第2325話 挿話: 青の憂鬱

 「マスター、試食が出来ました!」

 「ああ、ありがとう、カスミ」

 「わあー! 美味しそうですね!」

 「涼ちゃん、ありがとう!」


 6月の第2週。

 俺は7月から喫茶店「般若」をオープンするつもりで、メニューの検討を始めていた。

 今まではいわゆる喫茶店のメニューであるコーヒー、紅茶などの飲み物の他、スパゲッティ(ナポリタンとその他)、ピラフ、サンドイッチ(チーズ、卵、ツナ)、それに若干サラダなどを用意していた。

 しかし、これからは本格的にランチメニューも出すつもりで、定番のものと週替わりのメニューを用意するように赤虎に言われた。

 とにかく赤虎の病院から大勢の人たちがうちに喰いに来てくれるらしい。

 あいつが宣伝して、そうしてくれるそうだ。

 ありがたい。


 確かに赤虎が用意してくれた、これだけ広い店内でコーヒーだけというのは味気ない。

 赤虎がやけに綺麗な店に構えてくれたこともある。

 今までの小さな店ではコーヒーだけでも良かったが、新しい店では食事もメインに据えなければ駄目だ。

 みんな、その期待を持っていてくれる。

 俺だけであれば考えもしなかっただろうが、カスミが作る料理が非常に美味い。

 カスミは、洋食はもちろん、和食も中華もその他の外国料理も何でも出来るようだ。

 しかも非常に手際が良く早い。

 だから食事の提供も問題なく行なえるはずだった。


 幸いにも赤虎がメニューの案を考えてくれた。

 まったくありがたい奴だ。

 本当に助かる。


 パスタ類は定番のものに加え、30種類のものをレシピとしてくれた。

 実際に赤虎やルーちゃん、ハーちゃんが目の前で作ってくれた。

 カスミと一緒にレシピを見ながら作り方を覚えた。

 ナスとアスパラとひき肉のペペロンチーノなどは彩もよく、赤虎のセンスの高さに感動した。

 貝類、生ハム、魚、そしてもちろん各種の肉など、赤虎は様々な組み合わせで、しかも季節に沿ったメニューを示してくれた。

 パスタ自体も、スープパスタやショートパスタなど、様々な組み合わせも示してくれる。

 ピラフ類も同じだったが、むしろランチとしては白いライスとちゃんとした皿を出した方がいいと言われた。

 その皿のメニューにも本当に感心した。

 俺もヨーロッパのレストランで見たものを話し、赤虎に相談して再現していった。

 赤虎は世界中の料理に精通していて、俺が言ったものをほとんど目の前で実現してくれる。


 「親父が料理人で、家に「料理大全」があったからな」

 「そうだったのか」


 赤虎の親父さんのことは知らないが、ルーちゃんとハーちゃんがニコニコしていた。

 二人もその「料理大全」を熟読しているそうだ。

 赤虎の影響で、二人とも料理が大好きになったと聞いた。

 まあ、きっと赤虎が美味い物を子どもたちに食べさせてきたのだろう。

 だから赤虎への感謝と共に、子どもたちも一生懸命に作るようになったのだと思った。

 赤虎は、そういう奴だ。

 誰にでも愛情を示し、ありったけの努力をする。

 みんなが赤虎を大好きになる。


 今日は赤虎たちが実演してくれた中で、7月のメニューを検討するつもりだった。

 定番のメニューと10種類ほどのランチの皿のメニューを作った。

 俺と涼ちゃんとで試食するつもりだった。

 見た目を最初に三人で検討してると、表に大型バスが停まった。

 病院にバスで来る人もいないだろうと思っていたら、降りて来た団体が俺の店の方へ来る。

 若い人も数人いるが、ほとんどが年配の方々だ。


 「マスター、大勢こっちに来ますけど」

 「ああ、そうだね」


 何事かと思って、俺が店の外へ出た。

 20人くらいが降りて、バスは走り去った。


 「ああ! このお店だ!」

 「「般若」だ! 間違いないよ!」

 「教皇様がおっしゃっていたお店ですよ!」


 「!」


 「教皇」という言葉で驚いた。

 じゃあ、この人たちは……


 俺の方へ数人が来た。

 ニコニコして俺に近寄って話し出す。


 「私たち、長崎から来ました!」

 「はい?」

 「先日、ローマ教皇様がこのお店のことをお話しされていて、是非行ってみたいと」

 「え?」

 「ああ、本当にいいお店だ! 素晴らしい」

 「綺麗で気品があるわ!」

 

 口々に店の外観を見て感想を言われる。

 みんな顔が紅潮していて、興奮しているのが分かる。

 困るのだが!


 「是非ここで食事をしてみたくて!」

 「あなたが柴葉さんでしょうか?」

 「ええ、まあそうですが。でも、まだこの店はオープンしていないんですよ」


 『エェェェェェーーー!』


 20人近い人たちが一斉に驚いていた。

 ローマ教皇がうちの店のことを話していたというのは赤虎に聞いているが、それで来たということか。

 わざわざ遠い長崎から。


 「てっきりもう開かれているのかと」

 「教皇様が素晴らしい方のお店と仰られていたので、どうしてもみんなで来たくて」

 「まあ、どうしましょう」

 「ああ、予約も確認もしなかった我々が悪かったんだ!」

 

 みなさんが困っていた。

 うちは大した店ではないが、大きな期待を持って来てくれたのだろう。

 本当に楽しみにして。

 仕方がない。


 「あの、まだメニューなども検討中でして。丁度今作った所なんです。宜しければお入りください」

 「いえ、そんなご迷惑な!」

 「勝手に押し掛けた私たちが悪いんですもの!」

 「また出直してきますから!」


 口々に遠慮される。

 本当にいい方々だと感じた。

 それに遠い所を皆さんで来て下さって、このままお帰しするわけにはいかない。

 

 「そんなことおっしゃらずに。わざわざ長崎から来て下さったなんて有難いことです。どうぞお入り下さい。でも、本当に大した店じゃないんですよ?」


 俺がそう言うと、顔を輝かせて喜んでくれた。


 「本当に宜しいんですか?」

 「あなたはやっぱり教皇様が仰ったようにお優しい方だ!」


 「いえ、そんな。どうぞ、みなさん」


 わざわざうちの評判を聞いて長崎から楽しみに来て下さった方々なのだ。

 ここで帰すのは本当に申し訳ない。

 みなさんが遠慮し、申し訳ないと言いながら店に入ってくれた。

 本当にいい方々だ。

 精一杯におもてなししよう。

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