第2366話 病葉衆 久我倫人

 生まれた時から修行は始まった。

 離乳食に特別なものを入れられる。

 神経組織の発達に於いて、病葉衆が積み上げて来た叡智があるのだ。

 普通の人間では持ち得ない、特殊な神経構造を食事によって成し遂げる。


 物心ついた時からも、そういう普通ではないものを食べさせられた。

 ある種の特別なキノコであったり、植物や昆虫から抽出した何か。

 それらを直接、または化学合成させたり、発酵させたりもした。

 強烈な吐き気や悪寒、心臓が止まりそうになったこともある。

 それはある精神力を養うためのものであることは理解していた。

 幻覚を何日も見続けることもあった。

 言葉を覚えると、病葉衆というものについて、徹底的な教育が始まった。

 本家に生まれた私は、さらに特別な教育、洗脳を受けた。


 「我々以外の全ての人間は道具だ」

 「病葉衆こそが、日本を裏で操る家系にならなければならない」

 「だが我々の力を示し過ぎるな。病葉衆はそれと知られずに陰で操るのだ」

 「石神家、道間家、花岡家、百目鬼家、その他我々の力が無効化される者たちもいる。だが、そういう連中も我々の影で操る方法でどうにでもなる」

 

 そういう話をずっと聞かされてきた。

 実際に病葉衆が歴史の裏で成し遂げて来たこと、そして今も日本のフィクサーである小島将軍の信頼を得ることが出来たことを知った。


 「倫人(りんど)、お前は病葉衆の次期当主とならなければいけない」

 

 それが私の宿命だった。

 私は病葉衆として英才教育を受けて行った。






 8歳の時。

 突然婚約者だという少女と引き合わされた。

 私の二つ下の年の可愛らしい娘。

 郷間井筒(ごうまいづ)。

 傍系の郷間家の娘らしい。


 井筒は私にすぐに懐き、井筒は私の家で暮らすようになった。

 当時の私はそのことに何の不思議も感じず、井筒との楽しい日々を喜んだ。

 やがて井筒も小学校へ上がり、一緒に学校へ行くことになった。

 井筒は可愛らしいだけでなく、私のために何でもしてくれた。

 私に優しくし、私が頼むことは拒まない。

 一緒に食事をし、一緒の部屋で寝起きした。

 私が修行や勉強を終えると、井筒と話し短い時間遊ぶ。

 井筒との時間が、私の中で大切なものとなっていった。

 厳しい修行も、井筒がいたから耐えることが出来た。


 井筒は歌が好きで、よく一緒に歌ってくれと言われた。

 私が乗り気でないと、井筒が一人で歌う。

 だから時々学校で習った歌を井筒に教えてやったりもした。

 その中で『シャロームの歌』を特に気に入り、しょっちゅう歌うようになった。

 その曲だけは一緒に歌いたがり、私一人でも歌わされた。


 「倫人さんの歌は素敵です!」

 「そんなことはないよ」


 照れて見せたが、嬉しかった。

 でも私が嬉しいと分かれば井筒はもっと歌わせたがることが分かっていたので、照れた振りをしたのだ。


 井筒の私への優しさは心地よかったが、そのように育てられたのだと気付くのはずっと後のことだった。


 ある時、いつものように一緒に学校から帰っていると、目の前で車が停まった。


 「久我鬼のガキかぁ!」

 「ぶっ殺す!」


 大人の男女が鉈と包丁を持って私に迫った。


 「倫人さん! 逃げて下さい!」


 その時、井筒が大人たちに向かって走った。

 私は呆然と立ち尽くしていた。

 余りの恐怖に足が動かなかった。

 井筒が男の鉈で肩を切られた。

 女が井筒の腹を刺して裂いた。

 井筒はそれでも男にしがみ付いた。

 私はやっと助けを呼ぶことが出来た。

 大きな声で「助けて」と叫んだ。


 離れた場所で畑仕事をしていた農夫が何事かとこちらへ来てくれた。

 他の人間が近付いたことで、男女は慌てて車に乗り込んで走り去った。

 私は井筒に駆け寄った。

 あれほどの傷を負いながら、井筒にはまだ息があった。

 苦しいだろうに、私に微笑み掛けて言った。


 「倫人さん、ご無事ですか?」

 「うん! うん!」


 私は泣きながらそれしか言えなかった。


 「よかった……」


 井筒は目を閉じた。

 身体の下に血が拡がり、地面に吸い込まれて行った。

 走って来た農夫が救急車を呼んでくれたようだ。

 私は救急車が来るまで、『シャロームの歌』を歌い続けた。

 井筒を元気づけたかったのだ。


 後から思えば、あれが私の中に何かを打ち込んだ。

 他人のために何かをしたいという心。

 でもその心は病葉衆のものではなかった。

 私は歪なモノになった。


 井筒は死んだ。


 井筒の死は、私に明確な景色をくれたような気がする。

 私の見ている世界は、どこか薄れていて、見えてはいるのだが自分とは触れ合えないような感覚があった。

 井筒と一緒にいる時にだけ、ありありと色が濃く、私が自分から触れたいと思う世界になっていた。

 しかしその記憶は井筒と離れると途端に薄れていき、あんなにも色づいていた景色が反対に灰色にかすれて行った。


 そして井筒が目の前で悲惨に殺された姿は、私の中で絶対に色褪せない景色となった。

 私の無事を見て嬉しそうに笑った井筒。

 どれほどの苦痛の中にいたかは分からないが、それでも私に微笑んで死んでいった井筒。

 その井筒の姿だけが、私の中でありありと強い色を残したままの記憶となった。


 後に井筒を殺した夫婦が久我家に連れて来られ、私の目の前で殺された。

 久我家に怨みを持ってのことだったらしいが、私には詳しい理由は知らされなかった。

 酷い殺され方だった。

 井筒の仇を取ったはずなのだが、私には何の感慨も無かった。

 その光景は、いつものように色褪せ、灰色の記憶となっただけだ。






 私は井筒の死から、ある夢を見るようになった。

 多くの男たちが私の目の前で割腹して苦悶の中で果てていく夢。

 その男たちが自分に関わる人間であることが何故か分かった。

 私はいつも、男たちが腹を割くのを黙って見ていることしか出来なかった。

 本当の悪夢だった。

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