第2367話 病葉衆 久我倫人 Ⅱ

 その後、井筒の兄の郷間平吾がうちに来た。

 今度は明らかに私を守るための者だった。

 井筒もそのような使命はあったのだろうが、何しろ幼い少女で、せいぜいが身代わりになることしか出来なかった。

 しかし平吾は身体が大きく、ある程度の武道も学んでいるようだった。

 病葉衆の本家の久我家を恨むものは多い。

 ある程度の術者になれば、襲撃も防げる。

 だが、幼い私を狙われればそうは行かない。

 だから井筒以上に体術の心得のある者が傍にいる方が良いと、父たちは考えたのだろう。

 少なくとも、井筒よりも私の身代わりとしては役立つ。

 平吾は実際に強かった。

 子ども相手であれば、平吾に敵う者はいなかった。

 あれ以来、大人に襲われたことは無かったが、きっと平吾であれば十分に立ち回れただろう。

 そう思わせる程、平吾は強かった。


 私の従者として、護衛として平吾はいつも私の傍にいるようになった。

 井筒と同じく私の言うことは何でも聞いてくれ、私のためにいろいろと考えてくれる人間だった。

 私と年齢も同じで、久我家の力で常に学校でも一緒のクラスであり、離れることもなかった。

 時々父や他の者に呼ばれる時以外は、いつも私と一緒にいた。

 修行も多くの時間は平吾と一緒だった。


 ある日、平吾が折檻を受けているのを偶然に見てしまった。

 何があったのか後で平吾に聞いても「なんでもありません」と言っていた。

 だから私は気にもせずにそのままにした。

 あとから思えば、私や自分の立場に対する不平不満があったか、もしくは何らかの失敗があったのだろう。

 平吾に対し、大人たちはそういうことを厳しく律して来たのだと思う。

 もしかしたら、その頃から平吾が徐々に歪んで行ったのかもしれない。

 

 中学生になると、女を抱かされた。

 私は少し興味を持った。

 肉体的な快感は基より、相手の女を操って快楽を引き出すということが面白かった。

 何人か経験した後で、ある若い女を連れて来られた。


 「こいつは経験がない。お前、この女を喜ばせろ」

 「はい」


 父からそう言われた。

 私は病葉衆の技を使い、処女であったその女を何度もいかせた。

 女は失神し、私は一人で部屋を出た。

 遊び飽きた玩具を放り出すように。

 ドアを開けると、平吾が立っていた。

 平吾がいつも、私が女を抱いた部屋から気を喪った女を連れ出す役目だった。

 平吾が部屋の中を見た。

 私も隠す気も無かった。

 いつものことだ。


 「姉ちゃん……」


 平吾がそう呟くのが聞こえた。

 一瞬のことで、平吾の声も小さく震えてよく聞こえなかったが、確かに「姉ちゃん」と呟いた気がした。

 

 「え?」

 「いいえ、何でもありません」

 「今、たしか……」

 「いいえ、どうぞお部屋の方へ」

 「あ、ああ」

 

 横を通る時に、平吾の眼が赤く染まっているのを見た。

 普段は見せない苦しそうな顔だった。

 だがすぐに俺に振り返り、微笑んだ。


 「倫人さんの力は大したもんですね」

 「いや、そんなことはないよ」


 その日、平吾は私の部屋には来なかった。







 平吾は恐らく、自分の妹が私を守って死んだことを知っていただろう。

 それは平吾の中ではまだ許せることだったのかもしれない。

 しかし、自分の姉が私に犯され、あの日から平吾の中に鬼が芽生えたのか。

 自分たちが久我の家で、まるで道具か何かのように躊躇なくどんなこともさせられる運命を感じたのか。

 私は平吾の恭順を疑うこともなかったので、気付かなかった。

 平吾はずっと私に復讐したかったのではないか。

 私は本当に何も分からない愚鈍だったのだと思う。

 

 病葉衆の修行はずっと続き、私は本家の跡継ぎとして様々な技を教えられた。

 だがそれは父を満足させるものではなかった。

 度々叱責を受けたが、私の中で病葉の技を拒むものがあることに自分で気付いていた。

 その時はまだ、自分でもそれが何故なのかは分からなかった。

 今であれば思い当たることはある。

 ただただ、私は毎日井筒のことを思い、感謝し、詫び、冥福を祈っていた。

 ある時平吾がそれに気付いて私に言った。


 「倫人さん。そういうことは辞めた方がいいんじゃないですか?」

 「どうしてだ?」


 平吾が珍しく即答せずに黙っていた。

 そして自分を殺すような震える小さな声で言った。


 「あの、それ、病葉衆じゃないですよ……」

 「え?」

 「妹は生まれた時から倫人さんを好きになるように「教育」されてました」

 

 平吾の言う「教育」とは、病葉衆の洗脳のことだろう。

 私もそのことは流石に気付いていた。

 そうでなければ幼い井筒が刃物を持った恐ろしい大人に向かって行くはずはない。


 「そうか」

 「病葉衆にとって、他人は全て道具です」

 「井筒は他人じゃないよ」

 「いいえ、自分以外の全ては他人です。もしもの時には利用するようにしなければ」

 「そうかもしれないけど……」

 「井筒もそうでした。倫人さんに危険があったら守るように。自分が楯になって倫人さんを逃がすように」

 「うん。でも私は井筒に感謝しているよ」

 「倫人さん……」


 平吾が苦しそうな顔をしていた。

 どういう気持ちなのか、私には分かりかねた。

 尋ねたいと思っても、それを憚られるほどに苦しそうな顔だった。

 結局私は視ない振りをした。

 私はそういう弱い人間だった。

 その日から平吾は外では私のことを「久我さん」と呼ぶようになった。

 平吾の言うには、「名前で呼ぶと倫人さんの格が落ちますから」ということだった。

 何故平吾がそうなったのか、私には分からなかったが、そのままにさせた。

 そして私も外では「郷間」と呼ぶようになった。


 私と平吾の関係が、確実に変わった。

 平吾は私と距離を設けた。

 あの時から、平吾は後に私を裏切る用意を始めたのかもしれない。

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