第8話 初出勤


 怒濤の一日が終わり、帰宅してアパートの扉を開けたときには、どっとした疲れが舞い込んで、倒れ込むように寝てしまった。

 突然の最終面接、神との出会い、そして何故か若くなった自分……。驚きと戸惑いの連続だ、きっと、脳には多大な負荷が掛かっていたのだろう。

 オーバーヒートした状態で、物事を受け入れてきたツケが、回ってきたのだ。

 しかし、その分ぐっすりと……久しぶりに深い眠りへと落ちた。

 制服のまま寝てしまったが、それにはシワひとつ付いていなかった。

 ……一応、風のあたりやすい場所に吊っておこう。

 

 その後の初出社までの2日間は、これまでの日常と変わりなく過ぎていった。

 世間一般も土日の休み、ということもあって、いつも通り、穏やかだ。

 1日目(土曜日)には、面接したカフェに行き店長に再就職が決まった旨を伝えた。彼は大層喜んでくれて「就職祝いだよ」と、箱に入った1本の万年筆をくれた。再就職が決まったときの為に買っておいてくれた、とのことだ。

 腕時計のような、目に見えるステータスも大切ではあるが、それより普段使いする筆記用具に良いものを使え、というのが彼の教えのひとつだった。

 大切に使わせてもらおうと思う。


 次の2日目(日曜日)には、宅配便が届いた。

 中身は、面接の日に着用していた服だった。全てがクリーニングされ、シャツにはのり付け、ジャケットの一部ほつれていた所はめざとく修繕されていた。

 数年の間に染みついていた煙草の香りは消え、代わりに微香、柔らかい花のような香りが漂ってくる。

 ……流石、あの魔女達の仕事だ。

 すごい良い香りがする。これも、風通しの良いところに吊っておこう。


 そして夜、眠る前にふと考える。

 ――ああ、自分は良い縁に恵まれたのだな、と。

 それだけが、自分の取り柄と思えるほどに。






 ―――――― ◆ ◇ ◇ ――――――






 そして3日目の朝。初出勤の日。

 制服を着ると、やはり若い頃の自分の姿になる。

 ……まあそれは良い。それはどうにか慣れていくしかない。それなりに時間は掛かるかも知れないが、慣れてしまえば気にならない。


 出勤の為に神社に向かうと、そこには先日の煙管を咥えた老爺が立っていた。


「おう、ご苦労さん」


「おはようございます」


 挨拶を交わし、老爺に連れられ神社の裏手へ。

 そこには既に〝扉〟が開いていた。


「そんじゃ、頑張ってこいよ」


「はい」


 見送られながら〝扉〟の中へ。外からは見えないが、中に入ればそこはエレベーターの室内。

 『↑』のボタンを押すと、扉が閉まりエレベーターが上昇を始める。


 少しだけ、緊張する。少しだけ、呼吸が速くなる。

 落ち着かせようと目を閉じ、深い呼吸を繰り返し、心を無に堕とす。

 深く、深く。眠りに落ちる前のように、深く。

 自己を切り離し、自我を切り崩す。最後に残った無を受け入れる。

 禅を元に考えた、自分なりの落ち着き方。ちょっと時間が掛かるが、効果的だ。


 そうして落ち着いてきた頃合い、エレベータの扉が開いた。

 目の前には、3日前に見た無機質な廊下。

 アスカが言うには、この廊下は、右に行っても左に行っても、最終的に目的地には辿り着くらしい。

 ただ、行きたい場所を考えて歩いてれば辿り着くのだそうだ。

 流石、異世界に関わる組織なだけある。理屈も理論もさっぱりだ。


 暫く歩くと神祇部と書かれた部屋があった。今日からここが自分の職場になる。

 息を整え、一呼吸。扉を2度ノックし、そっと開けた。






 ―――――― ◆ ◆ ◇ ――――――




 


 ――そこには、ごく一般的なオフィスの風景があった。どちらかと言えば小さな事務所のようで、キャビネットやデスク等がある。

 当たり前といえば当たり前なんだが、応接室や魔女達の裁縫室のような、特別な誂えという雰囲気はない。期待していた訳ではないが、若干拍子抜けもした。

 室内ではアスカと部長以外に、5人がそれぞれのデスクに座って、こちらを見ている。

 厳密には、部長は本当は猫の姿だし、他の5人にも亜人、と呼べそうな人が混じっているのだが。


「あ、おはよう雨宮くん。ほら、こっち来て」


 アスカに呼ばれ、部長席の前へ。一挙手一投足に、皆の視線を感じてしまう。

 それでも、エレベータ内での落ち着く為の方法がまだ効いていた。


「――諸君。本日より、我々の仲間となる雨宮君だ。よろしく頼む。雨宮君、自己紹介を」


「はい、雨宮幸彦と言います。えーと……まだまだ半人前ですらありませんが、よろしくご指導頂ければ幸いです。よろしくお願いします」


 部長に促され、自己紹介。

 といっても、前職の話などはあまり役に立たない気がした。

 さしあたり、角が立たないような言葉をなんとか考え、頭を下げる。


「アスカ君はもう知っているだろう、皆も自己紹介を」


 部長に促され、各々が立ち上がる。


「僕はアーノ、よろしく~」


 アーノと名乗る金髪で緑の眼を持つ少年は、ひらひらと手を振った。雰囲気は外国のお坊ちゃんという感じだが、どこかゆるい。

 身長は120cmくらいだろうか。黒い瞳で可愛らしい印象を受けた。

 制服は、緑を基調としたブレザーのようだ。私立学校の制服っぽい印象もある。


「私はミュール、これから一緒に頑張りましょうね、雨宮さん」


 次に名乗ったのは、金色の髪と硬質のうろこを持った、尻尾のある〝竜人〟と呼べそうな種族のミュールだ。アスカとは少し違って、落ち着いた雰囲気がある。

 背丈は160cm程度、金色の瞳が美しいと思った。……この手のキャラが好きだった知人が見たら、多分一目惚れするだろうな。

 制服は、カーキ色のジャケットとスラックスだ。尻尾用の穴はちゃんと付いているのだろう。


「俺はリード、困ったことがあったら俺に聞きな!」


 リードは、褐色の肌と赤髪・赤い瞳、そして黒い角を2本生やしている。

 細身だが身長は180cm以上だろう。デカい。そしてイケメンだ。

 ヤバいな、壁ドンなんぞされたら動けなくなる気がする。

 制服は黒のジャケット。あれか、ホストか? ホストなのか?

 

「私はハリマ、どうか最適の健闘を」


 ハリマと名乗ったのは眼鏡を掛けた痩せ身の男性だ。

 髪は白髪で瞳も茶色、どうやらこの人は人間らしく見える。名前からして少し馴染みがある音だ。

 身長は160cmほどで、老成した雰囲気もカフェの店長に似ている。

 制服は、淡いグレーのジャケットに黒のスラックス。いかにもなシニア、ベテラン、紳士という雰囲気だ。仲良くなれるといいんだが。

 

「俺はドーン、共に戦えることを幸運に思う」


 ドーンは、金髪で碧眼、彼も人間なのだろうが、雰囲気的には騎士、という印象を受けた。

 身長はリードより低めの170cm程度、しかし筋骨隆々の、細マッチョという奴だ。

 制服は自分のそれと似た、紺のブレザー。

 ……だが彼に似合うのは甲冑ではないだろうか。


「――以上が神祇部で働く全員だ。よろしくやってくれたまえ」






 ―――――― ◆ ◆ ◆ ――――――






「雨宮君の机はアーノ君の向かい、ドーン君の隣ね……っと、その前に」


 アスカに言われた席に向かおうとしたが、不意に彼女に引き留められた。


「――雨宮君、エレベータの中で良くないこと考えたでしょ?」


「良くないこと? いえ、そんなことは……」


 良くないこと、と言われても覚えがない。自分なりに心を落ち着かせただけだ。


「そう? ならいいんだけど……うん」


 とん、と両手で肩を叩かれた。身体の中に、じわり、と熱が〝戻ってくる〟ような感覚を覚える。

 心が、さっきより落ち着いたような気がした。

 

「それじゃあ、お仕事始めよっか。君の初仕事はね――」






 ――――――――――――――――――――

 ◆神祇

  天と地、その他諸々の神々のことです。

  神事を取り扱う神官、司祭としての意味合いも持ちます。

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