第2380話 千鶴・御坂 石神家へ X

 「ケロケロ」


 千鶴に、怒貪虎さんが近付いた。

 どうやら怒貪虎さん自ら相手をしてくれるらしい。


 「ケロケロ」

 「はい!」

 「ケロケロ」

 「分かりました!」


 返答している間も、千鶴の身体は震えていた。

 激痛に耐え切れずに、身体を捩っている。

 まっすぐに立っていられないようだった。

 千鶴の様子を見て、虎白さんが呟いた。


 「真白の奴、本気でやりやがったな」

 「え?」

 「まったく無茶しやがる。ありゃ、相当辛いぞ」

 「そうなんですか!」


 虎白さんは真白の鍼灸の術を高く評価していた。


 「あいつは多分日本で最高の腕前だよ。怒貪虎さんが中国に行かせてよ。向こうで最高の漢方の術師に弟子入りしたんだ」

 「そうなんですか」

 「死人も生き返らせるって程の人だったらしいぞ」


 東洋医学は深い。

 西洋医学で治せない病気や怪我も治す人間がいる。

 もちろん偽者も多いが。


 千鶴は激痛に喘ぎながら、怒貪虎さんの前に立っていた。

 怒貪虎さんはまったく動かない。

 しかし、もう何かが始まっているのを感じていた。

 千鶴は必死に何かに抗っている。

 千鶴も剣を握ってはいるが、まったく動かしていない。

 持っていることで精いっぱいなのが分かる。

 

 「タカさん! マンロウちゃんが!」

 「もう無理だよ! 止めてあげて!」


 双子が泣きながら叫んだ。

 双子には何かが見えているのだろう。

 俺はそれを聞きながら動かなかった。

 

 「ケロケロ」

 「!」


 怒貪虎さんが千鶴に何か言い、千鶴の目が変わった。

 恐らく百目鬼家の「神聖瞳術」を使ったのだろう。

 怒貪虎さんがそれを使うように言ったのか。


 千鶴はどうにか立っているという状態だった。

 剣は握ってはいるが、やはりまったく動かせないでいる。

 体中の激痛に耐えることで精一杯なのだ。

 その中で、何とか「神聖瞳術」を出した。


 千鶴の瞳を確認し、怒貪虎さんが剣を振り始めた。

 鋭い剣筋であり、当然千鶴はまったく反応できない。

 しかし怒貪虎さんの剣は千鶴には当たっていない。

 精妙に操作され、千鶴の皮膚すれすれを薙いでいる。


 千鶴の身体が揺れてきた。

 俺は剣圧でそうなっているのかと思っていたが、徐々にそうではないことに気付いた。

 千鶴の身体は何かをされて動いているのだ。


 (斬られているのか!)


 マンロウ千鶴は、彼女が感ずる現実の中で、怒貪虎さんに実際に斬られているのではないか。

 そう感じるように、怒貪虎さんは誘導しているのではないか。


 「ケロ!」


 怒貪虎さんの鋭い突きが、千鶴の左眼に向かった。

 千鶴は目を閉じる間もなく、その突きを喰らった。


 「おい!」

 「出やがったぞ!」

 「なんだありゃ!」

 「両眼から噴き出しているのはなんだ!」

 「全身の「虎相」もおかしいぞ!」


 剣士たちが驚いて叫んでいた。

 俺も「虎眼」を使っているので見えた。

 千鶴は両眼から激しい炎を噴き出し、更に全身は焔に覆われているばかりでなく、背中から二対の翼のように広がって伸びていた。

 恐らく石神家の「虎相」とは別なものだ。


 千鶴が突然倒れ、同時に焔も消えた。


 虎蘭と虎水が駆け寄って千鶴を運んだ。

 双子も駆け寄る。


 「マンロウちゃん!」


 ハーが「手かざし」をし、ルーが「Ω」と「オロチ」を口移しで飲ませた。

 御坂もよろけながら来た。


 「千鶴!」


 手足が思い通りに動かず、千鶴の傍で倒れた。

 虎水が抱きかかえて千鶴の傍に寄せる。


 「大丈夫だよ。ボロボロだけどね」

 「はい!」


 石神家の血が無ければ出現するはずのない「虎相」が、マンロウ千鶴にも出た。

 もしかすると「虎相」とは違うものなのかもしれないが。

 怒貪虎さんには、その可能性が見えていたのだろうか。

 石神家だけでなく、日本中の武道や武術をその身に宿した人だ。

 だから、千鶴に何が起きるのかが予測出来たのか。

 だが、千鶴は御坂以上の激痛を味わったようだ。

 身体がまったく動かせないほどの苦痛だった。

 御坂の場合は石神家の血が流れているので、そこまでのものは必要なかった。

 しかし、千鶴の場合は、ある意味でゼロから生じ展開させる必要があったのだ。


 それを為した千鶴の精神力はもちろんだが、発現させた怒貪虎さんの知識、そしてそれを言われずともやった真白の深さ。

 石神家は本当にとんでもない連中だ。


 俺は無言で佇む怒貪虎さんに、畏怖の念を抱いた。

 真白は離れた場所から見ていた。

 その眼は、不断のふざけたものではなかった。

 自分の施術の結果を冷静に見届ける、求道者のものだった。

 あの女は只者ではない。

 中国で最高の漢方医の下で修行したと聞いた。

 鍼灸だけではないのかもしれない。

 東洋医学には漢方薬も気功もある。

 中国の文化は相当深い。

 それに怒貪虎さんには吉原一族の道教、仙術の技まである。

 真白がどこまでそれを習得しているのかは分からない。

 普段は下品な老女を演じてはいるが、石神家で全員から頼りにされている。

 何大抵の人物ではないはずだ。


 「千鶴、聞こえるか」

 「……」


 口は動かさないが、千鶴は俺の眼を見た。


 「お前、やったぞ。「虎相」を出した」

 「……」


 千鶴が何とか口元に笑みを浮かべた。

 精一杯の返事だ。


 「御坂もよくやったな」

 「はい!」

 「いい「虎相」だった。みんながお前はいい剣士になれるってさ」

 「ほんとですか!」


 御坂は喜んだ。

 まだ口を利くのも辛そうだが、千鶴よりはましだった。

 虎蘭と虎水は鍛錬に戻った。

 「小雷」が使えるようになった剣士は、次に魔法陣を描く訓練に入る。

 双子も手伝いに行った。


 剣聖たちは魔法陣を描けるようになった剣士に、《神雷》を教えて行く。

 その剣聖たちも、《神雷》に「轟雷」を重ねる訓練をして行く。


 怒貪虎さんだけは、独りで何かをやっていた。

 魔法陣を幾つか描いてみている。

 俺は気になって近づいた。

 魔法陣は、外周のルーン文字を入れ替えたものだった。


 「怒貪虎さん!」


 出力調整の仕組みを理解したのか!

 怒貪虎さんであればルーン文字を知っていることはあり得るが、あの魔法陣の構造までこんなにも早く解析したとは。


 「ケロケロ」


 何かうなずいて、怒貪虎さんが《神雷》を撃った。


 「でかいですよ!」


 直径1200メートルの《神雷》が上空に飛んだ。

 やはり時空の裂け目が出来た。


 「不味い!」


 怒貪虎さんは即座に別な魔法陣を描き、そこにまた《神雷》を撃つ。

 今度は直径2000メートル以上の巨大な柱が続いて行った。

 時空の裂け目から出て来た山羊頭の黒い怪物が吹っ飛ばされ、時空の裂け目も消えた。


 「!」


 他の剣士たちもそれを見ていた。


 「ケロケロ」


 怒貪虎さんが俺を見て笑っていた。







 とんでもねぇことをする人だ。

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