第12話 初日の終わり

 癒療部と書かれた扉が見えたが、立ち寄るつもりはなかった。

 タナさんの忠告を無視するのも気がひけはするが、こんなことの為に、他部署に迷惑を掛けてしまうのも悪い気がして。

 外れた関節ならば、押し込めば治る。多少の痛みは伴うが、耐えられない程じゃないと知ってもいる。なら自分でどうにかした方が早い。


 少し歩いた先に、トイレを見つけた。

 そこはごく普通の男子トイレ。中を確かめると、今は誰も利用していないらしい。

 丁度良い、ナイスタイミングだ。

 いつもポケット等に入れてある痛み止めを飲み、トイレの便座に腰を下ろす。

 右手で左肩の関節を確かめ、ズレを戻すように押し込む。……こういうのは勢いが大切だ。


「つ、っ……」


 身体の内側で骨が動く音がした。鈍い痛みがじわりと広がる。

 とはいえ、ただの痛みに過ぎない。少しすれば引いていくだろう。


 痛みが引いてきた頃。一応トイレを流し、手を洗う。

 先ほど暴れてしまった時についた手の傷は、水で洗うと少し痛みはする。

 でも既に塞がり掛けていたし、仕事をする分には問題ないだろう。見られたら適当に言い訳すればいい。

 鏡を見たら、口の端に少し血がついていたのでついでに顔を洗っておいた。

 ……服が血や胃液で汚れなくてよかった。






 ―――――― ◆ ◇ ◇ ――――――






「あ、雨宮くん。お帰りー」


 神祇部に戻ると、それに気づいたアスカに声を掛けられた。


「どうだった?」


「ええ……創造部の工場はすごかったです、いろいろあって。今度何か教えてもらおうかと思いました」


 創造部で見たものを振り返る。聖剣の鍛造や魔法少女の変身アイテムの開発部門。他にも色々なものがあの場所で作り出されていた。

 あれほどの規模の工場は、本当に見たことが無い。


「終末部はちょっとおっかなかったでしょ、いかにもあの世、って所だから」


 アスカが続けて終末部について聞いてきた。

 まあ……骸骨が居たことはさておき、それ以外はそこまであの世然とした雰囲気は感じない。

 神殿と夜空、逆に美しいとすら思えた程だ。一般に言う〝地獄〟のような、苦痛の響くおどろおどろしい場所、という様子は感じなかった。


「はは、……でも、タナト――いえ、タナさん優しかったですよ。他の人達もいい人でした」


「そっかそっか。なら安心だね」


 アスカが笑顔を向けてくる。

 思えば、彼女は良い笑顔をする女性だ。心の底から、笑みが浮かんでくるタイプの人なのだろう。


「そうそう、今日は後、この書類を片付けて欲しいんだ。休憩は適当に取って良いし、終わったら帰っちゃっていいから」


 彼女がよっこらしょ、と紙束をデスクに持ってきた。

 ……結構な量がある。100枚、いやもっとあるかもしれない。


「創造部と終末部に振り分ける予定の依頼なんだけど、優先度をつけて分けてくれるかな」


「殆どは、神様が自分の権能を示す為の触媒製作の依頼だったりするんだけど……出来る?」


 一枚目を見てみると、如何にも緊急であるという語調で、何かの製作を依頼する文面になっている。

 つまり、彼女が望んでいるのは、これらの中で〝本当に優先度が高いもの〟を選び取れ、ということなのだろう。

 その為に、彼女は二つの部署へ見学も兼ねた挨拶回りに行かせてくれたのかも知れない。


 ――これなら出来る。問題ない。


「わかりました」


「それじゃよろしく!」


 そう言うと、彼女はパタパタと戻っていった。忙しない人だ。






 ―――――― ◆ ◆ ◇ ――――――






「ふーむ」


 上から何枚かを取って斜め読みしてみる。創造部への依頼や、終末部への依頼などがごちゃ混ぜになっているようだ。

 それならまずは、それぞれの部署に振り分けよう。


「……よーし、やるか!」


 目の前の紙束を相手に気合いを入れて。


 まずは、大まかに書類を3つの区分で分けることにした。

 1つ目は創造部への依頼、2つ目は終末部への依頼、最後に〝両方、またはそれ以外〟。

 3つ目の区分を用意したのは、どちらか一方では対応しきれない可能性、もしくは全く無関係である可能性を考慮してのことだ。

 デザイナーに割り振るべき仕事なのか、エンジニアに割り振るべき仕事なのか、それともどっちも関わってくる仕事なのか。

 前職でもやったことだし〝誰に頼むか〟を見極めるのは仕事の簡法のひとつだ。


 書類の束をざっくり斜め読みして、先に決めた区分に振り分ける。

 ひとまず優先順位は関係ない。作ってもらいたいものがあるのか、あの世関連の話なのか、それともそれ以外、もしくは判断の付かないもので区分すればいい。

 全ての書類を3つの区分に振り分けるのに、そこまで時間は掛からなかった。


「(……次は、簡単なものからだな)」


 この状況における簡単なものは創造部へ振り分ける案件だ。物量としては書類全ての2/3程度はあるものの、そこまで難しい話じゃない。

 創造部向け、として振り分けた書類の束をまず1課、2課、3課宛てに分けていく。

 1課は物作り全般、2課は概念の付与、3課は量産と、説明を受けている。それなら割とわかりやすい。


 創造部の各課への分別を終えたら、次は終末部の書類に手をつける。

 どちらかと言えばこちらの方が厄介だ。内容を見てみれば転生者を希望するものだけではなく、死者の魂があふれかえっているので人手を貸して欲しい、といったものまであった。

 とりあえずは転生者案件と、それ以外に分けておく。


 最後に残った〝両方またはそれ以外〟の区分が一番厄介だった。

 転生者に最初から装備させておきたいものがほしい、といったものならわかりやすいが、そうじゃないものが多い。

 何より〝どちらの部署でも対応してなさそうな〟ものがいくつかある。これは最後に確認すればいいだろう。

 念のため、付箋を貼り、所感をメモ書きで残しておいた。


「(さあ、もうひと頑張りだ)」


 最後に残ったのは優先順位付け。

 文面は大半が緊急を要するような文言で記載されている。だが、本当に重要性の高そうなものは、そう多くないはずだ。

 しかし、それを見極める為の情報をまだ把握し切れていない。なら、発想の転換、新たな着眼点を得る必要がある。発想の転換、自分が持っている情報から、新たな糸口を導きだし、構築し直していく。


 ふと、思い至った。

 ――もしこれがゲームや物語の世界だったら、どういった要素、どういった要件が重要なポイントになるだろう?


 想起されたキーワードは〝勇者、または魔王〟……加えて〝世界の危機〟というもの。

 勇者や魔王というのは物語においては重要な特異点たり得る。それらに関する依頼なら、重要性は高いはずだ。

 世界の危機、というのも同様に、大抵は世界が停滞、もしくは危機的な状況に瀕すれば、抑止力カウンターとしての勇者や魔王、といった特異点的な存在が誕生するもの。

 元より世界崩壊を防ぐのが役割なのだから、これもまた重要性が高いはずだ。


 〝基準〟が決まれば、後はそれに従って優先付けをしていく。

 優先順位を1が高く3が低い、と決め、それぞれの部署宛ごとに仕分け、付箋を貼り、クリップで纏めて。

 全体を通してみれば、優先度高め、と判断したのは10枚程度、それ以外は通常、あるいは低めと振り分けるに値した。

 …………神々ってのは、結構ワガママらしい。


「――ふう」


 任された仕事が終わった。

 後はこれをアスカに渡し、確認してもらう。ついでに部署違いと思われる書類についても聞いてみるだけだ。






 ―――――― ◆ ◆ ◆ ――――――






「アスカさん、一通り仕分け終わりました。こっちが創造部向け、こっちが終末部向けで束ねてあります」


 アスカの元へと書類の束を持って行く。

 彼女はそれを受け取り、手慣れた手つきでぱらぱらと流し見して、簡単に確認してくれている。


「うん、ありがとう。――よく纏まってるよ、一応再チェックするけど、これなら大丈夫そうだね」


「あとこの3枚ですが……どれも別の部署宛な気がします。遺物の回収依頼が2枚と、秘蹟の認定希望とのことで」


 彼女の確認を待ち、紛れていた3枚を改めて提示する。

 ……若干渋い顔をしている。表情に出やすい人でもあるのかもしれない。


「あれ? もしかして紛れてた?」


「はい、一応どっちの部署でも対応外な気がするので弾いてました」


「あー……ごめん、確認したつもりだったんだけど……よく気づいてくれたね、偉い偉い!」


 どうやら、書類が紛れていた事については彼女にとっても意外だったらしい。

 彼女はこちらの頭に手を伸ばし、わしゃわしゃと撫でた。

 ……猫とか犬とかじゃないんだから。と言いたくなったがとりあえず黙っておこう。恥ずかしいが、気持ちが悪いわけじゃない。

 ……撫でられるのは、昔から好きだった、と思う。


「うん、じゃあ今日はもう帰っていいけど……手、大丈夫? ちょっと痛そうだけど、何かあった?」


 ――気づかれたのか?

 いや、痛みはとっくに引いている。じゃあ、傷を見られたのかもしれない。

 意外にめざといな、この人は。だが、こういう時の返答は既に考えてあった。


「あ、いえ、何でも無いです。――帰ってくる途中に転んですりむいただけなので」


 彼女相手に嘘を吐くのは、いささか気が引ける。目線を合わせれば、見抜かれてしまう気がする。

 だから、目線を合わせず苦笑気味に答える。深く追求されなければ、大丈夫だろう。


「……そっか。じゃあ、また明日ね、お疲れ様」


「お疲れ様です」


 ありがたいことに、彼女は追求してこなかった。

 デスクへ戻り、帰り支度をすませて裏口の前へ。


「お疲れ様でした、お先失礼します」


 同僚達へ向かって頭を下げる。


「お疲れ様!」


「お疲れ様でーす」


「また明日!」


 彼らは、笑顔で返してくれた。気のいい人達だ。

 此処なら、きっと……楽しく働けるだろう。






 ――――――――――――――――――――

 ◆簡法

  文字通り、簡単な方法の事です。

  どうやったら精度を保ちながら楽出来るかを考えておくのは、

  仕事をする上で大切なことかもしれません。

  でも他人に丸投げするだけだと身につかないので要注意。

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