お餅⁉


 ♠



 スライムだ。

 打ちたてのお餅のようにまん丸としたスライムが、ストッキングを履いたミサキさんの脚に、頭をこすり付けるネコのようにすり寄ってた。

 半透明で、緑茶のような色をしたスライムが。

「それ? どーしたの⁉」

「エサをあげたら懐かれちゃって」

「エサをあげた⁉ ダンジョンの生き物に、勝手にエサをあげちゃダメだよ」

「わざとじゃないのよ、わざとじゃ。あたし何でか知らないけど、こんなとこに飛ばされたじゃない」


 オレは無言で頷いた。


「ここ暑いし」


 確かに気温は40度近い。


「むしむしするし」


 湿度は80パーセントぐらいある。

 不快指数は100パーセントを超えるだろう。

「だから喉が乾いて、それでエナジードリンクを飲んだのね」

 この気温と湿度じゃ、飲んだ端から汗になる感じだろう。

「そしたら部長の顔が頭に浮かんで、何であたしが、こんな場所で、こんな苦労をしなきゃいけないのよ‼ って、無性に腹が立って、思わず空き缶を投げちゃったの⋯⋯」

「ダンジョンにゴミを捨てちゃいけません」

 こんな時に、そんな事を言うなって?

 ダンジョンのゴミ問題って、本当に深刻なんだよ。

「わかってるわよ。だから拾おうって駆け寄ったら、この子が」

「そのスライムが」

「空き缶を食べちゃったの」



「はいっ⁉」



「だから、この子が空き缶を食べちゃったの」

 スライムが空き缶を食べた⁉

 いやいやいや、有り得ない。

 スライムってのは確かに悪食あくじきだ、何だって取り込んで栄養に変えちまう。

 ダンジョンの掃除屋なんて別名もあるぐらいだから、スライムは本当に何でも食べる。

 枯れ草も食べれば、落ち葉だって食う。

 腐った果物も、硬い木の実も、死んだ魔物の遺体を処理するのもスライムの役目だ。

 なんだったら他の魔物のクソだって食っちまう。

 にごった河に数匹のスライムを投げ込んどけば、勝手に数を増やして河の環境を改善し、数年後には清流の出来上がりって寸法だ。

 本当に何でも良く食べる。

 小学生なら担任の先生に表彰ひょうしょうされてるところだ。


 それぐらい悪食なスライムでも、唯一食えないモノがある。

 それが無機物だ。

 樹の皮だって食べるスライムでも、石ころは食わない。

 それに付着するアミノ酸とかの有機物を取り込んでも、石ころ自体は吐き出すのが普通だ。

 同じ理由でアルミ缶なんて絶対に食わない筈なんだが。


「コイツがアルミ缶を食ったって⁉」

 ミサキさんが無言で頷いた。

「幾つ?」

「5つ」

「5つも‼ エナジードリンクを5本も飲んだのか⁉ いくらなんでも飲みすぎだよあんた」

「仕方ないじゃない。他に飲むモノなんて無かったんだから。長谷川はせがわくんが来るまで、あたし、こんな所で一人ぼっちだったんだよ」

「分かりました、分かりましたから泣かないで」

 泣かせてしまった。

 グスグスと鼻を鳴らしてるミサキさんを前に、オレは何だかスゴくばつの悪い思いを抱いた。

 どーしたもんかな、こりゃ。

 こんな時は、素直に謝るのが一番だな。



「え~っと、あ~っと、なんか、すいません言いすぎました」



「いいわ、許したげる」

 チーンと高い音を立てて鼻をかんだミサキさんが、キッと鋭い視線をオレに向けた。

「その代わり、それをあたしによこしなさい」

「それ?」

「それ‼」

 オレが片手に持ってるカップ麺を指差して言った。

「さっきから見てるけど、一口も食べてないじゃない。お腹が空いてるから、それをあたしによこしなさい」

 そう言うなり、ふんだくるようにオレの手からもぎ取ったカップ麺を思いっ切りすすった。

 本当に美味そうに食うな、のびきってんのに。

 よっぽど腹が減ってんだな。


「しっかし、見た事ないな、こんなヤツ」

 スライムってのはアメーバや粘菌ねんきんみたいに、形が定まってないのが普通だ。

 ロータス効果を起こした水滴みたいに、きれいに丸まってるのは見たことがない。

 なにより、この深層二十階でスライムを見るのは、これが初めての事だ。


 それにスライムは常に群れで動く。

 ダンジョンの生態系の下支えをする存在だけに、天敵も多く、数の力で種の存続を図るためだ。

 単体で行動するスライムなんて見た事がない。

 はっきりとは言えないが、これが本当にスライムなのかも疑わしい。

 オレは、そっと手を伸ばしてスライムに触れた。

 得体の知れない魔物を素手で触るのは危険なんだが、ミサキさんの脚にすり寄ってるし、何よりミサキさん自身、なんの違和感も感じてなさそうだから大丈夫かな。




 お~、柔らかい。




 柔いぞ、こいつ。

 このムニムニと柔らかいのに、プルンとした弾力があって、圧したら圧した分の力で指を押し返す、この感触。

 そうだよ胸だ。

 おっぱいの感触だよ、これ。

 思わずミサキさんの胸元を凝視してしまった。

 こんな時に、なに考えてるオレ。

 あ~、でもスンゴイ気持ちいい。

 コイツ、ヒンヤリしてるし、ぷるぷるスベスベしてるし、ずっと触ってたい。

 この蒸し暑い空間で、変温動物のスライムがヒンヤリしてるのは、なんだか不思議な感じだ。

 それに⋯⋯、


「強いな、魔力が」


「魔力⁉」


「深層二十階の濃い魔素のなかで生まれたからなのか、オレの知るどのスライムより魔力が強い」

「それってレアってこと?」

「レア⁉ そうだねレアな個体だ」

「良かったね~オモチ。あんたレアモンフターなんだって」

「オモチ⁉」

「そうオモチ‼」

「コイツに名前をつけたのか?」

「だってなついてるし、連れて帰っちゃダメかな」

 そんな、ねだるような上目遣うわめづかいでオレを見ないでくれ。

「ダンジョン内の生物を、外に連れ出すことはできません」


「なんで?」


「通常空間の生態系が崩れるからですよ」

「通常空間って?」

「あ~っと、地上のことです」

「生態系が崩れるから連れて帰れないっての⁉」

「そうです」

「なんで⁉」

「だから生態系が──」

「なんで生態系が崩れるって分かるのよ」

「以前にも同じようなことがあったからですよ」


 今から400年ほど前。

 ダンジョン探索が、今ほど洗練もされず、研究もされていなかった乱暴な時代の事だ。

 ダンジョンから何種類もの魔物が地上に連れ出された。

 そのほとんどは魔素の存在しない地上に適応できずに衰弱死したが、幾つかの魔物はうまく変化に対応して、しぶとく生き延びた。


 例を挙げればキリがないが、アメリカでリョコウバトを駆逐くちくしたスカイフィッシュなんかは、その典型的な例だろう。

 いまさら捕まえようにも、超音速で飛び回るスカイフィッシュを、魔法無しで捕らえる手段なんてありやしない。

 増えるに任すしかないのが現状だ。

 もっとも、全てに害がある訳じゃない。

 人間と上手く共存してる魔物もいる。

 チワワなんかは、その代表例になる。



 ん⁉



 なんだ知らなかったのか?



 チワワは、元は魔物だよ。


 あとパグも元魔物だ。


 チワワよりも、パグの方が魔物の血が濃く残ってるのか、時々先祖返りしてたりする。

 何年かに一度の割合で、人面犬なんてのがちまたで騒がれるだろう。

 ありゃ先祖返りしたパグが目撃されてんだよ。


「う~っ」


 唸られても、どうにもならんよ。

 それにスライムは魔素がなければ生きていけない。

 地上に出た途端に、肉体を維持できずにコイツは溶けちまうだろう。


「仕方ないわねオモチ。あたしたちは結ばれる運命になかったんだわ」


 そう言ったミサキさんが、膝に抱えたオモチをひしと抱きしめた。

 なんだろう。

 うらやましいぞオモチ。

「お別れは済みましたか?」

「あと、もう少し」

「地上に戻るんでしょ」

「うん」

「いまなら終電に間に合いますよ」

「よっし、行こうか長谷川くん」

 ハグしてたオモチを、そのまま抱きかかえたミサキさんが、肩で風を切るような勢いで颯爽と歩きだした。



「ダメですって」



「だめ~⁉」

「ダメです」

「ど~しても⁉」

「どーしてもです‼」

「せめて、ここから出る時まで、一緒にいちゃダメかな⁉」



 も~、この人は⋯⋯。



 頼むから、そんな潤んだで、オレを見つめないでくれよ。

「仕方ないですね。この階層を出るまでですよ」

「よかったねオモチ。ありがとう長谷川くん」

 そう言ったミサキさんがオレに抱きついて来た。


 オモチ⋯⋯。


 お前、ジャマ‼



 ♠

 


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