第2394話 佐野さんとの再会 Ⅳ

 「虎温泉」を出て、佐野さんを地下へ連れて行った。

 ロボも付いて来る。

 ロボも、これから『虎は孤高に』をみんなで観ることは分かっていて、楽しみにしているのだ。

 もちろん佐野さんのことも、俺の大事な人間だと分かっていて気に入っている。


 「明日はお仕事は休みですか?」

 「ああ、土日は休みだ」


 良かった、ゆっくりしてもらえる。

 亜紀ちゃんが佐野さんに何を飲むか聞きに来た。

 

 「お酒にしましょうよ」

 「そうか。まあじゃあ、さっきの酒がいいな」

 「分かりました。亜紀ちゃん、ワイルドターキーだ」

 「はい!」

 「ああ、水割りにしてくれ。最近すっかり弱くなってな」

 「はい」


 亜紀ちゃんがすぐに用意しに行く。

 佐野さんは地下の音響室を見回していた。


 「この部屋もすげぇな」

 「まあ、いずれお袋と住むつもりでこの家を建てたんですけどね。音楽が好きなんで、ここは拘りました」

 「トラ、お前結婚は?」

 「してません。まあ、家族は多いですけどね」

 「そうか。俺はてっきり保奈美とお前が……」


 胸が痛んだ。

 あの頃の俺を知っている人間は、みんなそう思っているのは分かっている。


 「保奈美は看護大学に行ったんですけどね。俺が傭兵になったと聞いていたんで、卒業してしばらくしてから「国境なき医師団」に入ったようです」

 「そうなのかよ!」

 「戦場で俺に出会うかもしれないと思ったようで。もちろんそんなことはありませんよ。でも、保奈美はそれしか出来なかった。俺に会うために、それしか……」

 「トラ、そうか……」


 佐野さんが泣きそうな顔で俺を見ていた。

 俺と保奈美のことを本当によく知っている人間だからこそだ。


 「俺は今も探してます。でも保奈美は「国境なき医師団」の中でも相当特別な所にいるらしくて、全然情報が入りません」

 「そうなのか。見つかるといいな」

 「はい」


 亜紀ちゃんが酒とつまみを持って降りて来た。


 「佐野さんが本当にいるよー!」

 「おい!」


 佐野さんが笑って亜紀ちゃんを見た。

 亜紀ちゃんは佐野さんと話したいのだろう。

  

 「タカさんに、佐野さんのお話は一杯聞いているんです!」

 「そうなのかい?」

 「はい! 佐野さんに本当にお世話になったんだって。いつもカツ丼とかおごってもらって」

 「おい、もういいよ!」

 「えー!」


 「早く風呂に入って来い!」

 「はーい!」


 亜紀ちゃんが部屋を出て行った。


 「すいませんね。子どもたちには佐野さんの話をよくしてて」

 「そうなのかよ!」

 「まあ、俺がこんなですからね。せめてお世話になった素敵な人の話を聞かせてるんです」

 「それで俺かよ」

 「筆頭ですよ!」

 「おい!」


 俺は水割りを作って佐野さんに渡した。


 「おい、ここで飲むのか?」

 「あー! あのですね、『虎は孤高に』を毎週ここで観るのがうちの恒例行事なんですよ」

 「ああ、そういうことか」

 「少々騒がしいですけど、すいません」

 「いいよ。俺もテレビなんか観るのは久しぶりだ」

 「奥さんとは?」

 「女房もほとんど観ないな。本当にアクセサリー作りが好きになってな。暇を見つけちゃ熱心にやってるよ」

 「佐野さんは?」

 「俺はなぁ、まあ、いいじゃねぇか」

 「なんですか、教えてくださいよ」


 佐野さんがはにかんで笑った。

 非常に可愛らしい。

 昔から佐野さんは真面目な人だが、よく何かを恥ずかしがって笑うことがあった。

 俺はその笑顔が大好きだった。


 「あのよ、お前笑うなよ?」

 「ワハハハハハハハハ!」


 佐野さんが笑いながら俺の頭を引っぱたいた。

 前からそうだった。

 佐野さんは俺が笑って誤魔化そうとすると、そうやって頭をはたいた。

 まるで昔に戻ったようだった。


 「お前よぅ。あのな、俺は警察官時代のことを文章にまとめてんだ」

 「え!」

 「ちょっと出版社から依頼されてな。昔のことを思い出して、ちょいちょい書き始めた」

 「そうなんですか! スゴイですね!」

 「すごかねぇよ! ド素人の文章だ。何も面白いこともねぇ」


 佐野さんは本当に恥ずかしがった。


 「でも、どうして佐野さんに書いて欲しいなんてことになったんです?」

 「ああ、和久井社長の伝手なんだけどな。俺がちょっと面白い体験が多いからって」

 「そうですか」


 佐野さんが俺を見てまた笑った。


 「トラ! お前のことだよ!」

 「えぇぇぇー!」


 佐野さんが大笑いした。


 「よく和久井社長と酒を飲んで、お前の話をすんだよ。まあ、俺がトラ当番みたいなもんだったからな。俺の話を毎回面白がって聞きたがってなぁ。それで和久井社長が出版社の知り合いに話したそうなんだ。それで俺のところへな」

 「へぇー!」

 「もちろん断ったさ。俺なんて面白いものなんて書けねぇからよ。でもちょっと短いものを書いてみてくれって。しょうがなく書いたら、それがいいんだってなぁ」

 「やっぱスゴイじゃないですか!」

 

 本当に凄い。

 刑事、警察官は意外と文章を書くことが多い。

 書類仕事が沢山あって、特に調書などは相手の証言から的確に把握して仕上げる能力を要する。

 佐野さんも話の骨子を組み立て、整える能力は高いのではないか。


 「それでよ、何となく書いていくと自分でも段々面白くなってなぁ」

 「うわぁ! 俺、楽しみですよ!」

 「ほとんどお前のことだぞ」

 「へ?」

 「まあ、『虎は孤高に』か、そういうもんがあるんなら、俺の文章なんて必要ねぇかもな」

 「そんな! あー、でも俺のことかー」

 「なんだよ?」

 「南も結構正確に書いてるんですけどね。今度、出版社の人に言ってみて下さい」

 「あ、ああ、そうだよな」

 「でも、佐野さんは刑事としての立場で書くんだから、別な視点で面白いんじゃないかと思いますけど」

 「そうかな?」


 佐野さんがそういうことをしているとは驚いたが、まあ本当に楽しみだ。

 俺のことばかりでもないだろうし。


 「ああ、それとな、最近じゃ女房と一緒に音楽なんかも聴くんだよ」

 「え! 佐野さんが!」

 「あんだよ!」

 「い、いいえ!」

 

 佐野さんがまた恥ずかしがった。


 「ほら、トラはギターが上手かったろ?」

 「ああ、まあ好きですね」

 「それでよ、最近TORAってギタリストが有名になったろう?」


 ブッフォ!


 「おい、どうした!」

 「ゲホゲホッ!」

 「おい、なんだよ!」

 「……」


 佐野さんがむせた俺の背中をさすってくれた。


 「あのギターがなんだか好きになってよ。女房も好きで、時々一緒に酒を飲みながら聴くんだ。俺はなんかお前のギターを聴いてるみたいで懐かしくってなぁ。ほら、お前、よく留置場で聴かせてくれたじゃねぇか」

 「そ、そうですね……」


 取り調べの時にギターを見つけて、ふざけて弾いたのを婦警の佳苗さんが喜んだことが切っ掛けだった。


 「TORAのCDもさ、2枚とも買ったんだ。あのギターはいいよなぁ。トラ、お前知ってる?」

 「え、ええ、まあ」


 子どもたちが風呂から上がってつまみを持って降りて来た。


 「TORAのギターはいいぜぇ! 俺も音楽なんて全然興味無かったけどさ。ほら、御堂総理の選挙の演説会でさ、東京ドームで……」


 「え! 佐野さん、タカさんのギター好きなんですか!」

 「このバカ!」

 「?」


 亜紀ちゃんが思わず興奮して佐野さんにバラしてしまった。


 「おい、トラ?」

 「は、はい」

 「あれ、お前なの?」

 「……」

 「そう言えば、あれもTORAか」

 「……」

 「あ、『MIDOU』とか『HIJIRI』って曲があったな!」

 「……」


 「トラ!」

 「はい! 俺ですよ!!」

 「マジかぁぁぁ!」


 佐野さんが叫び、子どもたちが笑った。


 「お前、本当にあのTORAなのかよ!」

 「仕方無かったんですよ! おっかない人に脅されて!」

 「なんだ?」


 亜紀ちゃんがニコニコして言った。


 「ピアニストの橘弥生さんですよ! お子さんの、門土さんとタカさんは中学の頃から親友で。門土さんは亡くなってしまって、それで橘さんがタカさんにCDを出すように言ったんです」

 「え?」


 「亜紀ちゃん、もうすぐ始まるぞ?」

 「え! ほんどだぁー! 佐野さん、また後でお話しします!」

 「お、おう」


 子どもたちが座り、千鶴と御坂もニコニコして座った。

 亜紀ちゃんはいつも通りにテレビ前のカーペットの上だ。


 「はーじーまーるー、ぞぉぉぉぉーーー!」


 亜紀ちゃんが吼え、ロボも唸った。


 「トラ、なにこれ?」

 「す、すいません」


 佐野さんが呆然としていたが、やがて笑い出した。

 





 何故かうちで『虎は孤高に』を観る人はすぐに馴染むんだよなぁー。

 橘弥生でさえそうだったしなぁー。

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