第5話 「リリーの書 第一節 創世」

 「リリーの書 第1章 創世」より一部抜粋


 世界がまだ輪郭をもたないでいた頃、人間は2人の女神と穏やかに暮らしていた。民族のくくりが生まれる以前、人間は大きな1つの群れのように仲良く豊かに暮らしていた。

 おおよそ文明と呼べるものはなく、広大な自然の中で生きる姿は、鹿が地面を駆け、鷹が空を飛ぶのと何も変わらない。動物を狩り、植物を育て、まだ単純だった世界で自然に従って生きていた。


 何をもっても最も重要な摂理は、見渡す限りの自然にあった。木々の太い幹や大地の地脈の連続はこの世の何よりも力強く、そして何をも凌駕りょうがした。

 ただの1人だってそれを我が物にしようだとか、自分に都合の良い形に作り替えようだなんて思いつく者もなく、文字や史書といった文化はなかったが、地面が誰のものでもないことは誰しもが当然に理解していた。


 女神たちはそんな人間をいつくしみ、また、人間も彼女たちに供物を捧げたり、踊ってみせたりして感謝を示した。

 この2人こそ、聡明で気高い星の女神リリーと、活発で好奇心旺盛な海の女神ベラである。姉妹は人智を超えたさまざまな術を操り、降り注ぐほどの恵みを与えた。人間を含むすべての生きものはそれを享受きょうじゅし、感謝しながら日々を生きた。


 ベラが乾いた土地に小さな泉を生み出すと、その水は溢れ、わずか3日で海となった。透けるように澄んだマリンブルーには賑やかしい新たな命が育まれた。海の存在は、人間の食事をより豊かにし、荷物の輸送や人の行き来を簡便にした。


 一方のリリーは夜空に星を撒き、暗い夜を明るく照らした。星の瞬きや並びは、時間や季節の移り変わりを示した。しかし、原初の人々にはリリーの思惑よりもむしろ、目を楽しませるものとして喜ばれた。

 漆黒の空で清廉な輝きを放つて星や、周辺の雲間まで色づかせる赤星、そして今にも零れ落ちそうな満点の星空に人々は目を奪われた。

 リリーは優しく賢い女神だったので何度も人間を導こうとしたが、彼女の言葉は人間には聞き取れない声色だったため、その思いを伝えることができなかった。方向を示すこともままならず、彼女はよくやきもきしていた。目に訴えることができる星を使ってもうまく意思の疎通がとれないことに、彼女は肩を落としていた。

 しかし、ある時現れた瞳のない人間の一団にだけは何故だか彼女の言葉を聞き取ることができた。そのためリリーは彼らを通して知恵や予言を伝え、人々に恵みをもたらした。

 人々はリリーに敬意を示すように、彼らをリリアナと呼んで尊敬した。

 リリアナはリリーの声を聴き、その意思を伝えることを使命として船で各地を放浪するようになった。彼らは船の上にいながらも、リリーが遣わした海鳥の声を聞き、彼女の言葉を知ることができた。


 さて、今世に続く民族の別は、ベラが心優しい人間の男と恋に落ち、夫婦となったことに始まる。女神と人間は5人の子どもに恵まれ、子どもたちもそれぞれに特別な術を操ることができた。

 リリーとベラはじきに魂だけの存在になることを悟り、子どもたちに自分たちが守ってきた大陸と島、そしてそこに生きる人間たちを治めるように託した。


 リリーが肉体を捨て去る直前までリリアナは主の元を離れなかった。リリーは、彼らの瞳に星屑を注ぎ込み、自分の姿がなくとも星を通して自分の意思が伝わるようにをかけた。


 のこされたベラの子どもたちは言いつけどおり、任せられた土地と民を母や伯母と同じ位いつくしんで大切に守ることを誓った。


 兄弟は姉妹とは違って、別々に思い描く思想があった。人間は、自分が賛同する神を選びとり、彼らの治める土地に渡っていった。

 それが今世に続く民族の始まりである。


 最も先進的な考えをもち、礼節を重んじる美貌の長兄クシャナの元には、明晰な頭脳をもつ人間や正義感の強い人間が集まり、後のクラト人とナーゴ人となった。

 

 強烈な日が差す枯れた大地を任された陽気な次兄ベルルカンの元には、明るく逞しい人間が集まり、後のベルガル人とカーリヤ人となった。


 兄弟で最も屈強な肉体を持ち、最も慈悲深い三男のガロの元には、身体が小さく商売を生業とする人間が集まり、後のガーデル人となった。


 最も魔法に長けた四男のプーシェは人間の住むことができない土地を任されたため民をもたず、気楽に兄弟たち、特に弟のシャルルの手伝いをした。


 そして、ほとんど魔法を使うことができない末弟シャルルの元には、彼の人柄を愛する穏やかで優しい人間が集まり、後のシャリア人となった。


 人々のほとんどは、いつしか独自の文化をもち、いずれかの神の元で暮らすようになった。


 リリーに永遠に仕えることを誓ったリリアナと、神なしの民バラバリアを除いて。

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