


「必然的に命の危険でも迫ってない限り、ブリュートなんて起こしません」

「でも、さっきダンジョンに入った人間は、誰でも魔法が使えるって」

「訂正します」

「うん?」

「ダンジョンで生活してる人間は、大なり小なり魔法が使えるんです」

 日帰りでダンジョンに通う人間と、月の半分以上をダンジョンで過ごす人間とでは、必然的に魔素に触れている時間が違ってくる。

 命の危機的状況に出くわす機会もだ。


「ダンジョンで生活って、長谷川くんみたいに?」

 左右をキョロキョロ見回しながらミサキさんが言った。

「そうです」

「それってズルくない」

「ズルいって言われてもな~」

 オレは苦笑を浮かべた。

「ミサキさんは毎日はダンジョンに来れないでしょう?」

「──確かにそうだけど」

「それにダンジョンの探索なんて興味ないでしょう?」

「それは違う。ほんの少しだけ興味が湧いて来た⋯⋯」

 なんだろう?

 さっきから変にソワソワしてるよなミサキさん。


「そうなんですか? だったら今度知り合いのチームを紹介しますよ。彼らもだいたい土日にダンジョンに潜ってるから、ミサキさんとタイミングが合うと──」

「え⁉ 長谷川くんは付き合ってくれないの?」


 モジモジ。


「オレは、ほら、ディープダイブがメインの仕事だから」


 モジモジ、ソワソワ。


「そ、そうなんだ、なんかちょっと残念だな」

 顔が真っ赤だな。

 それに何か上の空だし。

 どうしたんだ⁉

「ミサキさん」




「はいっ」




 モジモジ、ソワソワ、ちらちら。

「どこか具合が悪いんじゃ?」

「そ、そーゆー訳じゃないのよ⋯⋯」

 そう言って再び左右を見回したミサキさんが、

「ちょっ、ちょっとお花をみに行ってくる」

 オモチを抱いたまま、そそくさとその場を離れた。

「お花? そっちに花なんて咲いてませんよ」

 この階層は、樹林と、湿地と、草地と、河で構成されるジャングルのような構造だけに、そこかしこに花が咲いてる。

 見た目も地上の花とほとんど変わりない。

 カラフルで、可憐で、見てるだけで心が癒されるような気分にな。

 ただ、ダンジョンという異世界に咲く花だけに、むやみに触れるモノじゃない。

 どんな成分を、その蜜や花弁に潜ませているか分からないからだ。

 まして発生したばかりで、調査が不十分なダンジョンで花を摘むなんて絶対にしちゃいけない事だ。


「ダメですってミサキさん、まだ検査が済んでないから、花なんか摘んだらどんな事が起こるか」

 オレは後を追った。

「ついて来ないでよ長谷川くん」

「はぁ⁉ なんでです? 離ればなれになるのは危ないでしょう。迷ったら出られなくなりますよ」

「だ、大丈夫だから」

「大丈夫じゃないって、出入り口知らないでしょ──」




「生理現象よ‼」




 立ち止まったミサキさんが、回れ右してキッと強い視線をオレにぶつけた。

「女子がお花を摘みにって言ったら、黙って見送るのが男子のエチケットでしょ‼ 皆まで言わせないでよね、恥ずかしい。察しが悪いな長谷川くんは‼」

「あっ⋯⋯、これは失礼しました」

「オモチ預かってて」

 そう言って耳まで真っ赤にしたミサキさんが、地面をガッシリと掴むように根を張った樹の陰に隠れた。

 オレは預かったオモチを抱えたまま、深く息をついて、ほんの少しだけ距離を取った。


〈トイレなら、トイレだって言ってくれりゃいいのに⋯⋯〉


 ついさっき知り合いになったばかりの野郎にゃ言える訳もないか。

 なんか凄く話しやすいし、気も使わなくて良い感じだから、数年来の友人と勘違いしてしまいそうになるけど、知り合ってまだ数時間も経ってないんだよな。

 あの様子。

 相当、我慢してたんだろうな。

 悪いことした。

 でも、よくよく考えたら500mlのエナジードリンクを五本も空けて、ビッグサイズのカップ麺を二杯完食し、今も水分補給の為に水筒の水をがぶ飲みしてたんだ。

 膀胱がパンパンになって当然だな。

 少しは気を使えよカズマ。




「長谷川くん‼」




 悲鳴のような声が聞こえてオレは振り向いた。

 駆け寄ったオレに岩陰に身を潜めたミサキさんが、小声でささやくように指さした先にそれがいた。



 ♠



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